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アマダイ通信  NO.23       2000年秋     

注)文中に出てくるはアマダイこと不肖干場革治のことです。
(Tile Fish Network Letter)

 知人・友人各位
 夏の太陽に焼かれた生き物の疲れを癒すが如く、秋の雨が降ります。大学の寮で同期の、緑の地球ネットワークの高見邦雄君と再会し、昨年来三度、乾いた中国に植樹に出かけてから、時に住む家や人の命さえ奪う雨も、何かとても愛しく、大切なものに思えてきます。20世紀最後の通信を送らせていただきます。

◎わくら葉を水に浮かべ
 東海地方では先日、百年に一度の大雨とかで都市河川が氾濫して沢山の方が被災し、交通も大混乱でした。直後に同じく寮で同期の、名古屋出身の秋江敏弘君に東大三鷹クラブの定例講演会で顔をあわせましたが、彼の生まれた家も床上浸水し、ご両親は二階に逃れて難を避けたとのこと。彼が言うには小さい時から堤防はカミソリの様にそそり立っていて、俺たちはそこで遊んだもんだ。あれ以上堤防が高くなってもな、とのこと。
 ところで、固体の地球ができて45億年、同年齢の海で生物が誕生して38億年。生物がやっと陸に上がったのは4億2千万年前、現在の人間に進化したのは1万3千年前とか。太陽に暖められ海から蒸発した水は上空で冷やされ雨となり、山を削って平地を作り、生物を育んで来ました。しかし、地球環境に育まれ自らもその一部である人間は、2足歩行し、道具を手にして以来、その自然と敵対するかのごとくにして、自らの領域を広げ、種を増やして来ました。だが、緑豊かな大河のほとりでまず栄えた人間の文明も、緑と水を失うことで輝きを忘れ、今は四大文明発祥の地として回顧されるのみです。その一つの黄河は流れる水さえ失い「断流」が叫ばれ、朱首相でさえ首都北京の放棄を口にします。
 思えば45億年間、ただ水は海から蒸発し、雨となって大地を潤し、もう一度川となり海に戻るだけで、人間はその自然と一人相撲をして来たようなものです。水に浮かび流されゆく病葉のように。たとえ百年に一度の大雨に耐えるようにさらに高い堤防を作ったとしても、2百年に1回の豪雨が来たら、もっと被害は大きくなります。これ以上自然を克服するとか、コントロールしようとか考えるのではなく、人間の生活を自然に合わせる、ハードよりもソフトで対応するように心掛けることがもっと必要ではないでしょうか。

