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アマダイ通信  NO.29       2002年陽春

注)文中に出てくるはアマダイこと不肖干場革治のことです。
(Tile Fish Network Letter)

 知人・友人各位
 今年も我が家の脇を流れる小平用水の、公有地の土手に植えた水仙と、ヒヤシンスが可愛い花をつけ、チュウリップも茎を伸ばして来ました。草花が芽を出し、花をつけると、雑草も顔を出し始めます。綺麗な草花だけ芽を出す。そんな都合良くは行きません。
 人間界でも同じでしょう。誰かが「正邪」を見分ける権限を一手に握り、「正義」だけを生かし、「邪悪」を根絶やしにしようなんてことは御免被りたいし、不可能です。私だって正義を主張する権利を持ちたいし、存在に根拠があるものなら、気に食わない相手とも必要な範囲で関係を改善し、共存したい。経済の回復と世界の平和、皆さんの健康を祈念しながら、通信陽春号を送らせていただきます。

◎お酒は一日2合がいい
 人手で植えられた花は大きくて見栄え良く、見た目を楽しませてくれますが、逞しく生える野蒜やタンポポだって、人様の役に立たなくても、自然界ではそれなりの役割を果たしています。今は土手の野蒜やタンポポをひっこ抜いて捨てる私も、広大な三鷹の学寮に住んでいた時は、野蒜を洗い、味噌をつけて夜のコンパのつまみにしていました。飲み屋に行けばエシャレットと称し、結構な値段がつく、あの仲間です。かって寮には東大の馬術部の馬場があり土地が肥えていた?せいか、大きな野蒜が沢山生えていました。24時間革命のために!なんて気負って、デモだストライキだと走り回っていたのですが、エアポケットの様に空いた時間に野蒜を摘んだり、金盥に穴をあけて紐をつけ、残飯を入れて、汚い防火用水にたらしてクチボソを捕り、カラ揚げにして酒を飲んでいたのです。
 馴々しくって図々しいお前がそう思っているだけだよと先輩諸兄からは笑われそうですが、そんな寮での生活体験を共有すると親近感が生まれるのでしょうか、都市基盤整備公団の公園緑地担当の理事だった伊藤英昌先輩(S38年入寮)の様に3年も上で、一緒に生活した訳ではない先輩とも、意思疎通がしやすい感じがします。公団の公園緑地部は専門家の少ない全国の市町村の公園や、公園の中の体育施設や文化施設の設計・施工の発注業務を代行しているのですが、建築関係のメーカーの営業の手伝いを生業としている関係で、何度か商品のPRの機会を作っていただき、仕事のお手伝いをさせていただきました。そんな伊藤先輩から、役所を止めて少し暇になったからたまには遊びに来いと案内があったのを幸い、夕方顔を出させていただくことに。何時も世話になっている設計事務所の幹部も同行。公団の仕事を余りしたことがないので勉強のため同行させてくれと言われると、メーカーの営業として断り辛いものがあります。
 先輩に、お前は秋田の出身だからと田舎の地酒、まんさくの花の置いてある小料理屋に案内してもらい、話しが弾む。先輩によると、酒は一日2合がいい、2合までなら百薬の長だとのこと。そう言えば毎晩大体二人でビールを一本飲んで、冷酒を4合瓶一本空けるので、丁度いい計算。一日4合飲んでも次の日飲まなければいい、一日で一週間分飲んでも、残り六日間飲まなければいいとのこと。それじゃ一日で一年分飲んでも、残り364日飲まなければ大丈夫なんですねと混ぜ返します。過ぎると体に悪いとわかっていても、なにかと理屈をつけて飲みたがるのが飲んべい。健康を気にし過ぎて、飲みたいのを我慢してストレスを貯めるより、美味しい酒を飲んだ方がいいと、今宵も鯨飲。

