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水族館通信 NO.8 96年 凛とした季節に |
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知人・友人各位 水族館通信も一昨年5月の第一号発行以来二度目の正月を迎え、第八号発行の運びとなりました。小さい字で長々と、よく書くことがあるものだと我ながら思いますが、今年も元気におしゃべりしたいと思いますので、宜しくお願い致します。 ●娘に引かれて清水寺 子供の受験と両親の高齢化が重なり、妻の田舎の新潟で婿一人だけ楽々スキーをする訳にいかないと、昨年の正月休みは好きなスキーが出来ませんでした。そこで今年こそはと満を持していたのですが、生憎息子はもう一度大学を受験する羽目に。それでも娘は高校に入学したのでスキーに行こうと誘ったのですが、「友達と行くからいい」とつれない返事。がっくり来たところを見透かした様に、「京都なら一緒に行ってもいい」と娘の声。中学校の修学旅行で気に入った京都に行きたい娘と、スキーに未練を残しながらも娘と何処かに行きたい父親と思惑が一致。ついでに勉強に身が入らない感じの息子も「気晴らしに」と誘って、(スキーで足、頭と2回も骨折しているので?!)「骨休めする」と言う母親を東京に残し、親子三人新幹線で京都へ。 新緑や紅葉の頃の京都もいいが、枯れて凛とした感じの冬の京都もいい。初日は円山公園の「いもぼう」で腹ごしらえをしてから知恩院、清水寺と東山散策。二日目は前日の足の疲れに懲りて自転車で嵯峨野巡り。雪の残る天竜寺で寒さに震えながら精進料理に舌鼓を打ち、禅僧の気分。三日目は銀閣寺から南禅寺まで裏道を辿り、南禅寺で湯豆腐のお昼。鉄骨が大部組み上がった京都の駅ビルが車窓から小さく後退りして行くのを眺め、しばらくして駅ビル建設のクレーンの林立する名古屋に新幹線は滑り込む。転職して間もなくから駅ビルの顔となるカーテンウオール(外壁)の営業で何度も京都、名古屋へ足を運び、JR西日本の南谷副社長(S35年東大三鷹寮入寮)、JR東海の深山専務(S35年入寮)を初め沢山の方々にお世話になり、京都では全体の十分の一、金額で1億数千万円ほど、名古屋では三割、八億円弱のお仕事を頂いたことなど思い出し、しばし感慨に耽る。 ●「テロリストのパラソル」 正月休みには久し振りに小説を手に取る。40の手習いでサラリーマン稼業を始めた時には、サラリーマンの習性や心構えを手っ取り早く身に付けられるかと、ビジネス小説を手当たり次第に読み漁った時期もあったが、2,3年も会社員をすると何ほどのこともない。それに小説で心休める必要があるほどにストレスを感じる繊細さも、小説の中の他人の人生に己の人生を重ねて、生き方の指針を求めるほどの若さも既にない。いずれ人生の終りに、社会的な活動を続けるほどの気力が持続しなくなった時、己の人生が何ほどのものだったのかを振り返るよすがとして、十歳から二十歳にかけての十年間に貪り読んだ古今東西の名作を、今一度静かに読む時間を持つことが出来ればと思うぐらいのものだ。 それでも青春の思い出を共有するS43年入学の元東大全共闘のサラリーマンが江戸川乱歩賞を取った、しかも、共に立て籠もった駒場の第八本館の籠城生活の描写があると聞けば胸騒ぎがする。それで新聞の書評を目にして直ぐ買い求めたのだが、小説は出来れば一気に読み上げてしまいたいので、纏まった時間がないとなかなか手に取れない。それに自分の知らない、そして知りたくない事実が描かれていたらどうしよう。「何でもあり」だったあの頃、全共闘の砦と化した第八本館に出入りするメンバーをチェックするために、東大教養学部六千名の拠点の各クラスから上げられて来た、駒場共闘千八百名の名簿が手元にあったが、それで全てが網羅されていた訳ではない。そう思うと気後れがする。