◎中国からインドへ
 緑の地球ネットワークの高見君に誘われ乾いた中国へ3度植樹の旅をすると、もう一つの人口大国インドへの思いが募る。幸い居候先のソフト会社ラティオインターナショナルの大橋憲三先輩(S38年東大三鷹寮入寮)や同室だった1年先輩の埼玉医大の須田沃氏(S40年入寮)が関係するサマンバヤの会の仲間が、アウトカーストの子供の教育のために里親の形で資金援助をしているインド・ビハール州のサマンバヤ・アシュラムとの交流の旅に行くという。アシュラムとはヒンディー語で「精神修養の場」、サマンバヤは「調和」の意。ガンジー翁の四大弟子の1人、ビノーバ翁が創設した「調和のための精神修養の道場」サマンバヤ・アシュラムは、子供の教育こそが未来のインドの開発のためになると考え、身分制度で抑圧されているハリジャン(不可触賤民)の地位向上のために、その子弟の教育に当たっている。通り一遍の観光旅行ではない、インドへの旅が出来る!この夏休みはインドに遊ぶことにする。
 ところが、サマンバヤの会の主要メンバー2人の親が倒れ、介護に励まなければいけなくなり、交流の旅は急に中止に。団塊世代はそういう年頃なんだと思ってもインドへの思いは募る。12億の中国を間もなく追い越す人口大国インド。今でも地球人口60余億の3分の1をこの2国で占める。地球上に居住可能な人口は80億とも百億とも言われるが、この2国がどうなるかでこの星の運命も決まる。生物環境としての地球は大気の微妙なバランスの上に成り立つ。成層圏のオゾンが太陽からの紫外線を吸収して生物の生存を可能にし、大気中に0.03%含まれる二酸化炭素と水蒸気が温室のガラスの役目をして大気の温度を上げ、地球の平均気温を15℃に保っている。フロン等でオゾンが壊れれば地上に達する紫外線が強くなり皮膚癌が増え、人間の免疫機能は低下し、いずれ海の水も蒸発し尽くす。炭酸ガス濃度が高まれば温室効果で気温が上がり、生物界は大混乱し、両極の氷が解け海水面が上昇する(NHKブックス「水の科学」、北野康著)。今でさえオゾン層の破壊が進み、炭酸ガス濃度の削減が叫ばれるのに、2つの国の過半を占める貧困層が「豊かな生活」を享受するようになったら、地球はどうなるのか。一介の素浪人が歯ぎしりしてもどうにもならないと苦笑しながらも、インドへ行ってみたくなる。それに、非日常の世界に身を置かないと休みにならない。仕事にもメリハリが効かない!?通り一遍の観光旅行でもやむを得ない。4泊5日の安いパックを探し、いざインドへ。
 海底まで透けて見える瀬戸内海を通り、福岡から大海原へ。群青の海の色が粘土色に変わる一線を越え、大陸の近いことを知る。揚子江の流れはここまで来るのだ。所々に集落が点在し上空からはなだらかな緑の丘陵にしか見えない雲南の山々を、黄土色の太い道路が蛇行する。川が見えないなと思っていたら、これが川なのだ。川と道路が同じ色で見分けがつかない。「山荒し」がいるらしい。集落が見えなくなり、緑が濃くなる。ミャンマーへ入ったのだ。川の色が粘土色に変わり、道と区分けがつくようになる。しばらく飛ぶと突然川幅が広がり、海に出たようだ、所々に緑の島が点在する、と思ったのは実はベンガルの氾濫原だ。「海」の際に堤防らしきものがカーブを描いて見える。延々と1時間以上も同じ光景が続き圧倒される。ガンジスの流れはバングラディッシュの民に災厄と実りの両方をもたらす。バングラディッシュの氾濫原が消え、インドに入る。雨季のデカン高原の広大な平原に直線に灌漑水路が走り、青々と実るのは小麦だろうか。山などは目に入らない。7時間以上の空の旅を終えて、デリーに着く。

◎インド!喧騒と貧困・諸物共生?の世界へ 今回はどんな人と会えるのか?期待して入国手続きを終えると、妙齢のインド美人が待っている。「私はシーマ、日本の車と同じ名前。直ぐ出ましょう」という。え!僕だけ?最少催行人員2名とあったのに、ドタキャンか、ガイドとマンツーウーマンの旅らしい。少し寂しいが、一人だけなら予定通りの旅程を辿る必要はない。少しはわがままを聞いてもらおう、シーマからじっくり吸収しようと、頭を切り変える。さっそく名所・旧跡を幾つかパスして、スラムとバタヤ部落へ連れて行ってもらう。一般の生活も見てみたいと、彼女の姉さんのマンションにも案内してもらう。
 デリーのバタヤ部落は、最近崩れて数百人の犠牲者を出したマニラのスモーキーマウンテンの様に、一か所の大きなゴミの山の周りに大きなスラムがある訳ではない。中層の広壮な邸宅が立ち並ぶ高級住宅街の塀に丸太を立て掛け、ビニールシートで覆った小屋の群れが市街の各所にあり、半裸で裸足の老若男女がゴミの塊をほじくり返し、ビニール袋等金になるものをさがしている。交差点で車が止まると、女の子が金をくれとガラスを叩き手を突き出す。ここが最下層のカーストのハリジャンが住む所と案内された大きなスラムは、臭いものには蓋とばかりに、高い塀で通りから遮られていた。こわごわ中に足を踏み込むと子供達がわっと寄って来る。持参のインスタントカメラのシャッターを押し、出て来たフイルムを振りながら、一人の子供に手渡すと、沢山の手が突き出される。写真に写る経験はないらしい。全員撮ってやるほどのフイルムはない。早々に退散すると、ぞろぞろ子供達がついてくる。牛が分離帯で草を食べ、堂々と道を逆進し車がそれを避けて通る路傍では、絵葉書や風船で作った猿など、どうでもいいような物を買えと物売りがうるさい。人形劇の綺麗な人形を立て掛けて売るそばで足踏みのミシンが回る。ホテルで見た人形だ。美味しい食事を作る汚い台所を覗いてしまうと食欲が萎えるのと同じだ。炭火に直にトーモロコシを置いて焼く屋台もある。食べたら癌になるとシーマ。
 裕福な家庭で働くメードもこんな所に住むと言う彼女に、シーマのメードもと聞くと、もう少しマシな所という。厳しいカースト制度もあり生身を割かれるような悲恋は多いようだが、インドでは恋愛結婚は少ない。持参金を持参し、見合い結婚した、アメリカ大使館で働く大卒の夫の年収が確か20万ルピー(?1ルピーが約2.5円)、メードの月給が千ルピーとのこと。栄養士の私のカミさんの年収が8百万円くらいと聞くと、日本で働いてインドで暮らせばいいと賢いシーマ。跳び級して名門ネール大学の日本文学科を20歳で卒業し、夫の両親と同居しメードもいる29歳の彼女は料理をしたことがないという。メードどころか、女房一人養えず働きに出す私は、掃除と洗濯が日課だ。尿素入りのハンドクリームで随分助かるが、人に会うのが仕事だというのに、これからの季節は水仕事で手が荒れて心配だなどと考える。日本の共働きのサラリーマンより、大学出のインドのサラリーマンの方がいいかも知れないが、間違ってもインドのメードにはなりたくない。