◎私は20万、あんたは200万円
 最近、たまにタクシーに乗ると道を知らない新米の運ちゃんが多くて困ります。この所の不況で事業に失敗したり、リストラで解雇された新参者が簡単に雇ってもらえるからです。ただ、参入者は多いのに不景気で乗る人も少ないので、稼ぎも気の毒なくらいに少ない。聞けば月30万円くらいが精々で、ギャンブル好きな者が多く、月の半分が休みなので、その稼ぎもパチンコなどですることが多いのだとか。
 先日も神奈川新聞、テレビ神奈川、横浜市の3者で元町の神奈川新聞の旧社屋跡地などの再開発が動き出したので、能代高校、東大の先輩で、朝日新聞の取締役から神奈川新聞の社長に就いた水木初彦さんに久し振りに会っていただこうと、桜木町からタクシーに乗る。こちらがはっきり覚えていないのも悪いのだが、道を知らない運ちゃんで、無線で本社に問い合わせなどした揚げ句、元町の旧社屋の方に走られ、更に高島町の現本社まで迂回。すいません、すいませんと平謝りしながら、運転手が話すところによれば、不動産屋をしていたのだが、バブルに踊って手を広げ過ぎて失敗、最近この業界に入ったとか。十億円くらいで手に入れた自宅も毎月2百万円のローンが払えず競売に掛けられているが、1億円でも買い手がつかない由。10年前にバブルが弾けて安くなったと慌てて買い替え、不良資産化した我が家のローンを月20万円払い続けるも身につまされる。
 買い替えて十年ほど経ち、同じ様な戸建て住宅が近くで売りに出されると、我が家の価値も気になる。小平の駅から徒歩18分、土地110u、床面積も110uの5LDKの新築が6千6百万円で売りに出ていたのを、6百万円値切って買い、4千万円のローンを組んだ。最近はもっと駅に近い、似たような新築が5千万円ほどで出ている。今の家が月20万円で貸せればローンは返せるから、新しく同額のローンを組めば今と同じ支払いでもう一軒手に入って、もっと便利な新築の家に移れないか。バブリーな夢が膨らむ。朝新聞に折り込まれていた建て売りの綺麗なチラシを握り締めて、私はもう引っ越しなんて嫌よと渋るカミさんの手を引っ張って、売り出し現場に自転車を走らせる。
 不動産屋に中を見せてもらい、なかなか綺麗だ、収納や設備も工夫しているなどと感心しながら、ところで今の家はどれくらいで貸せるのだろうと尋ねると、返ってきた答えは14万円ほどですね、とのこと。ローンを返し終われば、家賃で少ない年金を補えるというの甘い老後生活の設計?はこれで潰えて、2千万円の頭金を払って購入した家を貸してもローン代にもならないという、我が家の不良資産の現実を突き付けられる。

