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水族館通信  NO.7    95年 冬     


知人・友人各位

 立冬も過ぎ、朝夕の冷え込みもようやく厳しくなり、北の国からはスキ-の便りも聞かれる頃となりました。白銀のゲレンデに思いを馳せながら、本年最後の水族館通信をお届けしたいと思います。

●寮祭復活す!

 東大教養学部生の青春の城、東大三鷹寮が40余年の栄えある歴史を閉じ、東大三鷹国際学生宿舎として再出発して三年目、全く様変わりした寮はエアコン、シャワー付きのワンルーム。いずれ 1,000人、現在 700人弱の寮生の1/3 が留学生で、100 名が女子、入寮選考は学生に代わって大学がする。寮生が集える場はフロア毎の小さなラウンジと150 人収容の共用棟ホール。食堂、風呂はなし。贅沢だという声もあるようですが、食堂、風呂を含めて大きな集いの場も、入寮選考権もないのは、環境庁プロパーの課長として水俣病補償問題の最終解決に奔走する小島敏郎第38期寮委員長(S43 年入寮)の時代をクライマックスとする「全共闘」運動で、「自治寮」の三鷹寮が果たした拠点としての「役割」への、四半世紀遅れの文部省、大学なりの回答なのだという気もします。冷戦体制が崩壊し、スチューデントパワーも今は昔の感のある時、「角を矯めて牛を殺す」如きですが。

  そんな宿舎でも「アパート化」を憂える若者が「自治会」に集い、連帯と交流を求めて、10月28,29 日と復活寮祭(宿舎祭)を挙行。自治は与えられるものではなく作り上げるもの、「民主主義の学校」であれば、寮祭はその復活の第一歩、若者の気概やよし。更に三分の一が留学生という国際学生寮としての再出発は、かつての三鷹寮にはなかった国際連帯の新たな大きな可能性をも期待させます。その趣旨に共感して、東大出身で大陸生まれの加藤登紀子さんが一昨年の駒場祭での駒場寮廃止反対コンサート以来の友情出演。(寮祭の様子はこちらhttp://www.ne.jp/asahi/mitaka/club/sharaku.htm)

 ところが、彼女の「TALK&SHOW」は3時からなのに2時を過ぎても寮生は全然集まりません。「寮生は昔からルーズなんだよな」と思いながらも、ボランテイアの彼女の手前ガラ空きじゃまずいなと気になります。リハーサルの「オトキ」も気になるらしく、「こんな時は宣伝カーでがなり立てて歩きたくなるわね」と暗に催促。今度は私が「全寮放送をガンガンして部屋から追い出そう」と現役を促すも、すぐさま「先輩、何度もやってますよ」。「それなら手分けして一部屋づつ回って引っ張り出して来よう」、何やら学生運動の昔を思い出す様な言葉を口にして苦笑い。それでも開演間近にはあちこちの棟からぞーろぞろ。それにOBが20人ほど、市報や読売の前週の日曜の武蔵野版(S43 年入寮の社会部の金丸デスクが武蔵野支局に振ってくれた)を見た三鷹市民、外部の学生、留学生も沢山参加して、床に直かに座って250 名ほどでどうにか満員、嬉しい気分。

 寮祭は尻上がりに盛り上がり、トキコショーの後の交流パーテイにも沢山の市民が残り、NHK衛星放送の取材を終えて途中からオトキも合流。留学生のフラメンコや東欧のダンス等もあり、生ビール片手にインターナショナルな世代交流と地域交流。交流パーテイの後は学生主体のデイスコパーテイ。ノリのいい東南アジアからの留学生を中心に最初はおずおずと、次第に大胆にカップルの輪が広がり、途中参加の寮生も増えて、深夜まで盛り上がりました。

  他にOB参加のテニス大会、オールナイトビデオ上映会、国際電話掛け放題のイヴェント、国際色豊かな屋台も出てとメニューも盛り沢山。OBも多少の手助け。東大三鷹クラブは30万円のカンパ。寮友に支援を呼び掛け、黒瀬さん(S35 年入寮)のいるサッポロビールからは生ビール一式、谷(S33 年入寮)、長谷川(S45 年入寮)両名等のニチレイからはハムや酢ダコ、オイルサーデイン等のつまみとアセロラ等のソフトドリンク、勝部君(S43 年入寮)のKDDからは国際電話掛け放題のイヴェントサービス、S34 年入寮の高橋さんの日本ビクターからはAV機器の貸与、東進スクールを経営する永瀬兄弟(S43,45年入寮)の潟iガセからは10万円の寄付を頂きました。

