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アマダイ通信 NO.28 2002年正月 |
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注)文中に出てくるはアマダイこと不肖干場革治のことです。 | |
(Tile Fish Network
Letter) 知人・友人各位 9月の「同時多発テロ」に端を発したアフガンでの「戦争」も終局に近づいていますが、新しい年も多事多難の1年となりそうです。情報仲介業を起業して今年で5年。不況の出口も見えず、経済が縮んで行く時に、敢えて独立の事務所を開き、どうにか半年持ちました。これも偏に読者の皆さんの支えがあってのこと。日本経済の回復、世界の平和と繁栄、皆様の幸福を祈念しながら、通信新春号を送らせていただきます。 ◎お父さんはギャンブルしないわね 大学生の娘にそう言われ、考えてみると競馬も競輪も、パチンコや麻雀さえもしない。土曜、日曜は掃除、洗濯、アイロン掛けと読書に、土いじりと酒の買い出し、少しの仕事で終わってしまう。お父さんは学生時代に人生丸ごと賭けて学生運動をして、見事に負けてしまったからね。命を賭けてもいいと思うほど価値のあるものをみつけたら、又、賭けてみたいと思うけど。娘との会話が続く。そう言えば石川さゆりが「命を賭けた恋ならば」と歌っているね。そんな素敵な恋を見つけたら又、賭けてみたいね。お父さん、今時、恋なんて命を賭けてするものじゃないよ。精々家庭とか、家一軒とかのリスクしかないよと娘が応える。これでは演歌が流行らない筈だ。 私が子供の頃、経済が高度成長路線をひた走る前の日本では、結婚を親に反対されて駆け落ちするとか、心中するとか、恋は時に命を賭けてするものだった。家族が身を寄せ合い、助け合ってようやく食べていた時代には、親が結婚相手を決めることで少ない富の分散を防いだり、その向上を図っていたのかも知れない。今では親の助けがなくとも若い二人だけで食べていけるし、親も子供の労働力を当てにすることもない。早く家を出て結婚して欲しい、子供をつくって欲しいというくらいのものだ。 ところで、ストレス解消は気の合った仲間と夜毎杯を傾けるだけでいい、ひょっとしたらストレスフリーの能天気な私であるが、一攫億金を夢見て?宝籤だけは時々買う。年末ジャンボを買おうと売り場に寄り、サマージャンボの券10枚がまだ鞄の中にあるのを思い出し見てもらったら、1万円の賞金が当たる。これまでの最高が3千円だったので、これは少し運が向いて来たかと、3億円を夢見て又、宝籤を買う。 ◎香山で毛沢東に会う 宝籤で大儲けをした訳ではないが、昨年は5月の連休にロンドンでマルクスに会って以来旅心が抜けず、7月と9月に中国、8月に北欧に足を伸ばす。7月はイオン環境財団の万里の長城植樹ツアーに参加、北京でのフリータイムを能代高校同級生の杉山(旧姓佐藤)悦子さんに案内してもらう。ロンドンでマルクスに会ったのだから、今回は毛沢東に会わなければと天安門広場の毛沢東紀念堂に向かう。モスクワのレーニン廟でレーニンが眠る様に、ここでは生前のままの姿で毛沢東が眠っている。 秋田の寒村の貧しさから自分一人だけ抜け出てエリートコースを突っ走るのを潔しとせず、社会を根底から変え、階級のない世界を創ることで共に豊かになろうと、マルクス・レーニンの革命理論に辿り着いたのは19歳の春だった。だがマルクス・レーニン主義を掲げるソビエトや中国は理想の社会主義国家には見えなかった。思い悩む若者の前に文化大革命を唱える毛沢東が忽然と現れる。魂の革命によって進んだ下部構造と遅れた上部構造の矛盾の解決を!社会主義社会になっても労働者の意識が変わらない限り、豊かで自由な社会は実現しない!永続革命を!毛沢東の言葉が天の啓示のように響き渡る。