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水族館通信 NO.1 1994・05・05 |
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知人・友人各位 青葉の美しい季節となりましたが、皆様方におかれましては如何お過ごしでございましょうか。 今シーズンも娘や息子と、或いは友人と何度か上越の山々にスキーに行っていますが例年より山には雪が多い感じです。5月2〜3日には奥只見丸山での滑り納めと尾瀬や谷川岳、越後三山等の山々をグルット360度見晴らす山頂でのバーベキュウパーテイを計画していたのですが、30日にギックリ腰になり一人リタイアする羽目に。腹這いになってワープロを打って、人類にとっての二足歩行の革命的意義を改めて確認しています。思えば故郷の秋田で冬は毎日、学校から帰るとカバンを置くのもそこそこにスキーを担いでは裏山へ行き、海に陽が沈むまで日本海へ向かって滑り降りては、又スキーを担いで山へ登るという生活をしていた少年時代から断続的に続くスキー人生ですが、昔は木製のスキーにゴム長靴を履いて滑ったものでした。7年前に「市民社会」に完全復帰することにしてから10数年振りに再開し、毎シーズン2週間以上滑っていたのですが、子供が受験期に入って、今シーズンはやや少なくなりました。 ところで40才からのサラリーマン稼業のスタートとなったミサワホームの増改築部門のホームイング鰍ノ6年間お世話になった後、高橋カーテンウオール(TCW)に転職して2月で1年経ちました。まだサラリーマンになりきれていない感じですが、研修明けの昨年7月からPC(プレキャストコンクリート)カーテンウオールの営業で全国を走り回っています。店頭登録銘柄のTCW鰍ヘ東証2部に上場予定で、そのための管理要員ということでスカウトされたのですが、この不況でご他聞にもれず上場よりも営業強化、民間のテナントビルが建たないので官公庁営業だ、官公庁なら東大に長くいた、しかも一応「法学部」出のあいつだという三段論法(?)で、営業に回された次第です。私としても営業の方があちこち徘徊出来るし、交際費も多少使わせてくれるということで、札幌から福岡まで全国を飛び回ってお陰様で少しは成果も上げています。ただ単に大学に、寮に長くいた、何度捕まっても消耗しないというだけで他に何の取り柄もなく、かつては東大全共闘単純ゲバルト派とか脳弱体強派を以て任じていた私なのですが、多少は「会社」でも役に立ちそうでほっとしています。これも偏にお付き合いいただいている方々に力があるということで、仕事をする度にどんどん借りが溜まって行く感じです。無力な私としては精々大学の寮の同窓会やクラスの同級会等の幹事の雑用でもまめにやって、少しでも恩返しをして行こうかと思っています。勝手に応援だ!ん?宣言! そういう訳で同じ建築とは言っても以前の住宅とは全く違う高層ビル建築のジャンルの、しかもゼネコンや設計事務所、官公庁や公益法人等の法人相手の営業ということで、仕事の内容も全く様変わりしました。同じサラリーマン相手なので家庭の主婦を相手にするより気楽な点もありますが、この道何十年の現場監督や建築の大家等を相手に、たまには知ったかぶりをしなければならないという辛い局面に立たされることもあります。今のところ相手が内心どう思っているかは別にして、どうにかボロを出さずにすんではいますが。取り敢えずこれまでの半年どうにかやって来れたのだから次の半年も、そしてその次の半年もどうにかやって行けるだろう、その内、門前の小僧習わぬ経を詠むの伝でどうにかなるだろうと、相変わらずの「革命的楽観主義」でいます。 そう言えば前の職場もその前の受験産業とは全くの異業種でしたが、6年いる間にそれなりに学ぶところがあり、何回か社内でも提案をしたり、二度ほど業界誌に寄稿したりしてそれなりの反響を呼んだりもしました。その中で一番心魅かれ、今も関心を持っているのが国産木材の有効利用と建築コストの削減、つまり国産木材を使ったプレッカット住宅の供給です。 私が生れ育った秋田の八森という町の、更にその外れの岩館という集落はブナの原生林で有名な白神山地が背後に聳え、目の前は日本海の、そのあわいに長く延びる半農半漁の美しくも貧しい村でした。