 10年近く前の旧寮解体の際の“寮解セレモニー”では多数の寮友が集い、“自治の城”との別れを惜しみ、夕刊紙でも大きく取り上げて貰いました。今回も事前に読売新聞、二日後の夕方にNHKの首都圏ニュースで取り上げて貰いました。NHKBSでも登紀子さんに焦点を当てて「心の旅路」で放映されました。読売のインタビューにも答えましたが、ワンルームタイプの新寮は時代の流れとしても、それを機に自治権を取り上げ、“集いの場”を小さくするというのは如何なものでしょうか。オウム真理教事件では在家幹部信者の寮の部屋の家宅捜索も行われました。時代の中で孤立する学生が増える今こそ、“自治と集いの場”“連帯と交流の場”としての寮が必要とされているのではないでしょうか。又、大学としても千人の寮生を直接コントロールするよりも、寮生の自治を拡大して行って、間接的にコントロールする方が合理的ではないでしょうか。今回の寮祭の成功がその一つのステップになれば幸です。今回はOBの私が大部シャシャリ出ましたが、来年と言わず年内にも、寮生自身の手で更に素晴らしい交流と出会いの場を作ってくれるでしょう。その時は慣れない手付きで生ビールのコックをひねるのではなく、甘いカクテルでも飲みながら、若いカップル達のデイスコダンスでも観賞していたいものです。

●百、千の銃よりも……同好会に集まろう!

 岩崎力さん(S35年入寮、ニッサン、大井製作所取締役)と組んで勇んで出場したテニス大会ですが、アピ(タイ)・セラム(トルコ)組に4対1で緒戦であえなく敗退。ところが、木村光宏さん(S37年入寮、隆・佳男三兄弟の長兄、住都公団東京支社再開発部長……いつも仕事でお世話になっています)と組み直した岩崎さんは並居る「世界の強豪」をなぎ倒して優勝。卒業以来ほとんどラケットを握ったことがないとは言え、これでは元八森中学校軟式庭球部男子キャプテン(かわいい女子部員が目当ての「口先だけのキャプテン」だったとの声あり)の「メンツ」は丸潰れ。そこで二先輩と語らいOB会にテニス同好会を結成し、来年に向けて技を磨くことにしました。又、テニスはどうもという方には卓球部のお古の台が3台ほどあって、寮生がよく卓球をやっていますので、卓球同好会もいいと思います。世話人会に諮り、寮委員会や大学にも相談してあらためて案内したいと思いますが、月一回くらい土、日に現役も交え寮で例会を開き、終了後相手をしてくれた寮生に会費代わりに昼飯を御馳走するなどというのはどうでしょうか。それに研究所やショールームに転がっている試作品や、売れ残りの在庫のカラオケを寮に持って来たら寮生の交流に一役買えるのではないかと、日本ビクターの高橋さんに悪乗り序でに提案したら、どうにかしようということでこれも楽しみです。

 何やら「欠食児童」を飯で釣るようで昔の自分を思いだしますが、腕磨きと「児童福祉」併せて世代間の交流を計り、国際感覚を磨くことも出来ます。夫婦で参加するのもいいでしょう。又、会社の人事担当者には若者文化を勉強し、優秀な学生に会社をPRするいい機会にもなるでしょう。そして寮生同志、寮生とOBの交流の中から留学生との交流も深まり、相互理解が進みます。毎年百人以上入寮して来る留学生諸君が日本と日本人、東京大学や三鷹市等の地域に対して少しでも良い感情を持って帰り、それぞれの国の各界でいずれ目覚ましい活躍をする様になれば、どんなに素晴らしいことでしょうか。それは日本が「普通の国」として、周りの国に対して百、千の銃を備えることよりも価値あることではないでしょうか。その時、東大三鷹クラブのネットワークも世界に広がります。