そう言えば革命の中国を描いた「ワイルドスワン」上下も、かつて「文化大革命」に社会主義と人類の未来を確信し「毛沢東万歳」を叫んだ者として、革命中国のもう一つの真実を知りたいと本屋でつい手が伸びてしまったのだが、中学生の娘に先を越され、未だに娘の部屋の本棚の奥に収まったままである。 それでも、「面白かったわよ」という知り合いの一言で気持ちが動き、大晦日の夜一気に 300ページ読み終える。そこには私の良く知った「駒場砦」の千八百人の懐かしい「戦いの日々」と、与かり知らない「テロリスト」の生活がオーバーラップして描かれ、思いがけない結末と併せ、面白く読むことができた。それに電通のサラリーマンらしく情報化社会と、薬物と銃器とホームレスが蔓延する大都会の病理が背景として鋭く描かれ、このままでいいのかと言う警鐘にも聞こえる。そして主人公のアル中のバーテンダーと駒場時代に共に暮らしたことのある、官僚上がりの政治家の娘にして外交官夫人たる園堂優子なる魅力的な登場人物が、当時劇団駒場の主宰者だったAと暮らし、子供までもうけて、後に別れたと聞くFと、「優子」という名前と併せてとても良く似ている様で、何処かで二人は交錯することがあったのだろうかと懐かしく思い出された。 因みに作者は藤原伊織、S23生、仏文科卒。講談社より定価 1,400円で発売中。 ●「オウムと全共闘」と「尊師麻原はわが弟子にあらず」 これも新聞の書評で、かつて全共闘の隊列にいたという評論家の小浜逸郎が、全共闘運動に対して批判的な視点から「オウムと全共闘」という本を出したというのを目にしたので、書店に赴くも売り切れ。「プロジェクト猪」の運営委員会で「全共闘白書」に対する中傷があるので反論すべきではないかとの意見が出るが、組織的には対応しないことにする。全共闘は「来る者は拒まず、去る者は追わず」の中心のない、アメーバの様に捉らえ所のない、流行りの言葉で言えばインターネットの様な組織だったのだから、今になって色々な意見を言う人間が出て来てもとやかく言うことはない。ML派や解放派、中核やらブントやら「革命」を目指す組織、謂わばネットワークがあり、アナーキストや「テロリスト」も紛れ込み、ただの酔っ払いやノンセクトもいて、それぞれのネットワークもあったりして、それらをまとめて「時代」に対して異議申し立てをする組織、謂わばインターネットの様な「ネットワークのネットワーク」、メデイアとしての全共闘だったのである。 インターネット上で商売をする者が現れ、アダルトビデオを流して稼ぐ者が現れても不思議でない様に、全共闘を批判して「世に出る」元全共闘の評論家が現れ、本が売り切れになればなおいいではないか。多分手元の警察の初期情報(黙秘しているので「身元」が余りわからない)に基づいて、安田講堂に立て籠もった全共闘に東大生は少なかったと言って商売になっている警察OBの佐々淳行の事実の歪曲に反論する者がない様に、全共闘の全体像など掴み様がないのである。 ただ一つ言っておきたし、言う義務があるとすれば次のことだ。それは能代高校の同級生の一橋大の小林君が安田講堂に立て籠もった一方で、少なくとも第二外国語として中国語を選択した41(年入学)LT(文科一類…法学部進学予定)2Eのクラスメート25名の内、後にいずれも弁護士になった東、熊井、仁野の3名が安田講堂にいたのも事実なのだ。3/25が多いのか、少ないのか、全体の割合はどうだったのか、私には良く分からないが、41LT2Eの級友で警察庁刑事局刑事課長の篠原君、同じく長官官房総務課長の42LT2Eの奥村君、このことは佐々先輩に会ったら伝えておいて欲しい。もう少し事実をフオローしてくれと。それに佐々氏は「命懸け」だったのかも知れないが、安田の「攻防戦」は飽くまでも戦いを全国に、国民諸階層にアピールし、とりわけ労働者階級に合流をうながす契機に過ぎなかった。一定の時間持ち堪えさえすれば良かったのである。 前年68年の秋に一ケ月弱の五回目の留置場生活を終えてキャンパスに戻って来た時、「帝大解体」「二重権力の創出」というスローガンが掲げられ、寮には重苦しい雰囲気が漂っていた。