これだ! しかし結果は惨澹たるものだった。理念と現実の余りの落差の大きさ。少ない情報を善意に、都合良く解釈し、理想だけが一人歩きする未熟さ。今や中国でも毛沢東は銅像と写真とスローガンの中にしかない。それに天安門広場で、生きたままの姿で死んでも働かされている。毛沢東に会って中国革命と文化大革命の総括を聞き、別れの言葉を告げよう。勇んで出かけた毛沢東紀念堂の門は閉ざされている。門を守る若い兵士に聞くと、休館日だという。今日は日曜日。毛沢東も人の子、日曜日は休むんだ、月曜日に休んでくれればいいのに。仕方なく郊外の名勝香山に向かう。その麓には広大な公園が広がり、毛沢東が北京攻略の指揮を取った前線指令部が当時のままに保存されている。 ◎ガラスの外から、北京ダックを! 香山で大きな写真の毛沢東と対面し、ツーショット。写真からは総括の言葉は聞けない。腹いせに!?腹ごしらえをと食堂に入り、腹一杯食べてトイレを探す。しかし、それらしい所はない。聞けば外だという。入り組んだ路地を探してようやく用を足す。この地域は北京市民が行楽やハイキングに訪れる郊外の名勝で、小高い山にはロープウエイもあり繁盛しているが、戸別にはトイレはなく公衆トイレで用を足すらしい。中国式でお世辞にも綺麗とは言えない。しかし、ここは我慢。出すのが先だ。 始発駅までタクシーを拾い地下鉄に乗って天安門近くに戻り、食後のコーヒーをと北京駅近くで喫茶店に入る。天井からぶら下がったブランコに乗ってアベックが向き合いお喋りをしている。今流行だという。ここの店内のトイレは水洗できれいだが、飲み物の値段は10〜20元(1元15円)。私も世話人をしているNPO、緑の地球ネットワークの黄土高原での植樹作業員の日当7元に比べ各段に高い。それでも若者で一杯だ。 駅近くのアメ横のような市場をぶらつき、前にチャックのポケットのついた女性用のパンツを手にとって、これは何なんだと冷やかしたりしながら、時間を潰す。因みにポケットにはお金を隠すとのことだが、ホテルの京劇のディナーショウまでまだ時間がある。ビールでも飲もうと北京ダックの店に入る。ケンタッキーのチキンの様に紙パックに収まって、身も少しついたアヒルが出てくる。日本で食べる皮だけ揚げた方が美味しいねなんて言いながら食べていると、外からガラスを叩く音がする。男の子連れの中年男性が窓を叩き、北京ダックを差した指を口に持って行き、俺にも食べさせろと言う。これでは食べた気もしない。残りを包装してもらって男に渡すと、嬉しそうに去って行く。 ◎毛沢東と革靴・・・長征と黄土高原緑化、チームワークと成果主義 9月にはサントリー労組の植樹ツアーに同行、2年振り3度目の黄土高原入り。大同の緑の地球ネットワーク(GEN)の地球環境林センターの現地スタッフと共に、農村で植樹と交流活動をするが、2年前とどこか違う。 水もない、農耕に適しない荒れ地に農民と力を合わせて木を植える訳だが、そんな所でも現地の幹部は革靴を履き、上着を着て、自分では決して作業をしなかった。又、作業を穴掘り、植樹、水運び、砂運びなど幾つかの工程に分けてするのだが、必ずネックになる所ができて、作業が中断する。それは大抵一番つらい水運びの所なのだが、中国人は与えられた作業しかしないので仕事がそれ以上進まない。それに引き換え日本人は、手が空くと滞っているのはどこか、自分にできることはないか探し、ポリタンが足りないとなれば、砂運びのバケツに水を入れて運ぶ。それを見て、幹部も農民も一緒に力を合わせ、犠牲的精神と革命的英雄主義(なんと懐かしい言葉)で大長征を成し遂げ、中国革命を成功させ、封建主義から解放した共産党の党員なのかと嘆き、これでは中国も大したことはないなと思った。 ところが今回は、幹部も自ら作業を手伝い、農民も自分に与えられた以外の作業にも気配りをしている。日本流も大部浸透してきたようだ。