●「トキコ党」宣言

 今回の寮祭の一方の主役が藤井実行委員長を筆頭とする寮生とすれば、もう一方の主役は無料出演というのに開演何時間も前から姿を現し、何の設備もない寮のホールでも一番いい状態での演奏を追求、絵の中から抜け出したように美しく映えて、女神の様に見えた「オトキ」。さすがプロ。ギター一本で休憩も取らずに二時間、歌って、語って聴衆を魅きつけて離さず。戦後50年の「戦争と平和」について、アジアとの連帯から恋の手解きまで、若者を「煽り」ます。かつて東大闘争の端緒で私たち学生は、医学部学生の処分撤回のため総長交渉を求めて安田講堂に200人ほどで突入し、S43年の卒業式を「粉砕」して講堂前の広場で集会を開いて気勢を上げていました。その時ジーパンを履いて隊列の後ろにいた彼女を見て感心するのも束の間、マスコミの取材陣が現われるや隊列を抜け出し、卒業証書を振りかざしてカメラマンにポーズを取り、一瞬のうちにいなくなるのを見て、何だこの女は!チャラチャラして!と私は思ったものでした。しかし今回、寮祭に出演して頂いてこのイメージは一変。男は「変節」しても女は変わらず「思い」を育む、そういう気がします。

 そんな彼女に私も何やら「煽られた」ようで、ここに「トキコ党」宣言をしたいと思します(その「証し」として寮祭では3枚購入した彼女のCDのジャケットにサインを貰いました)。そして、なかなか腰の定まらない横路先輩よりも、彼女を党首に担いで第3極の新党を旗揚げをしたい思いに駆られますが、短絡的な「政治活動」は男の発想で彼女の本意ではないでしょう。ここは彼女のグラウンドで気長にお付き合い頂くことにして、田舎の八森の町興しにでも協力して頂けないものでしょうか。

 神秘の山、世界文化遺産の白神山を背に、見るもの全てを真っ赤に染め上げながら日本海に大きく沈んで行く夕陽に向かって、語り掛けるが如くに人生を唄い、自然を称えてもらう。その時彼女の片手には全国品評会金賞に輝く地酒「白瀑」(越後の白滝とは違う)の「ブナのしずく」のグラスが握られ、乾いた彼女の喉を潤します。これぞ彼女のトレードマーク「ほろ酔いコンサート」の極め付けではないでしょうか。この夏には彼女も秋田市でコンサートを持ったようですが、秋田から車で1時間半、幸いこの春には八森にも小さいながらも町民ホールも出来ました。大きな街の大きなホールでのコンサートもいいと思いますが、白神の山が海に雪崩れ込む、その波打ち際に静かに立つ小さなホールの、小波を伴奏にした、町民全員参加の小さな演奏会も素晴らしいのではないでしょうか。

●今日はポーターがいるから

 9月の最初の土曜日には駒場の同級生、JR東日本本社営業部松元直歳部長を招いて二回目の「まちおこし講演会」を故郷、能代で行いました。わざわざ休暇を取って遠路お来し頂いた松元君は勿論のこととして、宮腰能代市長、山木能代商工会議所会頭、能登県議、梅田、松谷能代市議、山口北部漁協組合長等多数の方々のご協力を得て、今回も成功裡に終えることが出来ました。今回は、JR東日本秋田支社営業部長、能代駅長、東能代駅長等の支社幹部、それに岩館で郵便局を営む兄にも出席していただきました。勿論、今回も「能代・山本フオーラム21」事務局長の飯坂君の尽力を抜きにしては何も出来ませんでした。重ねて皆様方に感謝の意を表したいと思います。

 今回の講演会を前後し松元君はJRから古巣の日本航空に帰りましたが、「空」と「陸」の営業を熟知した彼の話には説得力があったのではないかと思います。観光開発に一番必要なのは地元の熱意であり、それがあればJRやJAL、旅行会社をも動かすことが出来る。しかし、そのためには「地元の都合」に客の都合を合わせるのではなく、「お客様第一」に徹すること、発想の柔軟性が必要なこと、そうして初めて夏の沖縄や冬の北海道観光の現在があり、最近では「佐渡冬紀行」の成功があると、具体例が語られました。こんな遠い所、寒い所に誰が来る?諦めてはいないでしょうか。今こそ逆転の発想が必要ではないでしょうか。能代・山本には十分に人を魅きつける「何か」があると私には思えるのですが。

