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アマダイ通信  NO.26       2001年夏     

注)文中に出てくるはアマダイこと不肖干場革治のことです。
(Tile Fish Network Letter)

 知人・友人各位
 小川の流れる庭よろしく、国有地の小平用水の土手に勝手に植えた萩が可憐な花をつけ、大輪のユリも香しく咲き、花を終えた紫蘭の大きな葉には生まれたばかりのカマキリの幼虫が可愛くしがみつき、幾種類もの蜂や蝶が蜜を求めて舞い、小鳥も美しくさえずる季節になりました。土を掘っても1匹のミミズの姿も見ず、蜂や蝶もしたがって小鳥さえも舞うことまれな、中国の黄土高原をつい思ってしまいます。
 恵みの梅雨に感謝しながら、2千部にまで膨らんでしまった、アナログ通信を送ります。
アマダイ事務所作りました(封筒地図参照)
 私とアシスタントの机とコピー機の他に大きな会議机を置くと一杯の、10坪ほどの狭い空間ですが、ようやく懸案の独立の事務所を作りました。丸の内線本郷3丁目の駅の改札を出て左手(大学へ行く時に本郷通りへ出るのとは反対方向)に折れて直ぐ、区立中学校の1軒おいて隣、春日通りへも2軒目の、黒いタイル貼りのアラミドビルの6階です。高台の最上階で見晴らしがよく東、南にベランダがあるので、これからの季節、夕方からが楽しみです。本郷に進学した三鷹の寮生や、大学院に通う留学生やを掴まえて、一緒にビールと行きたいものです。近くに来た節は皆さん是非お立ち寄り下さい、コーヒーとビール、美味しい地酒くらいは何時も用意して置きます。
 何故?と言われるのも構わず高橋カーテンウオ ールを止めるもエコビジネスの立ち上げに半年もせずして失敗、失業の淵からやむなく情報仲介業を起業して5年、ピンチをチャンスに変えて、お陰様でどうにか自前の拠点を作るところまで来ました。これまで居候させていただいた教育ソフトとコンピューターシステムのラティオインターナショナルの皆さん、高橋カーテンウオ ールや日本ビクターを始めとした顧問先の皆さん、東大三鷹クラブのメンバーを始め知人・友人の皆さんには随分とお世話になりましたが、これからも宜しくお願い致します。
 5年前、設立記念パーティを賑々しく開いて程無くして前の会社を潰してしまった前科もあるので、この不景気の時に事務所なんか作ってと心配される方もいますが、クライアントも多少増えて仕事が軌道に乗って来ると、業界紙のスクラップやファイリング、請求書の宛名書きまで何でも自分でやるのはいかにも非効率。かと言って私の厚かましさをもってしてもアシスタントも一緒に居候という訳に行きません。家賃、什器・備品の損料、人件費等ワンマンカンパニーには結構な負担ですが、リスクを取らないと次への飛躍もありません。アシスタントと自前の事務所を持つことで仕事も効率化でき、東大三鷹クラブやNPO法人「緑の地球ネットワーク」、団塊政策研究ネットワーク等のボランティア活動の拠点として役立てることも出来ます。仕事の効率化で事務所経費くらいは稼ぎ出す心積もりなのですが、意に反して自分の懐から丸々出て行くだけという時は又御免なさいをして、小平の自宅にでも引き籠もろうと思います。そんなことにならないように、皆さん宜しくお願い致します。