◎資源浪費なき成長を!
 喧騒と貧困、猥雑さでは中国もインドに決して負けないが、高層ビルの立ち並ぶ沿海の北京から夜汽車で7時間の煤けた中層ビルの大同、更にそこから2〜3時間バスに揺られてたどり着く1日2食、「地球大のトイレ」で用を足す寒村と、貧富の差が縞模様にできている。インドではこれが斑模様で一か所に混在し、上下の差が極端である。IT景気が喧伝される一方で子供の半分は学校にも行けず、路上にシートを掛けて生活し、そこから這い上がる気力も無さそうだ。裕福な者もそれを所与とし、変革の意欲は乏しい。ガンジー翁のリーダーシップの下、非暴力でイギリスからの解放を勝ち取り、中国と共に非同盟諸国の雄として活躍した輝きはない。国民が一丸となり一つの目標に突き進むのは難しそうだ。他方、中国では西部大開発が叫ばれ、この「縞模様」を解消しようとの息吹が、事の真意、是非は別として日本にも伝わって来る。
 彼等が豊かな物質生活を享受しようとする時、地球への負荷が増大し、破滅へつながるからと言って、それを阻止する権利は我々にはない。だが、彼等の生活水準が我々と同等レベルまで向上した時、水とエネルギー、食料、地球大気はどうなるのか。そして、隣人が等しく豊かになることで破綻する、我々自身の消費と生産のシステムに問題はないのか。更に我々以上に、貯蓄率をマイナスにして、つまり借金してまで、過大な消費を繰り返すアメリカもそのままでいい筈がない。もっとも、この不景気でアメリカが買ってくれなければ、日本の経済はどうなるのだと言われるかも知れないが、「消費刺激による景気回復」つまり「資源の乱費と破滅の経済」はそろそろ見直したい。新しい資源を惜し気なく生産プロセスに投入し、消費の過程で廃棄物として垂れ流してしまう経済システムの見直しが必要である。全ての廃棄物を有価物として収集、生産材として再生し、循環利用することで、地球の物理的な寿命と生物界の寿命を限りなく近づけることが必要だ。人間が排泄するものも含めて廃棄物の収集、再生のプロセスに資本と労働力を投入することで、雇用が確保され、新たな成長も始まる。
 折しも原油価格が30ドルを越え、浪費大国からは悲鳴が聞えるが、今こそチャンスではないか。石油製品の価格を高止まりさせ、その再生技術と代替エネルギーを開発するいい機会である。原油価格が下がればその分だけ環境税を賦課し、技術開発と環境改善に回せばいい。製品の国際競争力がなくなるというなら、コストが国際水準に見合う程度に環境税を割り戻す。低所得者に打撃を与えるというなら生活保護など、セーフティネットの充実にも回せばよい。石油だけでなく、人間が産み出したものではない、全ての新しい資源にヴァージンタックスを課し、資源の再生、循環を促進することで、有限な資源を有効活用することが、未来に責任を持つことではないか。かって、自動車を初め環境負荷の少ない省エネ型の技術を開発し、2度の石油危機を乗り切った日本である。資源循環型の社会システムと技術を世界に先駆けて確立し、移出することで世界に貢献することは可能である。環境技術立国こそこれからの日本の進む道ではないだろうか。