今、村外れには「熊に注意」という看板と並んで、「山は待っている」という看板が立っています。日本の山林では戦後一斉に植林された針葉樹とりわけ杉の木がそろそろ伐採期に入ろうとしていますが、安く大量に輸入されるラワン等の南用材や米栂等の北洋材に押され余り利用されていません。その結果下草刈りや枝打ち、間伐等の手入れをしても割に合わないということで、放置されたままになっている山林が少なくありません。その結果山は荒れ、ちょっとした風や雪で木は倒れ、雨が降ると山は崩れます。そこで山に入って手入れをしようと呼び掛けている訳です。 そして、山が荒れると海も駄目になります。少年の頃、春先にはアオノリを木の枝で絡め採り、初夏にはワカメを拾い、夏には潜って天草やフノリ、モズクを採った磯海の植生もすっかり変わり、シオ焼けというのでしょうか岩場はサンゴ藻に固く白く覆われ、海草の姿は余りみられません。そのうえ集落の地先の海は洗剤の影響でしょうか白濁しています。当然魚や貝も棲家と餌場を奪われるということになり、漁業も振るわなくなります。 勿論、だから国産材を使おうと呼び掛けても精神論の域を出ません。木造住宅はその土地の木で作るのが一番いいと一般的に言われますし、同じ値段だったら誰もわざわざ狂いの来ることの多い米栂で我が家を建てようなどとは思わないでしょう。しかし、為替の問題は別にしても平坦な土地に自然に生えたものを大型機械で大量に伐採する外材(勿論この後どうするという問題は残り、熱帯雨林の場合は再生の可能性とコストの面で大きな問題があり、地球温暖化とも密接に関連します)と、人手で険しい山に苗を植え、手間暇かけて手入れし、機械の導入もままならず少量づつ伐採する国産材を、複雑な流通経路を経て手に入れるのとでは競争にならないのです。山林の「公共林」(治山治水や景観、休養など)としての機能を捨像し、「経済林」としての機能のみを取り上げ「市場原理」に任せる限り、このままでは山は、従って海も荒れるだけなのです。そこで解決策は二つあります。 一つは批判はありますがこのギャップを埋めるために補助金、要するに税金を使うことです。純「経済原理」を前提にして山を荒れるにまかせると、先ず治山治水のお金が掛かります。土建業者は喜ぶでしょうし、一種の景気対策として有効需要を作り出すことにはなりますが、山奥から海岸までコンクリートで固められてしまうのは決して心地良いものではありません。又、海が荒れる結果漁獲量が落ち漁業に大きな打撃を与えます。そこで実際、漁場に流れ込む河川の川上の林業者と協力し流域の緑化、山の手入れに努めている漁業協同組合もあります。いずれもコストのかかる話です。 それならいっそ輸入外材にかかる関税の一定割合や税金の一部を言わば「国土保全基金」としてプールし、営林署を含めた林業者に何等かの形で還元し、コスト補填を行い「元気な山」を造って貰う訳です。山が荒れる前に金を使うか、荒れてから使うかです。一方の場合は美林が残り、他方は荒れた山とコンクリートの構築物が残ります。土建屋と彼等に支えられた政治屋は困るでしょうが、どちらが賢いやり方かははっきりしています。 もう一つは国産材をどうにかして安く供給することです。つまり林業者から産地市場、市場から産地の材木問屋、さらに消費地の問屋から小売り、小売りから工務店という流れがあり、これに産地の集荷業者、消費地の市場や二次問屋が介在したりします。そこでこの流れの中間をカットし、林業者からダイレクトに工務店に届くようにしてしまうのです。それぞれ単純に10%の手数料がのるとしても半分近くのコストが削減出来、外材に対抗出来るようになる筈です。ただ、木造住宅に占める木材のコストは精々2割までも行かないので国産材を使ったから安くなったというところまでは行きません。そこでもう一工夫が必要です。普通の木造住宅では大工さんが下小屋で土台、柱、梁等の部材を予め刻んで来て現場で組み立てます。これを建て方とか、棟上げといい、終わると上棟式といって関係者一同でお酒を酌み交わし、工事の無事を祈ります。この大工さんが下小屋で手で刻む部分を機械でやってコストダウンしまうのです。これをプレカットといいます。それも木材産地の工場でやれば人件費も地代も安いし、産地から丸太や半製品で運ぶより運送費も安くなるので、一層のコストダウンが図れる訳です。 