◎いっそ不動産屋に?!
 施主筋のご紹介をいただいて設計事務所に高層ビルの外壁のカーテンウオ ールやビクターのAVシステム等の営業に行くと、どういうルートでうちに来たのかと聞かれ、それならうちの仕事も手伝えと時に設計事務所の営業の片棒を担がされ、ある時ヤマト運輸の武田専務(S35年東大三鷹寮入寮)を一緒に訪問する。しかしヤマト運輸は困った時に世話になった所を大事にして最大手の設計事務所に何時も頼むことにしている由。いささか気落ちしたの表情を読み取ったか「ただ調布か府中にトラックターミナルをどうしても作りたいんだが用地が見つからない。2万u前後の適地を探してくれれば話しは別だよ」と武田先輩。
 同情してリップサービスの積もりかも知れないなどとは露考えないはさっそく日本一の地主の都市公団本社の、いつもお世話になっている大村都市再開発部長を訪問。手持ちの土地を見繕ってもらい再訪するも、その辺にはもうあるんだよねと武田先輩。しばらくして建設省顧問の時に路上観察学会の奥の細道路上観察実現でお世話になった都市公団の伴総裁(S34年三鷹寮入寮、元建設事務次官)に、3月で無事終了したことをお礼方々報告に上がったついでにこの件を話すと、他にも土地は沢山あるんだがうちの組織も縦割りなので、今度集約する組織を作るからと、長峯参事役を紹介してもらう。さっそく法的整理になったそごうの集配センター跡地など、多摩ニュータウン周辺の土地を武田先輩に提案するも場所が悪かったり、地形が悪かったり。公団が駄目なら東京都という訳ではないが、品川の食肉センターの1期工事のカーテンウオ ール(高層ビルの外壁)でお世話になった中央卸売市場の朝倉部長にお礼方々2期工事や築地市場の移転工事のお願いに上がると、うちにも売地はあるよと、大田市場の資料をもらう。もっと詳しい資料をと都庁に渡辺港湾局総務部長(S42年三鷹寮入寮)をたずねると、港湾局と財務局の土地も見繕っておくからとのことで、土地を売らないと給料出さないぞと渡辺部長からハッパを掛けられているという臨海開発部の誘致促進課の補佐と係長を後日銀座のクロネコヤマトの本社へ帯同。3度目の正直か、臨海にはJR貨物(飯田橋のJR貨物のビルでお世話になっている伊藤社長のお顔が一瞬浮かぶ)の借地など2か所ターミナルがあるんだが賃料も高く、手狭になって来ているので、自前の土地を手当てして大きいターミナルに集約するのは大変興味があるが優先順位もあるのでと、資料を預ってもらうことに。
 まるで不動産屋になったような気分だが、考えてみれば建築情報は又、不動産情報でもある。建築情報のみならず、不動産の情報も仲介することができれば、下流の建築の場面で下請けメーカーの立場から一方的に採用をお願いするだけでなく、より上流の相手方にも役に立つことができ、システマチックに、効率的に情報を仲介できる筈。新しいビジネスモデルにならないか。幸い若い時に知り合いの不動産屋に頼まれて試験を受け、宅地建物取引主任者の資格を持っているので、自前の事務所を持った機会に不動産屋の看板も掲げるのは面白いかも知れません。何よりも世話される立場から、世話もする立場へ、双方向に情報を仲介し、より多く人の役に立てるようになるのは素敵なことです。

◎路上観察隊、奥の奥道へ
 伴先輩の「うちの若い者もこんな人間臭いものを勉強しなければ」との一言で瓢箪から生まれた駒に乗り、芭蕉の足跡をなぞらんと1昨年の夏、千住を旅立った路上観察学会の奥の細道俳諧(徘徊?)ですが、この春大垣で無事終了。赤瀬川原平(芥川賞作家)、南伸坊(イラストライター)両名の文芸春秋グラビアでの連載、藤森照信(東大教授、近代建築史)、林丈二(作家)、松田哲夫(編集者、TBS王様のブランチレギュラーコメンテーター)を加えて地方紙全国26紙でも連載、目にした方も多かったと思います。
 しかし芭蕉は残念ながら岩手は平泉、秋田は象潟に一歩足を踏み入れただけ、青森に至っては触れることすらない。だが、平成の奥の細道は青森まで歩いて完結する。そこで路上観察隊は奥の奥道へ。先ず4月末に恐山から竜飛に渡り、斜陽の金木を経て花の弘前城へ、更に新緑の十和田へと奥州街道を徘徊。いよいよ8月1日から3日間で秋田の羽州街道を走破することに。角館に前泊して1日は朝から角館、神岡、横手、十文字、湯沢、大曲、を徘徊、滝温泉泊。2日は大内、本庄、岩城、秋田、男鹿、大潟を3隊で観察、森岳温泉泊。3日は山本、能代、二ツ井、鷹巣、阿仁、森吉、大館、小坂、鹿角を歩いてそれぞれ夜は成果品の品評会。全国でも1、2の歴史を誇る地方紙の魁、秋田魁新報で奥の細道路上観察を楽しまれた故郷の方も多いと思います。一緒に歩いてみませんか。機能一辺倒ではない新しい「道」とその楽しみ方を発見できると思います。