◎もう一度のサラリーマンより起業へ
 日立建機に勤める三鷹寮の1年先輩の広瀬清信さんから電話があり、事務所に来ていただく。聞けば、長い不況で会社の業績も悪く、公共事業も減る一方で先の見通しも暗い。昨秋希望退職の募集があったので応募し、職を探しているとのこと。日立建機は優良な会社で、高橋カーティンウオールに在籍していた時に、新規事業として建機のアームの反対側につけるバランサーを中国で安く作ったらビジネスにならないか、今は子会社の専務を勤める山内勇二先輩(S37年入寮)に相談しに、土浦の工場に何度か足を運んだことがある。結局、付加価値が低く、成熟した市場の商品を、中国から運んで来ても商売にならないとのことで、事業化は見送られたが、名門企業でもリストラせざるを得ないのだと驚く。聞けば、転職支援のコンサルも受けているのだが、56歳で又、サラリーマンをしても、年金が出る頃になると止めざるを得ない。いっそ起業したらどうかとのこと。   
 幸い縁があって、社員3人ほどの小さな会社が開発した、車のアイドリングをストップさせて燃費を節約し、排ガスを低減する装置があるので、これを売る事業を起こしたいとのこと。売るものと、売るルートがあって、代金を回収する仕組みを作れば起業はできる。勿論軌道に乗るまでの手元資金も必要だが、ただいい商品があれば、やる気があれば成功するというものでもない。私も高橋カーティンウオールを無理やり止めて、地下に雨水を貯溜する「地下ダム工法」を普及させようと旗揚げしたが、市場も読めず、うまく代金を回収する仕組みも作れず、手元資金も直ぐ底をついて半年で失敗した。エコビジネスを!という理念だけ先走って失敗すると、今度は失業という厳しい現実に直面する。金もないのに、仕事もない!これは辛い。日本はヨーロッパに比べ雇用保険の給付期間も短く、給付額も少ない。アメリカと違って雇用の流動性も低い。セーフティネットが不十分で、いざ起業となっても、失敗した場合のリスクの大きさを考えると大胆な行動を起こせない。起業を促し、経済を活性化するにも、セーフティネットの充実が必要ではないか。下手な公共事業に金を注ぎ込んで国の借金を増やすより、セーフティネットの充実に金を使った方が、直接的で、安上がりだ。いずれにしても、この苦い経験に直面して初めて、高橋カーティンウオール在職中に漠然と考えていた、営業コンサルタントとしての独立という、もう一つのビジョンを実現することができた。
 ピンチはチャンスでもある。多少私の経験も話させていただいて、業務用の車に特に役立つアイドリングストップの装置を広めて、省エネと経費削減、排ガス浄化に寄与したいという広瀬先輩のために、ヤマト運輸の武田専務(S35年入寮)とニチレイ子会社の明石商事の谷社長(S33年入寮)に電話して提案のためのお時間をいただく。

◎東大でもホームカミングデー
 独立行政法人化、ロースクール、産学協働と技術移転など急激に変わる大学の現状とこれからの方向について、一度三鷹クラブで講演していただこうと、先日、三鷹クラブの平賀代表(S26年入寮)、秋山先輩(S33年入寮)と共に佐々木毅東大総長に会っていただく。我が故郷秋田の誇る政治学の大家でもある佐々木総長(秋田高校出身)は政府関係の仕事等も忙しくて、講演の時間はなかなかいただけないようですが、独立行政法人化することもあって、OBとの連携を強めたい、そのために6月頃にOBに大学付属の小石川植物園に集まってもらって、言わばホームカミングデーを開催したいとのこと。
 東大には慶応の三田会や、早稲田の稲門会、一橋の如水会、東工大の蔵前工業倶楽部のように全学の同窓会や職域・地域の同窓会がなく、医学部の鉄門会や、理工系の学科毎の同窓会があるだけで、法学部を始め文化系にはそれすらもない。その中で異色なのが三鷹クラブで、4千人ほどいる三鷹寮のOBの内3千人の消息を把握し、定例講演会や現役寮生との交流など活発な活動を展開しているので、何かお手伝いできることもあるのではないかと思う。
 大学で眠っている技術を民間に移転する、学外への技術移転(TLO)の面でも協力できるのではないだろうか。マスセールできるようなビッグな技術は理工系の学科毎のネットワークで大企業へと移転することが多いのでしょうが、そのネットワークから漏れた技術やニッチな技術を三鷹クラブのネットワークで流す、技術情報を得た会員が起業したり、自社で製品化するということも可能ではないだろうか。かって産学協同反対!帝大解体!を叫んだの何たる変節!?