 実際、講演会の翌日、日本海沿いに県境を越えて十二湖まで松元君を案内した時に、その景色に感嘆することしきりでした。それに八森の斎藤食品で昼食を取ったのですが、取れ立ての魚の旨さに感激、イカ刺定食の他に、「美味しい、美味しい」とイナダの塩焼きにカレイの煮付けと、陽はまだ高いのに次々と頼んでは地酒の白瀑を注文する始末。更に観光市の一本六千円の鮪に感激、「カミさんは三崎の出だから魚を捌くのがうまい」と東京に持ち帰ることにして、その時の言葉が「今日はポーターがいるから」。かくて羽田まで鮪を持たされる羽目に。次の日「旨かったぞう」という電話が勿論掛かって来ました。

●老小平後の中国と環日本海の時代

 ところで、「能代山本フオーラム21」の三回目の「まちおこし講演会」も、昭和41年入学の駒場の中国語クラスの同級生下荒地修二君にご足労頂き、12月2日(土)に行います。下荒地君は兵庫の灘高出身で、45年に東大法学部を卒業後外務省に入り、この7月まで3年ほど北京の日本大使館で公使をし、現在は外務省国際情報局参事官の要職にあります。北京の前の任地はソウルで、台北勤務の経験もあり、極東アジアの専門家、「環日本海の時代」を語るには打ってつけの講師です。そして、老小平の容態は?老小平後の中国は?中国と北朝鮮・ロシアの関係は?朝鮮半島の行方は?焦眉の課題について、第一線の外交官としてズバリ答えてくれるでしょう。そこから豆満江開発等「対岸」の可能性、「対岸」との付き合い方へと自ずと話は発展して行きます。過日、能代市の金田助役に同行、ニチレイで能代港の冷蔵倉庫の可能性について話を聞いた際も、「北秋」など「後背地」をどうまとめるかと並んで、対岸との活発な交流なくして能代港の発展の可能性は少ないという感を強くしました。

 そこで、第一回の運輸省第一港湾建設局石山新潟港工事事務所長の「港を使った町興し」に続いての今回のテーマとなりました。次回の講演会も能代の「プラザ都」で三時から講演会、五時から懇親会と、前回同様の形式で予定しています。故郷の皆様の再度のご協力を宜しくお願い致します。

●「日本に未来はあるか!」政治家大討論集会

 戦後政治体制の終焉と経済のボーダレス化が社会の全ての局面で激しい移行期のきしみをもたらし、深い混迷と時代閉塞の状況を呈する今、東京大学出身の気鋭の政治家とジャーナリストが、母校の駒場祭で一堂に会し、混迷の時代を切り、あなたと共に明日への展望を語ります。

 長い不況の出口も見えないままに、一方では「オウム」の事件が発生し、他方では磐石と思われた金融と官僚制度の腐敗と限界が白日の下に晒されつつあります。そんな日本に未来はあるのでしょうか!この状況を打ち破るためには強力な政治が必要と、選挙制度の改革が行われました。だがその選挙制度について政権与党自由民主党の加藤幹事長すら、誤りだったと公言して憚りません。反対派を「守旧派」と決め付け、必ずしも支持されない制度が成立します。これでは小沢は麻原、物言えぬ政治家は「オウム」、新選挙制度は「サリン」と言われても仕方ありません。政治と社会の改革は遅々として進まないまま、選挙だけが一人歩きして、日本の政治と社会はこのまま「ポア」されてしまうのでしょうか。

 そんな政治に誰がした!政治のレベルは国民のそれの反映と言ってしまえばそれまでですが、党派を超え本音で語る政治家諸氏と、未来を担う若者と共に、国民に幸福をもたらす政治とは何かを語り合い、生の声を伝えようと、軟派の企画が多い中で三鷹寮委員会の諸君と共に敢えて硬派の催しを企画しました。要領は以下の通りです。出席予定・・・新井将敬(新進)、五十嵐ふみひこ(さ)、江田五月(新進・三鷹寮)、 白川勝彦(自)横路孝弘(無)、浜野朝日新聞編集委員、広中読売新聞政治部デスク、 松本日本経済新聞新聞編集委員(三鷹寮)、井芹共同通信政治部デスク、 司会(予定) Mr.クリスチャンセン(ハーバード大、東大法学部政治学科客員研究員)11月25日(土)PM1時〜5時 東大教養学部11号館1108番教室、終了後二次会あり。