◎GEN10周年へ・・・名古屋駅ビルでも写真展
 4月1日から8日まで黄土高原を撮り続ける写真家橋本紘二氏の写真展「写真報告/中国黄土高原、砂漠化する大地と人びと」が京都駅ビルで開かれ、合計3万人余りの人が入場し、中国の環境大臣やフランスの公使も訪れました。私も出張の途中立ち寄りましたが、通りすがりの人が写真を目にすると魅入られたように会場に入って行きます。日本では沿海の3億人の中国、マーケットとしての、安価な労働力市場としての中国ばかりが報道されますが、8、9億の人間は内陸に住み、多くは黄土高原と同じ様に砂漠化する大地を細々と耕して生活しているのです。多分戦後直ぐの東北の寒村で育った私でさえ経験したことのない過酷な生活環境が、日本で報道されるもう一つの中国とは余りにも違った現実がそこにあったからでしょう。
 しかしその現実は単に後進故ではないのです。そこはかって文明の再先端、栄華を究めた北魏の都、平城京のあった所なのです。緑豊かで生産力も高かったが故に栄え、人が増え、増え過ぎたが故に、耕地のために、薪として、建築材として木が伐られ、森が失われると共に水も失われ、繁栄も失ったのです。目先の豊かさに目が奪われ、回復しがたいほどに環境を破壊することで、今やそこでは生存を確保することさえ難しくなっているのです。多分、今そこに住む人々がその地を去ることで緑が、そして水資源が回復するのでしょうが、しかしそれは至難の技です。多分効率は悪くとも、愚公山を移すが如くに、ひたすらその地の民と共に木を植え続けるしかないのでしょう。
 他方、現代の我々も又、化石燃料を過大消費し、炭酸ガスを空気中に過放出して地球の温暖化を招き、人の住めない星にしてしまうという形で、同様の過ちを規模を拡大して繰り返しつつあるのではないでしょうか。砂漠化する大地の緑化を訴えることで、地球環境問題を考え、環境負荷の少ない交通手段としての鉄道をアピールする趣旨で、大学で2年後輩の山田JR東海常務取締役(卒業は彼の方がずっと早かったのですが)のご理解を得て、名古屋駅ビルでも黄土高原の写真展を開催することになりました。7月24日から8月1日(予定)まで名古屋駅中央コンコースの高島屋前イベント広場で開催します。東海地区の方々、期間中名古屋に出張される方は是非御覧になって下さい。又、GENの東海地区の会員は手薄なので、当日受付や案内を手伝っていただける方がいらっしゃいましたらご連絡いただければと思います。
 尚、京都の写真展は環境省、国土交通省、文部科学省、林野庁、外務省、中国総領事館等に後援していただきましたが、それぞれ小島総括審議官、丸山総合政策局次長、伊勢呂総括審議官、小畑元林政課長、下荒地元バンクーバー総領事等にご尽力いただきました。ありがとうございました。名古屋の写真展も宜しくお願い致します。