大学闘争が長引いて社会問題化し、政治問題化していく中で、既に大学の問題は大学内での解決は不可能となり、社会全体の改革の中でしか解決出来ないことがはっきりして来ていた。古い大学を解体し、二重権力状態の社会を創り出す中から新しい権力を創る、つまり革命だ。そして「活動家」は「革命家」になるという飛躍、重苦しい決断を迫られていた。そして何としてでも労働者階級を組織しなければならない。そのための安田講堂だった。 その日一日、学生の闘う姿が国民の目に焼き付けられれば十分であった。二日も持ったのは出来過ぎであった。だが、経済の高度成長により「失うべきもの」を持ち始めていた大多数の労働者は、テレビの前で固唾を飲むことはあっても、隊列として我々の前に登場することはなかった。敗北である。ある者は敗因を「武装」の貧弱さに求め、火炎ビンから爆弾、銃へと武器を単純にエスカレートさせ、悲惨な結末を迎えた。貧弱だったのは武装ではなく、思想だったのだ。またある者は日本の労働者への幻想を捨て、アジアの「農村が都市を包囲する」(毛沢東)とアジアへの傾斜を強めた。途中で旗を巻いて、組織固めのための勉強会と他派の攻撃に明け暮れ、「内ゲバ」に走る者も出た。労働運動や公害反対などの市民運動に合流する者もいた。獄に繋がれ責めを問われる者、生きる望みを失い自ら若い命を絶つ者もいた。そして大多数はヘルメットを脱いで「市民社会」へと戻って行った。いずれ戦いに勝ち負けは必定である。「負ける者」があって「勝つ者」がいる。時に利がなければ負ける。古来より負ければ斬首され、俘虜となり、或いは勝者のために働く。身を潜め、捲土重来を期す者もいる。それぞれの苦汁の選択がある。 そんな全共闘とオウムは関係があるのかないのか。昨年の夏に「プロジェクト猪」はオウム問題の本質を明らかにしようとシンポジュームを持った。評論家の吉本隆明と東大文学部宗教学科の島薗教授(日本宗教学会会長にして元全共闘)を基調報告者に、松沢正博や山崎哲、小阪修平の全共闘世代の評論家や切通理作、岩上安身の「オウム世代」の評論家も交え議論は白熱したが、それに「猪」のメンバーの討論も加えて一冊の本にまとめ、年末に徳間書店から出版した。異論もあったが、題して「尊師麻原はわが弟子にあらず」。オウムと全共闘は無関係と言うことである。無理に関係付けて考えようとする人もいるが、そこまで我々が責任を負うこともないし、オウムにとっても迷惑であろう。目的も手段も、参加する人間の意識もまるで違う。彼岸の幸福を求める者と此岸の幸福の実現を図る者、心の安らぎを求める者と物心両面の充足を求める者、心を預けた絶対者の意思に絶対的に従う盲従者集団と独立した個人の結合体、陰謀と大衆運動と、サリンを撒き大量殺戮をして口を拭う者と、期日と場所を明らかにして大衆を動員しては権力の壁に挑む者と、違いを上げたら切りがない。まして美女を侍らせ、高級外車を乗り回し、薬物を常用しては幻覚を見て失禁し「奇跡」を叫ぶ、多分薬物中毒ゆえに満足な刑事責任を問うことすら難しいかも知れない「尊師」の存在に至っては何をか言わんやである。 しかし敢えて関係ありとすれば、新左翼の隊列の中から連合赤軍を生み出し、血で血を洗う「内ゲバ」に訴える者が出たことである。目的が正しければ何をしてもいい。そこに心の奢り、精神の腐敗はなかったか。衆生の救済のため、来世の幸福のためと称して現世での大量殺戮が正当化される。程度の差はあっても共通するものはないか。そして組織がひとたび「秘密組織」として一人歩きし始めた時の「思考停止」、そこに日本人の精神構造の暗部を見たとしたら大袈裟であろうか。反対者を「売国奴」呼ばわりし、公安警察を使って牢獄に閉じ込め、肉体すら抹殺し、天皇の僕、もの言わぬ「皇民」と化して、煽られるままにアジア全域に「聖戦」の戦火を拡大し、阿鼻叫喚の坩堝と化した。個としての自立の不徹底。多分、天皇を頭に戴いて、「開発独裁型国家」として「欧米に追い付き、追い越せ」と人権無視で突っ走らざるを得なかった、市民革命としての明治維新の不十分性。そこに胚胎する個の確立の不十分性がある。