◎恋愛と結婚・・・日中国交回復30周年に思う
 日中国交国交正常化30周年に当たり、中国大同市の黄土高原の農村で、緑化協力活動を続ける「緑の地球ネットワーク」(GEN)の高見邦雄事務局長の「黄土高原だより」(gentree@ma.kcom.ne.jp:NO.141)で面白い文章をみつけたので、抜粋します。併せて私も世話人をするGENの活動にご協力いただければと思います。
 この30年にもいろんな局面がありましたが、基調は「友好」だったでしょう。しかし、ここしばらくは不協和音やキシミが強まっています。そのぶん、今年は「友好」がよけいに強調されることでしょう。悪いことではありません。関係を悪化させるよりはずっといい。でも、「30周年記念」の「友好」ばかりでは、さびしい気がします。注意深い人は、私がこの「黄土高原だより」のなかで、「友好」という表現を徹底して避けていることに気づいておられるかもしれません。日本でも中国でも、この10年近くは「日中友好」を口にしたことがありません。手垢がついていて、イヤなんですね。自己反省もあります。この緑化協力をはじめる以前、友好交流の活動に従事してたんですけど、あまりにも中国の実際に無知でした。「友好」という枠にはまると、それを通してしか、ものごとをみられなくなるようです。認識に甘さがでてしまう。そう考えるようになりました。「友好」というのは、恋愛と似ているかもしれません。恋愛は、かなりの部分、相手にたいする無知によって燃えあがります。私の彼女は、オナラなんかしないし、トイレにもいかない、くらいに思っているときが、最高に盛り上がるんじゃないかと思うんですよ。一体どれだけの人が、「為日中(中日)両国人民世世代代友誼、乾杯!」とやってきたんでしょうね。それが日本側で中国のことを理解するために役立ったかというと、実情はお寒いものです。中国側で理解された日本も、現在の預貯金の利子・利息くらいのパ−センテ−ジかもしれません。
 木を植えて育てるのは、そういうこととは対照的なんです。やっかいなことに、木は生き物です。生き物の最大の特徴は、いったん死んだら(枯れたら)、生き返らないことです。あいまいさが許されない。盛り上がりの乏しい、ゆったりとした長い過程です。はでな起工式をし、大きな記念碑を建てたところほど、失敗したように思います。本質的なあり方に反しているからでしょうか。これまで10年続けてきましたけど、緒についたばかり、というのが実感です。主体は植物で、私たちは環境を整えながら、それが育つのを待つ。苗を引っ張ったって、伸びが速まる訳がない。じゃあ、寝て待てばいいかというと、そうじゃない。なにをやるにも適期があり、時間に追われる。新しい試みにとりくむ時も、今年のその時期を逃すと、1年先しかチャンスのないことが多い。気象のこと、土壌のこと、その樹木の特性・・・、それらをできるだけ深く理解する必要があります。そのことばかりを四六時中、考えている人が最低1人はいないと、うまくいきません。それ以上に、カウンタ−パ−トとのお互いの理解が必要です。相手の長所だけでなく、短所もみすえて、カバ−しあいます。カウンタ−パ−トとの関係が、決定的に重要です。「理想のカウンタ−パ−トは、こうあるべきだ。もっといい相手があるはずだ」といった議論をする人がいますけど、自分で仕事をする人は、そんなことは口にしないと思います。不足するところがあっても、問題があっても、簡単に相手を変えることはできません。自分のことを顧みると、高望みできる訳がない。関係を継続しながら、自分が変わり、相手も変わる。関係するというのは、関係の双方が変わる、ということです。それしかありません。
 そういうふうに考えてくると、なにかに似てますね。「友好」が恋愛だとすると、樹木を育てるのは、結婚生活を維持しながら、子育てをするようなものです。熱く燃えるよりも、相手を理解し、長期に維持することの方が重要です。といっても、恋愛を否定する訳ではありませんよ。恋愛を飛び越えて、いきなり結婚・子育てなんてのは、たいていの人はごめんでしょう。夫婦ゲンカは犬も食わない、なんていいますけど、そうじゃないと思います。感情を露わにして、ケンカすることも、お互いの理解を深めるために必要だと思うんですよ。それぞれの思いの内容は、言葉で表せますけど、その深さ、強さといったものは、感情によってしか伝わらないと思うんです。そんなことを考えながら、「友好は恋愛のようなものだけど、木を植えるのは結婚・子育てのようなものだ」なんて私がどこかで話したら、カメラマンの橋本紘二さんの気に入って、「あの話をしろ」なんてほかでも催促するんです。
 私もその気になってあちこちでしていたら、親しい友人からクレ−ムつきました。「結婚や子育ての話をする資格が、高見にあるのか」というわけです。「高見のむすこは2人だけど、太田さん(私のつれあいです)のむすこは3人だ。高見が長男だ」なんていわれる始末ですから、そのクレ−ムに根拠はある。夫婦ゲンカだってほとんどしたことがありません。私がカシコイからです。負けるケンカはしないんです。