◎黄土高原で植樹しませんか?・・・植樹もする観光ツアーを作りたい!
 NPO法人緑の地球ネットワーク(GEN)も高見邦雄事務局長(S41年三鷹寮入寮)が92年1月に山西省大同市の黄土高原で徒手空拳で緑化協力を始めてから早や十年。4百ミリほどの年間降水量の3分の2が夏の一時期に集中し、土壌を流し、土は劣化し砂漠化が急速に進む地で、環境破壊と貧困の悪循環から抜け出すため、現地のカウンターパートナーの青年連合会や農民と共に、精力的に植林を続けています。この春までに3千5百fの山地や丘陵地に千百万本の松や杏を植え、40余りの貧しい村の小学校に作った果樹園の半分で収穫が始まり、10eあたり160、千6百元(1元14円ほど)、アワ・キビの栽培に比べ4〜5倍の収入を上げるまでになり、学校に行けない子供の就学支援に役立ち始めています。これからが楽しみです。更に苗圃や植物園を作り育苗や植栽の技術などソフト面での協力も追求しています。
 この間沢山の困難に遭遇しながらも、日中両国の多くの人々に助けられて、草の根緑化協力を大きく発展させることができた訳ですが、台所は何時も火の車。昨年度で現地の緑化事業で使ったお金が政府関連や民間の助成金中心に3千万円ほど、日本での経費が会費や寄付金、多少の事業収入等で2千万円ほどなので、3人の事務局員の人件費も250万円ずつしか出せません。逆にこんなに少ないお金で上げた成果の大きさに驚きます。年間百億ドルほどの2国間の政府開発援助(ODA)がその効率の悪さどころか、現地の住民からは往々にして反発さえ受けることを考えると、GENの様に成果を上げているNPOにもっと金を回すように政府はすべきではないか。まして競争馬や愛人等に使われた外務省某室長の横領金12億円(もっとある筈)の一部でも回してくれればと嘆いても当座の役には立ちません。何か収益事業を考える必要があります。
 今でもGEN単独の植樹ツアーを春・夏の2回企画し、30名ほどの定員は直ぐ埋まります。ジャスコやサントリー、東北電力等の労組のツアーも含め現地を訪れる日本人もこれまで延べ千百人を突破し、GENも少しは事業収益を上げているのですが、お互いに顔の見える関係にするための植樹に主力をおいたもので、単独事業ではこれ以上規模を拡大するのは無理です。そこで「植樹もする観光ツアー」を大手の旅行会社とタイアップして実現できないか、小林英俊JTB企画部長(S43年入寮)に相談。かって支店長を務めた海外旅行虎の門支店の支店長を紹介してもらい、企業の研修旅行や報償旅行で提案してもらうことに。京都駅ビルでの黄土高原写真展のお礼にJR西日本の南谷社長を訪問した時には子会社の日本旅行の南副社長も紹介していただく。雲崗の石窟や懸空寺等の観光を主体に黄土高原で植樹もするツアーを企画、植樹のところだけGENが請負えれば、もっと多くの人に黄土高原での植樹とその現実を体験してもらい、GENの運動を収入面から支え、拡大することができます。