 主催  東大三鷹国際学生宿舎自治会有志    後援  プロジェクト猪

●鈴木水産・鈴木社長殿

 夏休みに帰省した際は突然お伺いし、失礼致しました。そのうえ蒲鉾のお土産まで頂き有り難うございました。この夏の帰省では八森町内の御社や加賀木水産が様々な海の幸の商品化に取り組んでいるのが嬉しくなって、色々お土産を買って来てしまいました。これまでも秋田へ出張した際は、仕事でお世話になっている秋田ゆかりの方に、秋田空港から御社のハタハタの鮨と加賀木さんの小やりイカの沖漬け等を送らせて頂きましたが、「自分も食べたことがないのを送るのは失礼じゃないの」という“神のお告げ”で、加賀木さんの小やりイカの沖漬け等を買って帰った訳です。それで幾つか食べてみたので、多少辛口になりますが感想を述べてみたいと思います。

 帰京の翌日早速、御社の鰊の糠漬けと加賀木さんの缶入りのツミレを夕飯の食卓に並べてみました(というと自分が並べた様に聞こえるので、並べてもらったというのが正確な表現です)。鰊の糠漬けは昔、初夏の田舎の海で大量に穫れた鰯の糠漬けを思い出させます。箸できれいに三枚に分けてそのまま食べることが出来た、塩味と酸味が適当に効いた懐かしい味です。人によっては、鰯は又穫れようになったのだが網から外す人手がないので穫らないのだとか、最近の日本海の鰯は脂がのっていないので美味しくないから取らないのだとか言いますが、生きている間にもう一度あの味に出合うことはないのでしょうか。日本海に初夏の鰯が来なくなくなったのは確か私が中学生くらい、初恋の頃なので、舌が寂しい思いをするようなってからかれこれ三十年以上になります。“生きている間にもう一度”と表現しても決してオーバーではないでしょう。出会えたらそれはきっと、何十年振りかでバッタリ出会ってドギマギしてしまった初恋の人。そんな“味”がするのではないでしょうか。それにツミレは“腐るほど”穫れた鰯を、母親がトントン叩いて作ってくれた、文字通りおふくろの味です。

 そんな思い入れのある糠漬けとツミレなのですが、鰊は糠を落としてオーブンで焼き、ツミレは味噌汁にしてもらいました。“給食のオバサン”(侶れ合いは学校給食の栄養士)を含めて家族全員の感想は両方とも“しょっぱ過ぎる”というものでした。自分も口にしてみると確かにだいぶ塩辛い感じがします。子持の鰊だったのですが、まるで塩出しに失敗したカズノコの様です。戦後の食料の乏しかった頃には一般的だった味ですが、これでは今の都会の食卓には馴染まないのではないでしょうか。それに昔と違って脳卒中等成人病追放のために「減塩」が叫ばれるようになってこの方、秋田でもどんどん薄塩になり、こんな塩辛い味には最近出会ったことがありません。或いは単純に焼く、味噌汁に入れるという調理の仕方がまずかったのかも知れませんが、別な美味しい食べ方があれば、教えて頂ければ幸いです。ハタハタ入りの蒲鉾はもう少し塩味を押さえていいかと思いますが、美味しくいただきました。かわいいハタハタの形をした蒲鉾が一枚づつ袋に入って、食べやすい様に工夫してあります。加賀木さんの岩海苔の佃煮と小ヤリイカの沖漬も美味しくいただきましたが、お茶漬けは塩味がきつ過ぎないでしょうか。

 今月初めの秋田出張でも、空港の売店で加賀木さんの捩子林棒の様な大きな蒲鉾をみつけて嬉しくなりました。願わくば塩味に一工夫加えて、鈴木さんと加賀木さんが競争で新商品を開発するのは八森町の発展に役立つのではないのでしょうか。

●海鮮紀行一周年

 秋田北部漁協の海の幸の産直「八森海鮮紀行」の誌上での案内から、早一年が過ぎました。呼び掛けに応え、わかっているだけでもJR東日本取締役高崎支社長の今木さん(S39年入寮)、目黒駅ビル取締役の内田さん(S42年東大文科I類、自称アンチ全共闘)等、何人かの方々にご協力いただいています。ありがとうございました。 因みに十月のメニュウはハタハタ4匹に、真鰈4枚、ヤリイカ4杯、アンコウ鍋セットに生ワカメと盛り沢山。送料込み、年会費3万円で6回、取れ立ての日本海の幸が直送されて来るので、採算は取れているのと心配になってしまいます。そんな海鮮紀行への引き続いてのお引立てをお願いして、今回の筆を置きたいと思います。

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