植樹法でも同じだ。通気性を保ち、根が呼吸しやすいように穴の底に川砂をいれたり、土を固く踏み過ぎないようにしたり、菌根菌をつけて成長を促進したり、気長に、実例を比較し、お互いの長所を取り入れて文化の違いを乗り越えて行く努力が必要だ。 ◎北緯60度、オスロのフイヨルドで泳ぐ 5月の連休にロンドン、パリ、ローマとヨーロッパの3大都市をやぶにらみすると、夏休みにはベルリンやウイーンも見てみたいが、今回は少し趣を変え北欧に足を運ぶ。スエーデンのストックホルムに飛行機で降り、そこから鉄道でノルウエーのオスロへ、オスロからデンマークのコペンハーゲンへ船で渡り、再び飛行機に乗る。美しい森と湖の間には、小振りだが歴史を感じさせる都市が点在し、車窓から見る家々も豪邸という訳ではないが小綺麗で、その中で流れて行く時間の質を感じさせる。 オスロのスカンディナビア航空の瀟洒なホテルは、氷河によって深く削り取られた入り江のフイヨルドに面し、緑の芝と白い砂、海の碧に彩られたプライヴェートビーチがある。日本海の荒波に揉まれ、夏は一日中水に漬かり、魚を追い、サザエやアワビを採って遊んだ我は海の子。香港のヘップバーンの慕情の舞台となったビーチでも、シンガポールのセントーサ島でも泳いだ。紺碧の海を目の前にすると、矢も盾もたまらない。フロントで聞くと、2〜3日前までは泳いでいたという。2、3日でそんな変わる筈がない、何事も前向きな発想をする性格がここでも出て、同行のツアーのメンバーの驚くのも構わず、ホテルのタオルを腰に巻いて夕暮れの海に向かう。 秋田は北緯40度、札幌は45度、樺太でさえ50度だ。ここは60度でアリューシャン列島と同じだが、メキシコ暖流が流れるので暖かい。同時期の故郷と同じくらいの温さだ。一人で海を独占して気分良く泳いでいると、同行の若者が一人海パンをはいてやって来る。その内初老の白人夫婦も海に入り、若い母親に連れられた白人の男の子が二人桟橋から飛び込みを始める。足から水に落ちる二人に、片言の英語で頭からの飛び込みを教える。裸の国際交流だと悦に入りながら泳いでいると、脇腹をチカチカする痛みが走り、ヌルっとした物に触る。好事魔多し。クラゲである。そう言えば、お盆過ぎの日本海もクラゲが出る。そそくさと水から上がる。 ◎豊かさはグロスではない 何度も中国に植樹に通った目で駆け足で回った北欧3国を見ると、豊かさはグロスの経済力ではないと思う。中国の国民総生産(GNP)は世界7位で9千2百億ドル、と言っても人口は12億。一人当たり750ドルに過ぎず、“水も飲めない百姓”が数多いる。対する北欧はスエーデン2兆9千2百億ドル、890万人で一人当たり25580ドル、ノルウエー9千8百億ドル、440万人で一人当たり34310ドル、デンマーク1兆1千350億ドル、530万人で一人当たり33040ドル(98年、世界国勢図会による)で、豊かな水と緑に囲まれゆったりと暮らしている。因みに日本は4兆9百億ドル、1億2640万人で一人当たり32350ドルだ。 勿論為替レートや物価、購買力平価等の問題もあり、実際の生活の質は一人当たりの国民総生産の差ほどはないかも知れない。又、停滞どころかマイナス成長の日本と、7%程度の成長を続ける中国という、勢いの問題もある。それでも健康や安全、衣・食・住等、生活の質の差は歴然としている。馬鹿な日本の農林族の国会議員のジャブに対して、往復ビンタを食らわせるようなセーフガードの問題の対応を見ると、中国指導部はグロスの経済の大きさ、しかも多分に将来のその可能性に酔い、物を言わせようとしているように見える。世を治め、民を救うのが経世済民、即ち経済の謂である。水も飲めない、風呂にも入れない、トイレもない数億の民を救わずして何の経済、何の政治であろうか。現実を謙虚にとらえ、一人々の国民の生活レベルの向上にもっと意を用いるべきではないか。 