◎このままでは揚子江も断流する?!
 昨夏、イオン環境財団の北京の万里の長城植樹ツアーに参加し、帰途重慶からの三峡下りを楽しんだ。眼下に広がる重慶の農村は緑の棚田が綺麗で、空港から市内までの道には夾竹桃の花が満開だ。武漢の手前で下船しバスで走る道中は、のどかな田園風景が続く。点在する溜め池にはたっぷり水が蓄えられ、蓮の花が咲き、アヒルが泳ぐ。青々とした田圃もあれば、刈り取った稲を干している田もある。牛で田を起こしている者もいる。水が豊富で気候温暖だから、何回も収穫できるのだろう。耕うん機は見掛けないので、機械化は進んでいないが、その分将来性もある。水もなく乾燥した北の黄河流域と、南の揚子江流域の違いが歴然としている。
 その南の揚子江と、近年かなり上流まで断水するようになった北の黄河を運河で結び、北の水不足を解消しようという遠大な「南水北調」計画が進んでいる。しかも3本も掘るのだという。スケールの大きさに参ってしまうが、その実現性にも疑問符をつけてしまう。資金面は別として素堀りだというからかなりの量が浸透・蒸発してしまうだろうし、北京や天津に水が届く前に、手前で取り尽くされるということもあり得るだろう。今だって黄河の流域では灌漑用水は取水制限されているが、川に直接ポンプを入れて取水するのを禁止されると、川の脇から斜めに井戸を掘って川底から取水するので、相変わらず川は枯れる。それに第一、運河が完成する前に揚子江の水が枯れる可能性はないか。
 水色の川を見慣れた日本人にとって中国の川は全て黄河である。日本人は川の色はと聞かれたら水色と答えるのが当たり前であるが、中国の川の色は黄土色である。流域に豊かな田園地帯を作る揚子江ですら、流れる水は黄土色である。黄河と同じく上流の砂漠化が進み、流域の森林被覆率が下がっているからである。その上、重慶と武漢の真ん中あたりに三峡ダムが作られ、せき止められた川の半分には巨大なコンクリートの塊が姿を現しているが、この巨大ダムが完成すると上流の水位が百数十まで上がる。水没する数百万人はどうするのかというと、川岸にまで迫る山の更に上に工場を移し、家を建て、畑を作る。
それで、流域では盛んに建設工事が行われていた。しかし今でさえ川の両岸にそびえる山には緑が少なく、木のない山には保水力がないので、川べりの土地でさえ水田ができず、猫の額のような斜面まで畑にしているのに、もっと条件の悪い所に家や畑を移したら、どうなるのだろう。
 ここ数年来の揚子江の大水害でようやく中国政府も事の重大さに気付き、国土緑化の大号令をかけているが、内陸の貧困の問題とも密接に結びついた難しい問題である。貧しいがゆえに少しでも耕地を増やそうと木を切り倒して畑を作り、畑にもできない所には山羊や羊を放し、木の芽や皮まで食い尽くし、枯らしてしまう。そのことで山が保水力を失い、降った雨は奔流となって土壌を流し、雨が降らないと直ぐ旱魃になり、作物を枯らしてしまう。川に運ばれた土壌は川を黄河と化し、かくて大地の砂漠化が進む。結局貧しい土地から人を引きはがし、無理な耕作や放牧を止めて植樹し、緑を回復するしかないのではないだろうか。少なくなった耕地で多くの収穫を上げるには土地の生産性を上げる、内陸の工業化を進めて余剰労働力を吸収する必要がある。内陸の工業化、都市化が進むと水やエネルギー、環境の問題が深刻化するであろうが、これは日本が得意とするところである。いたずらに中国脅威論を唱えるのではなく、労働集約的な産業が中国へ移転するのは不可避な流れであり、日本は技術集約・知識集約的な産業に傾斜して中国の水やエネルギー、環境問題の解決に手を貸し、お互いの繁栄を計ることができるのではないだろうか。