近くには政治改革を選挙制度の改革にすり換え、更に小選挙区制の問題に矮小化していった過程にそれを見る。小沢という「小ヒトラー」が声を大にして小選挙区制の実現を叫び、反対派を守旧派呼ばわりすると、誰もそれが解決策だと思っていないのに反対出来ず通ってしまう。そこに「歴史の繰り返し」の可能性が見えないか。 戦後50年、歴史の節目、社会の変革期に当たって、雌伏四半世紀、今や社会の中核を担うに至った「団塊世代」の緩やかなネットワーク、「プロジェクト猪」が昨年発足して世に問う第一弾、「尊師麻原はわが弟子にあらず」徳間書店より1,400円で発売中。 ●「団塊世代の議員白書」 「プロジェクト猪」は昨年3月に横路北海道知事、橋本高知県知事に岩城いわき市長、青木なち子都議(社会党)、岩田薫軽井沢町議、梅原辰郎目黒区議(自民党)、中村伸行茨城県守谷町議を交え、「地域から政治を変える!」と題して団塊世代の地方議員のパネルデスカッションを行いました。そして、政治不信が極点に達した今こそ、戦後民主主義の洗礼を受け、有権者の2割弱を占めるに至った団塊世代に、地域から政治を面白くする先導役が求められているのではないかという思いを強くしました。 そこで昨春の統一地方選挙後に同世代の地方議員・首長・国会議員を対象に、政治家としての夢と希望を語ってもらうことを企画。全国3300余の都道府県、市町村の議会事務局を通じアンケート配布をお願いし、自民党から共産党まで超党派の議員から509 通もの回答が寄せられました。 142項目にも上る濃密な設問への回答と「政治家の夢を子供に語る手紙」は、まさに「まだ日本の政治も捨てたものではない」と有権者を元気づけてくれるものばかり。これをコンパクトな本に纏め1月末に刊行。2月2日に憲政会館で出版記念会を行いました。故郷秋田からも能代高校の同級生松谷能代市議はじめ16名の方から回答があり、帯にも刷られた「援(タークン)へ」の手紙の小畑元大館市長他7名の「手紙」が全文掲載されています。これを契機に「地域と世代」をテーマに党派・イデオロギーを越えたネットワークを立ち上げて、政治の活性化につなげていければと思います。 因みに本のタイトルは「団塊の世代議員白書」。1800円で講談社より発売中。 ●風流の初めや奥の雪見酒 シンポジュームやパネルデイスカッション、相次ぐ本の出版と「余暇活動」を精一杯頑張った中年「猪」の疲れを癒そうと、1月末の週末に運営委員有志で新潟の奥只見は湯之谷温泉に出掛ける。小生の車両本体価格 100万円、7人乗りの旧型シャリオにスタッドレスタイヤをはいて桂木(農工大)、若山(明大)両氏と先ずは八海山スキー場を目指す。3時間半ほど走って1時頃麓に着く。スキー場でまずいものを食べるよりはと、「此岸亭」なる美味しそうな蕎麦屋に入る。旨い手打ち蕎麦には日本酒が合うと、ビールの他に八海山の純米酒を旨い、旨いとコップ2杯づつ飲んでしまい戦意喪失。このまま飲んでいようとの意見が出るも蕎麦湯をガブ飲みしてスキー場へ。 夕方、浦佐駅で伊藤(東大)、梅沢(法大)、前田(東大)、松沢忍(立命館)を待つも新幹線大混乱。80分遅れで、やむなく駅前のラーメン屋でチャーシューを肴にしばしビール。800 年の歴史を誇るホテル湯元に着いたのが8時近く。一風呂浴びて一杯やって、もう一回露天風呂で飲み直そうと、緑川の純米酒をペットボトルに詰め直して、吸い物のお椀の蓋を懐に大きな岩風呂へ。雪景色と星空を愛でながら、お椀の蓋を湯に浮かべて雪見酒と洒落込む。 ●2・9 第四回「町興し」講演会 41LT2Eの級友、外務省国際情報局参事官、前北京日本大使館公使の下荒地修二氏を迎えての、過ぐる12月2日の第三回講演会「環日本海の時代」に続き、来る2月9日(金)3時より同じく同級生の大蔵省東北財務局西田等局長を故郷能代の「プラザ都」に迎え、第四回「町興し」講演会を開催致します。