◎京美人タイへ・・・勝手に応援だ!ん?宣言そのG
 1昨年の春、初めて緑の地球ネットワーク(GEN)の黄土高原緑化ツアーに参加した時、奥様然と落ち着いた感じの京美人、藤井由美(よしみ)さんがおりました。30余人のメンバーの半分は学生、半分は中高年のカップルなので、単独行の二人は移動のバスや食事の席で隣り合わせることが多く、何となく即席カップルが成立?!聞けば独身で大阪の幼稚園の先生をしている由。50度の白酒をクイクイ飲り、飲みっぷりも良かったので帰国後関西出張の折、1、2度京都で食事をするストーカー行為?!ストーカーを避けんとしたか、驚いたことにバブルの時購入したマンションを損切りして売り払い、タイに渡って「子供の村学園」というNGOの仕事をするという。この女ウワバミはなんてことを!飲みっぷりもいいが、思いっ切りもいい!これが京女かと酔狂者の私も腰を抜かす。
 子供の村学園の詳細は同封のパンフレットに譲るとして、通信24号で紹介したインドのアウトカーストの子供達の里親になって就学支援している、サマンバヤの会と同主旨の運動です。貧困や家庭崩壊、虐待などで預けられる150人ほどの子供を自由と自治、自立をモットーに共同生活させ、教育を与え、職業教育も施す共同体です。GENもサマンバヤの会も子供の村学園も、貧困ゆえの子沢山、子沢山ゆえの無教育、無教育ゆえの貧困という悪循環、その結果としての人口増による地球環境の破壊という共通の背景があります。教育を受けられない貧しい子供達に生活の場を用意して、先ず教育を与えることでこの悪循環を断ち切ろうという訳です。50年、百年とかかる気の遠くなるような運動ですが、応援したいと思います。運動を最初に創り出す者の最初の1歩に比べると、応援団のそれは易しいものです。あなたも一緒に応援しませんか。
 以下に主な支援の方法を記します。同封の用紙で可能な金額を振り込んで下さい。
@スポンサーシップ
 子供と精神的な里親−里子の関係を作ります。支援期間に応じて半年毎に、里子の情況報告書を送りますが、支援金は子供の村学園全体の運営費として使わせてもらいます。
 支援額は1期(半年)分でAクラス30,000円 Bクラス15,000円 Cクラス7,500円です。報告書の内容に差はありません。
A大学奨学金
 一口2,000円で何口でも結構です。継続して一人の子供の支援をご希望の方は半年毎に1万円を4年間ご支援下さい。継続支援の方には子供の報告書を送ります。
Bバースデーミール
 タイ人にとって自分の誕生日は人になにかしてあげる日です。幸せを子供達に分けてやって下さい。支援の種類は白米百3,600円、食事1日分9,000円、朝食2,400円、昼食3,300円、夕食3,300円、牛乳1回分1,800円(いずれも子供とスタッフ約180人分)です。報告の写真を送ります。
Cお誕生祝い
 年に一度のうれしい日をお祝いするのを手伝って下さい。支援額は一人につき1,500円です。ケーキや果物を買う資金にさせていただきます。後ほど子供の写真を送ります。Dその他
 用途を特定する場合にはその旨お書き添え下さい。一般支援金、支援物品も随時受け付けております。
E学園訪問
 子供達に会いに来て下さい。1泊3食付き150バーツで学園内宿泊も可能です。

◎数量規制で弱い日本は救われるか?・・・団塊ネット28回政策研究会
 い草、長ネギ、生椎茸の3品がWHOの規定により数量規制されました。日中で話し合いが行われていますが、解決の目途がつきません。前年度の輸入実績を越えたら自動的に輸入関税を掛け、日本の市場価格まで税金をかけます。次の対象品目も目白押しと言われています。
 ただ、1国だけ何も輸入せずに輸出ばかり続けるということはできません。勿論基軸通貨国であれば通貨を「輸出」することで、商品やサービスを輸入し続けるということは理論上可能かも知れませんが、その通貨は下落不可避なのでいずれ誰も受け取らなくなるでしょう。結局何か外国に売ろうとすれば外国から何か買わなければいけない以上、生産性が高く価格競争力の強い物を売って、生産性が低く価格競争力の弱い物を輸入するということになります。そうでないとすれば輸出で外国から受け取った通貨を再度外国に戻して(援助して)、もう一度日本製品を買ってもらわなければいけません。政治の歪みから過保護にされ、低い生産性に甘んじて来た日本農業の問題がここで出て来てしまいますが、再度保護しても、問題がほんの少し先送りされるだけではないでしょうか。
 他方、中国の側から見ても、食料が不足し黄土高原のように1日2食の所もあるのに、なぜ国内で消費しないで輸出するのか。水不足の中国が7〜8割が水分で水を輸出するに等しい野菜をなぜ輸出するのか。日本と違って小麦やトーモロコシなど主食たる穀物の値段を政治的配慮から低くするために、政府の農民からの買入価格を低く押さえる結果、高い値段で売れる日本向け野菜の生産に走るということはないのでしょうか。
 結局のところ、日本の農業労働力と土地のコストと、中国の賃金と土地のコストとの競争の結果、コスト高の日本農業が敬遠され、コストの安い中国の労働力と土地が野菜という形で日本に輸入されているということかと思いますが、問題の所在と方向性について、松林正一郎三井物産食料本部リティール事業室長(S42年入寮)に語っていただきます。 6月28日(木)、神田の学士会館で6時半開演です。