◎どうなる?電子自治体の実現・・・Dネット30回政策研究会
 国は地域IT推進本部を設置し、地方公共団体で2003年度までに電子情報を紙情報と同等に扱う地方行政の実現を目指しています。これにより、住民ニーズに対応した質の高い行政サービスの提供、社会経済活動の活性化、事務処理全般の見直しによる行政の簡素・効率化、透明化の情報基盤を整備しようというものです。
 団塊の世代政策研究ネットワーク(Dネット)の地方議員の会員の方から、「3月議会で電子自治体の議題が出るが、どうも良くわからない」との意見がありました。そこで、電子自治体を推進している総務省自治行政局地域情報政策室の高崎一郎室長をお招きして、緊急に勉強会を開催致します。
日 時  3月6日(水)PM6時開場 6時半開会
場 所  学士会館(地下鉄神保町駅下車、03-3292-5931)
会 費  会員2千円、 一般3千円(軽食付き)
申込み  事務局(fax03-3234-9026)or、ティエフネットワ-ク(03-5689-8182 FAX03-5689-8192)
懇親会  終了後、会費3千円位

◎多発する少年事件と21世紀の日本・・・42回三鷹クラブ定例講演会
 年1回の大阪での懇談会の講師を、今回は神戸の「少年A事件」の主任弁護人をされています、野口善国弁護士(S40年入寮)にお願いしました。
 世紀末に起こった神戸の事件は、思えば21世紀初頭の不安と閉塞の到来を予感させるような事件でした。その後、社会を震撼させる青少年による凶悪犯罪が次々と発生し、少年法も刑罰を強化する方向で改正されました。しかし、刑罰を強化するだけで少年犯罪がなくなる訳ではありません。少年犯罪の増加、凶悪化は又、社会状況の反映でもあります。20世紀末から今世紀にかけての冷戦体制の崩壊がもたらした経済のグローバル化や、競争の激化による規範意識の崩壊、連帯感の喪失等、社会の変質がその根底にあるのではないでしょうか。
 野口さんと青少年友の会というサークルで一緒だった小畑勝裕さん(S42年入寮)によると、その会は他にお茶大、東女、津田、一橋等にあり、過激派シンパ、女子大との交流を目的とした合コン派、野口さんのように真面目に青少年問題に取り組む派と、3派あったとのことです。法学部を卒業して法務省に入った野口さんですが、その後法務省を辞して司法試験に合格し、神戸で弁護士を開業、現在に至っております。そんな野口さんに「多発する少年事件と21世紀の日本」というテーマで語っていただきます。
 終了後、今年もホテルグランヴィア大阪19階のパブレストラン「アブ」(JR大阪駅上・06−375−1235)で懇親会を行います(会費4千円)。今回も南谷昌二郎JR西日本社長に会場を用意していただきました。
日 時  3月19(火)PM6時開場 6時半開会
場 所  JR共済大阪弥生会館(大阪市北区芝田2−4−53)
     06−373−1841 大阪駅中央北口5分
会 費  5,000円(食事、飲み物代含む。)
定 員  50名(定員を越えない限り特に連絡致しません)
申込み  干場革治(S41年入寮 03-5689-8182 FAX03-5689-8192
メールアドレス hoshiba01@livedoor.com)