西田君は昭和45年東大法学部卒業と同時に大蔵省に入省、要職を歴任した後、昨年より東北財務局長の任にあり、現下の焦眉の課題である住専問題を始めとした金融危機の東北に於ける責任者としてその解決に当たると同時に、精力的に管内を視察し、東北経済の実情把握に努めております。長年の大蔵省勤務で培った経済に関する深い識見と併せ、「維新以来」という構造変革を迫られる日本経済の行く末について、財政・金融問題の解決の道筋について、そして、東北経済の実態と活性化について、有益な意見を聞かせてくれるものと思います。質疑応答の時間と、食事を取りながらの懇談会もありますので、併せて国民の意見の分かれる金融危機の解決策について、庶民の忌憚ない意見を大蔵省に伝える又とない機会、西田君にとっても国民の本音を知るいい機会だと思います。 今回は題して、「日本経済の変革とみちのく経済の未来」。能代市役所の補助金を今回は頂くことが出来ましたので、会費も千円ダウンして六千円。故郷の多数の皆さんのご参集をお願い致します。連絡は小生か「能代山本フオーラム21」事務局飯坂(рO185-54-8953)まで。 ●3・14第六回三鷹クラブ定例懇談会 準会員の東篠巌数理技研社長兼東京インターネット取締役を講師に迎えての、1.19第五回東大三鷹クラブ定例懇談会「インターネットの可能性」には90名近くとこれまでで一番多くの会員が集い、この問題への関心の高さを伺わせました。次回は3月14日(木)に元経済企画庁次官の赤羽隆夫慶応大学総合政策学部教授(S25年入寮)を講師に「日本経済の進路」という題で行います。次々回は5月20日(月)、小林武夫帝京大学医学部耳鼻咽喉科教授(S26年入寮)を講師に、テーマは「医者から見た医者のかかり方」です。 いずれも神田の学士会館で午後6時開場、6時半会食、7時開演、会費五千円。9時から近くの中華料理屋「三幸園」で二次会、会費三千円。 ●「愚公山を移す」に似たり 正月早々、中小企業庁指導部長(経済企画庁より出向)の堀一君から、「ろそろやらないか」と電話。それでさっそく三鷹寮の同期会の手配。サラ金に借金している訳でもないし、頼むことは山とあっても頼まれることは余り無いので、催促と言えばそんなところだ。国会が忙しくなる前にということで26日(金)に設定。これで23日(火)の41LT2Eの同級会と週の内に新年会の幹事を二回。「終身幹事」等と煽てられて(?!)、我ながら「好きだなー」と苦笑い。同期会には住友電工から鴻巣の豊国電線に出向して単身赴任の秋江君が帰阪を最終の「のぞみ」に変更して駆け付け、昭島で医院を開業する山川君は寮の先輩達が出資してつくったという銀座のシェノザミで二次会から合流。30年振りの対面も多く、16人で大いに盛り上がる。 そんな初顔の中に大阪から上京した高見邦雄君がいて、二日間仕事の合間を縫って二人で霞ヶ関界隈を右往左往。私の前に寮委員長をして、駒場で大学を中退した高見君は長らく大阪で国際交流や公害反対の市民運動をして来ていたが、ここ数年は中国でも最貧の山西省の黄土高原の半砂漠に木を植える運動に取り組む。かつては文明の中心として栄え豊かな森林だった、日本の国土の 1.7倍、63万平米の広大な黄土高原に人手で木を植え、緑の環境を回復しようとするその努力はまさに「愚公山を移す」(毛沢東)が如き、気の遠くなる様な作業に思える。それでも、全くの素人から始めてこの4年間に彼の地に 350日滞在。1440haの土地に落葉松などの木を 360万本植える。 数代に亘る愚公のひたむきな行為を見るに見かねて、「天」がある時山を移してやった様に、実績が上がって来ると支援者も増える。郵政省のボランテイア預金、環境事業団や国際交流基金等、国の支援も得られる。そんな訳で郵政省主計課長の有富君(S43入寮) や環境庁保健企画課長の小島君(S43入寮) 、外務省の下荒地君、林野庁林政課長の小畑君(S42入寮) 、文部省人事課長の伊勢呂君(S43入寮) 、それに東京海上火災保険社会貢献室長の兼田君(S42入寮) にKDD営業部部長の勝部君(S43入寮) 等の間を二人で駆け回った訳である。 