◎教育の驚くべき現状と改革の方向・・・団塊ネット26回政策研究会報告
 4月6日の西村和雄京大経済研究所教授による第26回政策研究会の抜粋を報告します。★生産力の回復には教育改革
 日本では1979年に共通1次試験を実施し、80年に「ゆとり教育」が始まります。米国では81年にレーガンが大統領に就任し、米国の生産力を回復するために先ず教育改革をやらなければということで、『危機に立つ国家』という報告書を出しました。しかし日本では87年に国立大学を二つ受験できる「A・B日程」が実施され、以降「A・B分離型」などと複雑になっていきます。そして偏差値は入試科目が違えば比較は不可能であるにもかかわらず、早稲田が東大を抜いたとか、慶応が落ちて来たなどと言われました。それで慶応の経済学部は数学が必修だったのを選択科目にし、国立は90年に「アラカルト方式」を採用し、少数科目入試に変えていき、どんどん学力が低下していきます。
★中国に負けた日本のトップ国立・私立大学
 受験科目少数化の弊害で数学のわからない学生が入って来て、学生の学力低下に最初に気付いたのが経済学部の先生です。数学ができなければ経済学はわかりません。私たちの98年の調査では私立のトップ校でも小学校の単純な算数の計算のできない大学1年生が5人に1人います。ほとんどの学生が満点を取ってもおかしくない同じ問題で実際に北京大学の哲学科の1年生で試してみたところ、24点と23点が各1人いましたが、他は全員満点(96%)でした。ところが、日本の国立トップ校の文学系類の1年生では25点満点を取ったのは45%、そこと並ぶ国立トップ校の文学部の1年生では23%で、名実共に日本のトップの国立大学であっても中国のトップと比べると見劣りする。トップ私立大学の文学部では5%以下、そこと並ぶトップ私立大学の人文系学部では2%以下です(詳細は西村和雄他著「少数ができない大学生」、東洋経済新報社、千7百円)。   ★教育は読み書きそろばん・・・アメリカの教育改革
 私は以前山口の愛宕小学校に呼ばれて見て来たことがあるのですが、その小学校を出た子供が中学校に入って問題児になるということで、町は大変困った。町長が何とかしてくれとのことで、読み書きを徹底して教育したら、問題児が全くなくなり、皆挨拶ができるようになったとのことです。
 チャータースクールというのは米国では学力向上を目的に地域の人が公立学校を運営するのです。クリントンは理数科教育を推進するための政策をどんどん打ち出し、18人クラスを設置したり、チャータースクールも成績が悪い時には廃校にします。アフタースクールプログラムは学校が終わった後に補講をしたり、クラブ活動をしたりして子供達を犯罪から守るようにするものです。学力の達成度をはかれ、入学許可要件を引き上げろ、標準学力テストをやれと要求し日本のゆとり教育とは逆にはるかに多い宿題を課し、1日7時間授業を導入します。それを統計学者や経済学者、教育学者に評価させて報告書を作らせ、最終的に出て来た報告書では、20人を切って18人にした時にドラスティックに成績が上がり、維持され、非行が減ったのです。
 そして大学に入る時には大学入学適性試験があります。SAT1は皆が受け、いい大学はSAT2を要求します。APは大学レベルの授業を受けて合格するともらえ、GREは大学院入学の時に使い、MCAITは医学部進学の時に必要になる。LGREはロウ・スクールに入る時に必要になる。企業も採用する際に高校と大学の成績を重要視します。
★国家公務員試験を大学入学統一試験に
 日本も大学に入る場合は統一卒業試験か、大学入学試験かどちらかを必要とすべきです。国家公務員試験は幅広い教養試験ですから、大学入学統一試験に採用してもいい。そんなに一芸入試をやりたければ五科目で入学した学生は授業料無料、一科目で入学する人は1千万円払ってもいい。昔だったらそれを「裏口入学」と言っていたのですから。
 大学院は授業に応じて定員を弾力化し、専門家養成プログラムをつくり、実力主義を導入して、授業料をタダにすべきです。相撲部屋に入門した人から授業料はとりませんね。それと同じで専門家を養成するならば、逆にお金を与えるべきです。
 (以上はDネット通信での報告を、更に小生が要約し、わかりやすく一部補正しました。先生の意図を反映していないとお叱りを受けるかも知れませんが。)