そういう視点から、前の会社で営業所をまかされていた時に試みに3棟、秋田の藤里町の第三セクターである秋田プレカットから秋田杉のプレカット材を取り寄せ新築してみました。一棟は私が委員をしていた35期東大三鷹寮委員会の委員長だった辰さんの三鷹寮の裏の自宅。残念ながら新居にはいくらも住まない間に、東京銀行のドイツの支店に3度目の勤務となってしまい、現在は大学生の息子さんが一人で住んでいます。2棟目は前の会社の旧客の小さなアトリエ。3棟目は現在は長野県選出の今井澄参議院議員の秘書をしている、かつてのML(マルクス・レーニン主義者)同盟指導者の一人である豊浦清氏の富ケ谷の旧居の建替です。ここはお母さんがご健在の頃に、豊浦さんが東大の出身で駒場の裏ということもあり、ML同盟東大細胞の会議に使わせてもらった懐かしい場所です。 いずれもホームイングの建築士が設計し、辰邸では大工さんも秋田プレカットの田舎の大工さんに頼みました。豊浦邸ではプレカット材を支給してホームイング傘下の工務店に施工して貰いました。アトリエの場合は何分にも数坪の広さでしたので余りメリットはありませんでしたが、辰邸と豊浦邸の場合は結構コストパフォーマンスがよかったのではないかと思います。転職に伴いこの試みは取り敢えず3棟で終わりましたが、十分な手応えを感じました。そういう訳でここに応援だ!ん?(応援団?)宣言をしたいと思います。故郷秋田の木材産業と秋田プレカットに私個人として熱い声援を送ると共に、共に応援して下さることを呼び掛けたいと思います。「応援だ!ん?」から応援団へ!興味のある方、住宅建築の計画のある方は是非ご連絡下さい。 思えばこれまでの人生は10才で物心が付き、20才で志を立て、30才で軌道修正し、40才で方向転換と、十年毎に屈曲した螺旋階段を歩むが如き人生でしたが、果たして上っているのか、下っているのか。最近考えることは青春の頃の原点に帰って、「人の役に立つ」こと、とりわけその貧しさに憤り学生運動に身を投じることになった故郷のために、何か出来ないかということです。次の十年まで3年、5回目の十年はそのためのターニングポイントとしたいものですが。 ●古代魚差し上げます 子供が大きくなって家が手狭になったこともあり暫く中断していた熱帯魚の飼育を、小平に引っ越してから又始めました。最初は60cmの水槽2個で再開したのですが、アロワナやデイスカスの大型魚だけでなくグッピーやネオンテトラなどの小型魚も、しかもそれぞれ数種類ずつということでいつの間にか小型の水槽が出窓の上に3個増えました。そうこうしている内にアマゾンでは1m以上にもなる古代魚の系譜を引くアロワナが、60×30×35の水槽では窮屈に泳ぐようになり、少し大きい60×45×45の水槽を用意してやりました。これで水槽が6個となり、我が家はまるで水族館。かくてアロワナはまだ40cm程の刀魚のような長い銀色に光る体でどうにかゆったりと泳ぎ回っていますが、その内もっと広い棲家を与えろと水槽を飛び出してノタウチ回りかねません。いやペットは飼い主に似るといいますから、きっとそうするでしょう。 そおまけにゲバ棒の様な長い尻尾で、飼い主の挫折続きでスカスカの脳天を一撃しかねません。これからの人生を脳挫折ではなくノー挫折で行きたい飼い主としては、由緒正しいアロワナ君の要求を入れて波風立てずにやって行きたいのですが、方丈の草の庵ではこれ以上大きな水槽は置けません。そこで、母親の胎内では水中生活をしていたのだし、少年時代の夏は朝から晩まで海に潜って魚を突き、あわびやさざえを採って時間を過ごしていたのだから、いっそ家全体に水をいれて古代魚と一緒に泳いで暮らすのもいいかと思ったのですが、家内はもう水着は着れないなどとわめきます。さりとて又々家を買い替え、これ以上重いローンを背負う訳にも行かず、欲しい方がいれば差し上げることにしました。飼い方のわからない方には教えて差し上げます。 以上、近況やら訴えたいことやら長々と綴って参りましたが、何故タイトルが水族館通信となったかはお分かりいただけたかと思います。 干場 革治 |
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