翻って日本もそのグロスの中国経済の大きさ、可能性に惑わされてはいけないと思う。安い人件費に目を付け工場を中国に移すことは、中国の賃金レベルを上げ、生活の向上に役立つだろう。しかし、一日7元(1元15円)でも働く人間が無数にいる現状で自由競争に任せるだけでは、うまく成り上がった沿海の一部の人間に更に富が集中し、貧富の差が拡大するだけで、内陸の奥にまでその恩恵が行き渡るのは遠い先のことではないだろうか。中国も今や台湾と同レベルの2千億ドルの外貨準備(日本は4千億ドル)があるのだから、ODA(政府開発援助)で北京空港を新しくしてやったのにちっとも感謝されないと喚くような愚は避け、沿海のインフラ整備は中国の自力に任せ、内陸部の教育、環境、生活レベルの向上を支援し、中国政府ももっと内陸に投資すべきであろう。貧困の極にある内陸中国を近代化し、12億人の購買力のついた中国を豊かな市場として世界に解放することができれば、中国もデフレの輸出と非難されることもなくなるだろう。 ◎17回全国トイレシンポジューム開かる 11月8、9の2日間、日本トイレ協会主催、総務省等各省、埼玉県、さいたま市等の後援、東陶、INAX等の協賛で、さいたま市で「公共トイレの整備はどこまで必要か」をテーマにシンポジュームが開かれる。できればこの時期、中国雲南省の南寧でエコサン(エコロジカル・サニテーション)トイレの世界大会に参加して中国南部を見たいと思っていたのだが、まとまった時間が取れず、1日だけ全国トイレシンポジュームに参加する。半砂漠地帯の黄土高原で植樹に励む、緑の地球ネットワークの世話人でもあるからか、事務局から“水資源からトイレを考える”部会の座長を仰せつかる。 パネラーの東陶機器岡衛陶開発部長からは64年東京オリンピックの渇水を期にトイレの節水が意識され、78年の福岡渇水時に13Lの洗浄水量の大便器が、99年には8Lの節水型便器が市場に投入されたが、昨年の平均水量は9Lでこの25年間で25%節水されたとのこと。しかし、アメリカでは6L、水をマレーシアから買うシンガポールでは4.5L便器が標準で、日本も公団住宅で6L便器の試行導入が始まり、4.5L便器も開発されているが、日本人には1回できれいに流れないと受け入れてもらえないとの報告がある。 雨水利用を進める全国市民の会山本副会長からは工業用水は節水技術の普及、産業構造の変化で減少傾向、農業用水は横這いだが、生活用水が増加傾向にあり、その最大要因は水洗トイレの普及で、核家族化による世帯数の増加も原因だ。雨水利用は水問題解決の手段として国際的にも注目を集めているが、雨水をタンクに貯めて利用するのは都市型洪水の防止にも役立ち、汚れが多く酸性の強い降り初めの雨をカットする工夫をすれば、非常時には飲用可能との報告がある。 国土交通省藤木下水道事業調整官からは特に雨天時の未処理放流水(降水量3oくらいから)による水質汚濁を起こす汚水と下水の合流式下水道と内分泌攪乱化学物質の問題が顕在化していること、現行の処理方式では閉鎖性水域の汚染・富栄養化を防ぎ切れないことが指摘された。前者は分流式にすることで、後者は汚水を高度処理することである程度解決できるが、コストの問題がネックになっている。 ◎冷戦体制の崩壊と「資本主義の不均等発展」 冷戦体制の崩壊による経済のグロウバル化で、労賃の安い所で生産された商品が流入、コスト競争に勝てない製造業が海外に生産の場を求め、産業の空洞化、失業の増大、デフレの進行が問題になっている。とりわけ中国からの農産物を含めた安い商品の流入が問題とされている。しかしそれらの多くが日本から持ち込まれた資本、技術によって生産されていることを考えると、デフレの元凶として中国を非難することは的外れであろう。 日本の製造業が資本と技術を持ち込まなければ、他の国の資本と技術で生産された中国製の商品がこれまでのメイドインジャパンの市場を奪うだけで、事態はもっと深刻になる。