◎働く女性について・・・38回三鷹クラブ定例講演会
 7月27日(金)の38回目は岩田喜美枝さん(厚生労働省雇用均等・児童家庭局長、S41年入学)を初めての女性講師として迎えます。岩田さんは三鷹クラブの平賀代表が労働省国際労働課長在任の頃(S53〜56年)そのスタッフとして能力を発揮し、以来最も頼れる同志の一人とのことです。厚生労働省発足と共に両行政の関係局を統合した組織の責任者に就任されたのを機会にお願いし、快諾していただいたとのことです。
 岩田さんには夫君との間に二人の娘さんがあり北大(医)と京大に在学中です。深夜まで残業が続く不規則な本省勤務と家庭生活を両立させるためには苦労も多かったと思われますが、そんな気配を他人に感じさせたことはないとのこと。女性が働く枠組みは大きく変わり、現実に就業者も増え、責任ある地位への進出も目立つようになりました。しかし、私達を含め社会の意識はそれほど変わっていない部分もあります。この機会に「女子学生には近づきにくい男子寮」生と憧れの女子学生との率直な意見の交換が行われんことを!因みに岩田さんは高松高校で宮脇義秋NTTコミュニケーションズ潟\リューション事業部長(S42年入寮)と同級とのこと。当然宮脇君も参加されることと思われます。
 何時もと同じく神田の学士会館で6時開場、7時開演。飲食付きで会費5千円です。

◎マルクスに会いにロンドンへ
 年末に娘とニューヨークに行くと、どうしてもヨーロッパを見てみたいとの思いが募り、5月の連休にロンドン、パリ、ローマ3都市巡りの欲張りな安いパックを探して駆け足でヨーロッパを回る。パリではノルマンディーのモンサンミッシェルに、ローマではナポリまで足を伸ばしたから随分せわしい旅であった。何故こんな無理をしてまであちこち行きたくなるのか、30代の失われた10年への思いからではないかと自問自答する。
 中野の刑務所から駒場のキャンパスに帰ってくると寮で同じ釜の飯を食い、クラスで激しく議論した仲間は既になく、それでもどうしても大学を卒業しようとか、就職しようとか「市民社会」に入る気持ちにもなれず、武闘路線を純化して内ゲバに走る残党分子の仲間にも入れなかった。食べることはどうにかなる、受験業界に潜り込んでサラリーマンの半分くらいの労働時間でどうにか食べられるようになると、なかなかそこからも出にくい。30代の10年はあっという間に過ぎて、気がつくとかっての仲間達は官界で、実業界で学会等でそれなりの地位につき立派に活躍している。何となく寂しい。気がついても遅いのだが、私でも入れる隙間を見つけて40才で市民社会に潜り込み、当然の報いとはいえ失われたものの大きさを知る。駆け足で生きるしかないのかと思う。
 そんな思いを胸にロンドンでは先ずマルクスの墓に向かう。写真家の橋本紘二さんの、新潟は松之山の山荘のドブロクを飲む会でこの冬知り合った、ロンドン在住のガイドの滝沢ユミさんに案内してもらうが、彼女も20年ぶりだという。わざわざ訪れる日本人は少ないようだが、ハイゲートの墓守りのいる大きな墓所で、マルクスの墓は一際大きく、綺麗に維持されている。新しい花も供えられていて、私も日本から持参した「おーいお茶」を掛ける。出来の悪い弟子はここでも花を持参することなど考えつかないのである。先ずロシアで、次に中国で、多分マルクスの考えも及ばなかった後進国で「革命」が起こって、そんな筈じゃないよと墓の中で思っているのだろうが、そこまで考えが及ばなかったのがお前さんの時代的限界というものだ。当分あんたの出番はなさそうだから、悪いけど、市場経済と議会制民主主義でしばらく走らせてもらうよ、出来の悪い遅れて来た日和見の弟子は呟く。

◎最後に・・・白神伝説差し上げます。
 今年のカモメールもどきの景品は故郷八森町の白瀑酒造の地酒「白神伝説」(純米吟醸??4合)を、開業5周年に因んで、封筒の表の番号の末尾05番の方に贈ります。

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