◎森元君と舛添君
 昨年の参議院議員選挙で新しく二人の国会議員が三鷹クラブから誕生し、これで衆参両院で11名が国会で活躍することになる。S41年同期入寮の森元恒夫君と一年下の舛添要一君である。森元君は自治省に入り、岐阜県副知事等を経て、舛添君は東大教授を止めて国際政治学者としても活躍中である。両名とも寮では余り目立たず、よく勉強をしていた組である。私が夜オルグで寮を回ると東寮の木造の寒く、暗く、汚い部屋で、ドテラを着た舛添君が机に向って勉強していて、私は民社党支持だからと、の話には余りのっていただけなかった。あの頃熱心に「政治」をしていた人間はも含め政治的には不活性で、かって不活性だった寮生が国政の場で活躍している。共に酒を酌み交わし、天下国家を論じた仲間ではあるが。
 その寮での共通の思い出について舛添君が昨年11月19日の東京新聞夕刊のコラムに「新歓コンパでストーム」と題して、一文を寄せている。繰り返し新入生歓迎コンパが行われ、酔った勢いでストームと称して大声を上げて他の部屋を巡り、時に勢い余って吉祥寺のガードをくぐって善福寺の東京女子大の女子寮に向かう。舛添君は残念ながら「中に突入することなど不可能」だったようであるが、は何度か突入している。幸運にも突入するとネグリジェ姿の女子大生が窓から手を振って歓迎してくれるのだが、ほどなく守衛が集まってきて追いかけ回され、その内荻窪警察署のお巡りさんまでやって来るので、学内を一巡りして退散する。一眠りした宴の後には東女から東大へ抗議が寄せられ、寮委員長はひたすら謝りに回る。中には逃げ遅れて荻窪警察署に一晩留め置かれる者もいるので、もらい下げにも行かなければならない。警察庁で警備局担当の上原美都男審議官(S43年入寮)はうまく逃げおおせているが、北海道警本部長をした黒瀬義孝サッポロビール監査役(S35年入寮)は荻窪署での一晩の経験が後々大いに役立ったようである。
 コンパやストームでは寮歌や応援歌、インターナショナル、国際学連の歌が歌われる。舛添君の一文には「新墾(にいはり)のこの丘の上、移りこし二歳(ふたとせ)の春」で始まり、「丘陵(おか)を去る日の近きかな」で終わる寮歌「新墾(にいはり)」を三鷹寮の寮歌としているが、残念ながら三鷹寮の寮歌はない。全て駒場寮の、旧制第一高等学校の寮歌である。亀井静香代議士が駒場寮の寮祭実行委員長をした時に刊行した寮歌集に載っている沢山の寮歌の中で新墾が三鷹寮の雰囲気に合っていたので、一番歌われたのである。従って寮歌は戦前の時代の雰囲気と東京帝国大学の置かれた位置、学生の気分を反映し、強烈なエリート意識と八紘一宇的精神の横溢した歌が多く、全共闘運動が盛り上がって行く中で寮生の気分とのずれが大きくなり、次第にインターやワルシャワ労働歌などに取って変わられ、昭和45年以降の入寮者は新墾すら歌うことを知らないのである。

◎名簿刊行に合わせ同期会、記念コンサートの計画を!
 昨年中にはと意気込んでいた三鷹クラブの新名簿の発行ですが、世話人も仕事を持ちながらの作業ですので遅れてしまい、会員の皆様にはご迷惑をおかけしています。資料の打ち込みは基本的に終わっていますので、編集作業に目途がつけば5月の連休前後にはどうにかなるかと思います。
 名簿発行に合わせ、久し振りに三度目の記念コンサートを計画中です。加藤登紀子さんの事務所のトキコプランニングとの打ち合わせでは、6月の土曜日の午後、表参道のテアトロスンガリー青山で、ロシア料理とオトキさんの歌を楽しむ予定です。決まり次第ご案内させていただきます。
 名簿の打ち込み作業を行い、事務所のパソコンに資料が入っていますので、これをもとに同期会等の案内状の発送をする時に、幹事の皆さんに宛名を打ち出して送るサービスができないかと思っています。又、会場の手配が・・・という向きにはパレスホテルの小林節社長(S40年入寮)やトキコプランニング等と相談して、お好みに応じて格安?でできるようにしようか等とも考えています。何か事務所は宴会企画会社になってしまいそうですが、名簿刊行に合わせ同期会を計画されたりしては如何でしょうか。

◎留学生支援をありがとう
 前号の呼び掛けに沢山の方々から、支援のカンパをいただきました。詳細は次号にゆずりますが、ありがとうございました。
                    再見!
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