それに経済のグロウバル化で安い労働力だけでなく、メイドインジャパンのより大きな市場も獲得できたのである。中国にしても然りである。日本企業が進出し、中国人労働者を雇用すれば、彼等にも購買力がつき、日本の商品も売れる訳である。日本の商品だけをただ一方的に売るだけということはできない。購買力のあるところでしか物は売れないし、なければ、援助なり、資本と技術を輸出してそこの労働力を利用して生産し、購買力をつけなければ、日本の商品は売れない。又、そうすることで相手国の経済も発展し、国民の生活レベルも向上する。 かって60年代以降日米間でも似た問題が発生した。繊維戦争に端を発し、自動車の輸出制限、半導体摩擦と続いた。その過程で日本は経済の高度成長を遂げ、国民の所得水準と生活レベルは向上し、世界の工場の地位を確立したかに見えたが、今日見るような状態になっている。懐かしくもこれが、レーニンの喝破した「資本主義の不均等発展」(帝国主義論)ということではないか。 ◎技術で世界に貢献 それでは日本はどうすればいいのか?労働集約型の付加価値の低い商品の生産は、労働コストの安い所に流れるのは避けられない。それで彼等の購買力も向上し、生活水準も向上するのだから、知識・技術集約型、或いは地場の特色を生かした魅力ある物とサービスの生産を強化し、彼等にも買ってもらうことで、共存・共栄する努力が必要だ。 例えば今年、緑の地球ネットワーク(GEN)の大同の地球環境林センターの苗木畑で井戸水の大腸菌汚染があって、水が使えなくなって大変困った。従来灌漑用に近くの炭鉱住宅からの排水を利用していたのだが、実は下水が殆ど処理されずに流されていたらしい。そこでGENは新しい深井戸を掘ると同時に、長崎大学環境科学部の石崎教授(次世代トイレ研究会代表)のグループの協力を得て、汚水の浄化と有効利用の対策を進めている。今時日本ではこういうことは珍しいので、科学者も進んだ理論と技術を実際に応用するフィールドワークの場として大変興味があるようだ。日本では研究室で眠っている技術が中国では実際に役に立つ訳である。 GENの植樹に同行し黄土高原の農家で食事したり、泊まったりすると、大地に穴を掘っただけの地球大のトイレで用を足さざるを得ず、最初は随分と抵抗がある。しかしこれも年間一人当たり8千円程度の所得しかないからで、所得があがれば便器もある小屋掛けの便所に、更に水洗トイレヘと変るであろう。又、水洗トイレを使っている大同市内のホテルなどでも壊れて使えないことが多い。上海でも森ビルの最上階にあるサントリーのレストランのTOTO製の便器からは水が勢い良くほとばしるのに、高級ホテルの和平飯店でも水の出が悪い。又、生水を飲めないのは勿論、同じ上海のホテルでは沸かしても匂いが酷くてお茶も飲めない。かように、衛生面だけでも日本が協力できることは沢山あり、購買力がついた所から有望な市場に変化して行く。もっとも水の少ない所では下水道連結の水洗トイレはお勧めではないので、次世代トイレ研究会で研究し、実用化もされているバイオ利用の循環型水洗トイレや、水を使わずオガクズ等を使ってし尿を分解して肥料とし、畑に還元していくシステム等が役に立つだろう。 三鷹寮の石崎先輩に誘われ次世代トイレ研究会と日本トイレ協会の活動に参加するようになって以来、トイレの話題が多くなってしまったが、環境を初め日本にはまだまだ優れた技術が多い。これらに磨きをかけ、世界に貢献し稼がせて頂く、そして先端の技術開発を容易にし、有効利用できるように日本のシステムと産業構造を変えていくことが必要ではないだろうか。 ◎奥の奥道、シャッター街道走破す ◎留学生にもお年玉を! | |
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