いずれ黄土高原が再び緑で覆いつくされれば、春先に黄砂で目をつむったり、洗濯物が黄色になるようなこともなくなるだろう。黄土高原の緑が二酸化炭素を吸収し、地球の温暖化が抑制されるかも知れない。黄土高原が豊かになり、文盲が一掃され知識レベルが上がれば、出生率も下がり、地球の人口問題も緩和されるだろう。そんな「夢」を私も現代の「愚公」と一緒に見たい。そして共に支援することを呼び掛けたい。そういう訳で高見君が事務局長をする「緑の地球ネットワーク」のパンフレットを同封します。中国では一円で苗木が一本、使い終えたテレホンカード1枚で10本苗木が買えます。あなたの年会費で1万2千本の木が植えられます。植樹ツアーに同行するのもいいでしょう(最も水洗トイレとウオシュレットのないところには行かないと私は言いますが、地球大のトイレは気分がいいよと彼は誘います)。又、KDDに登録すれば、家庭からかけた国際電話料金の数%を高見君の運動に回して貰えるシステムを勝部君に作って頂きました。ご協力いただける方は私か高見君に連絡して頂ければと思います。 ●Five I's 女性のための研修ツアー そんな勝部君から「もう水族館通信出しちゃった?」と突然電話。「今日家へ帰って仕上げる積りだ」と答えると、「それじゃ載せてよ」と一枚のFAX 。 上記研修ツアーは本部事務局を非営利の任意団体「カテナ文際交流センター」内に置く「ホームステイ交遊全国ネットワーク」(会長:三谷誠一(前三菱銀行国際財団))が「市民による地域づくりと新しい市民生活の知恵を求めて」ホームステイによる国際交流を志す女性のために実施するものです。興味のある方は勝部君(рO3ー3275-4403)又は「5I's女性のための米国研修ツアー」係(рO3-3209-4971)までお問い合わせ下さい。 ●オス緬羊の臭いがする 仕事柄、住宅都市整備公団やJRの工事事務所、日本設計や大成建設等のある西新宿に出掛けることも多く、通る度にホームレスの体から発散されるあの異臭に吐き気がし、かつて田舎で飼っていたオス緬羊を思い出してしまう。 90才でまだ健在の父は兄にその地位を譲るまで、15才から50年間明治以来の「家業」である郵便局を営む傍ら、村の世話役として村中で緬羊を飼って生地や毛糸に交換する「運動」をしたり、乳牛を飼って村人にも勧めたりしていた。それで9人の子供は家畜の世話や牛乳配達をさせられたのだが、秋になると村中の緬羊が我が家の庭に集められ、丸裸にされ、夜は織物メーカーのバイヤーと物々交換する村人で家の中は溢れかえる。季節になると庭に集められた村中のメス緬羊を相手に、村で一匹だけの我が家のオス緬羊がせっせと生殖活動に励む。あのオス緬羊の臭いに西新宿の地下道の臭いは同じなのだ。あらためて男もオスであり、人も又、獣なのだと確認させられてしまう。 そんな臭いを発散させながら野宿するホームレスも大変だとは思うが、通行人の立場に立つとどうにかして欲しいと思う。そんな時に段ボールの家の撤去騒動があって、反対運動を組織しているのはかつての新左翼の流れをくむ組織らしいと聞き、考えさせられてしまう。やみくもに都の方針を糾弾するだけではホームレスの窮状は解決されず、通行人の迷惑も変わらない。ホームレスを仮に組織できたとして社会の変革に結び付く訳でもなかろう。都が収容施設を作り、仕事をみつける算段をするというのだから、一応話し合いのテーブルに着き、都の方針が不十分なら対案を出して解決を図るべきではないのか。社会が大きく変わる時に、相変わらず惰性で運動している様な気がしないでもない。 かつて一週間ほど風呂に入らなくても気にならず、週二回、一回15分間、スチームバスに一斉入浴させられる中野刑務所がとても清潔なところに思われたのに、今は毎日風呂に入らないと気になる様になった「変節漢」のたわごとであろうか。 遂に6ページを突破してしまいました。読了ご苦労さんです。 96年 凛とした季節に 干場 |
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