◎耕して天に至り、地の底に至る
 この夏、前農水省経済局審議官の小畑農林水産基金理事(S42年入寮)が緑の地球ネットワーク(GEN)の黄土高原緑化ツアーに参加し、環境庁の小島総務審議官(S42年入寮)も黄土高原の現地を視察した。半年任期の、私の後の38期寮委員長が小島君で、36期寮委員長がGENの高見事務局長、小畑君は37期の寮委員と、三鷹寮のパワーが黄土高原に結集しつつあるかの如くである。他に郵政省の有富電気通信事業部長(S43年入寮)や運輸省の丸山航空局業務監理部長(S43年入寮)、それに中国語クラスで一緒で、現在は国際問題研究所に出向して中国で旧日本軍が残した化学兵器の処理に当たる外務省の下荒地君等を頼りに、寮を出てから会っていないしと照れる高見君の露払いをして、黄土高原緑化の資金集めに霞ヶ関を走り回ったのは5年ほど前だろうか。他にも沢山の方々のご協力をいただき、今ではGENも中国の緑化運動を代表するNGOとして知られる様になった。営業コンサルタントとして皆さんにお世話になるのは多少忸怩たるところがあるのだが、せっせと高見君の露払い役でもして、少しは社会に役立つことができればと思います。以下に環境庁の小島君からGENに寄せられたリポートを転載します。
◆中国は、「経済発展による環境破壊」の側面においても「環境と貧困の悪循環の連鎖」の側面においても、21世紀前半の地球的規模の環境問題の鍵を握っている。中国農村部は「環境と貧困の悪循環の連鎖」の現場です。中国指導部の「西部大開発」政策は、内陸開発、とくに貧しい中国農村部の開発を目指すものであり、今後の日中間の協力案件の大きな課題となることが容易に推測できる。その協力の可能性と方策を検討するに当たっても、その現場を見極めておく必要がある。
★黄土高原は「耕して天に至る」というが、同時に「耕して地の底に至る」ということもできる。生産性の低い土地という土地を耕地にし、耕地にならない土地は放牧地としており、土地を使い尽くしている。それでも、貧困からは脱しえない。
★中国北部における決定的な制約要因は「水」である。水問題は、都市と農村の対立を生む。既にその対立は顕在化している。「黄河断流」は、正確なデータの開示はなされていないが、上流域・中流域での降雨量はそれ程変動していないといわれているにもかかわらず、起こっている。その大きな原因の一つは、農業用水、工業用水、生活用水などの水需要の急速な拡大である。黄河が河口に至るまでに水がとり尽くされてしまう。水の不足は地下水の大量汲み上げをもたらし、地下水もまた遂には枯渇する。また、工業用水、生活用水として利用された水の処埋も十分されておらず、水資源の用途をさらに狭めている。 ▼農村では、「飲み水」にも事欠く生活の中で、水が少なくても育つ作物が植えられて いるが旱魃が常態の気候条件の下では、農業もままならない。水がなく、木もない地域 の家屋は、土を利用して建てる。夏の雨は、短時間に集中して降るという。夏の集中豪 雨は、今回経験できなかったが、実際に目にした家屋では、大雨が降れば、溶けて流れ てしまうであろうことが実感できる。災害は日常的なことである。
 ▼大同市では、訪問したアパートの6階に住んでいる家庭(大同市幹部宅)では、この 2年間4階以下は、ポンプアップしても夜の2時から朝方までしか、「ちょちよろ」と した水が出るにすぎず、生活に支障を来している。大同市では、北京に送電する発電所 と石炭採掘が大口の水需要者であるが、大同市で発行されている新聞によれば、今のま までは、2008年には、大同市で使える水がなくなってしまうとの予測がある。新た な水源を確保するか、都市を放棄するかの選択の時が迫っている。
 ▼水の争いは都市と都市との間にもあり、大同市が新たな水源を確保するには、北京と の水争いで年々汲み上げる井戸の深さは深くなっており、地盤沈下も顕著になってきて いるという。このままでは、北京も水を確保できなくなり、首都を移転しなければなら なくなる。
 ▼この深刻な問題の解決策として「南水北調」といって、長江から黄河まで水を引く大 工事が計画されている。現在3ルートが考えられているというが、この大工事は山峡ダ ムの比ではなく、その影響は広範に及ぶ。「社会条件に合わせて自然条件を変化させる」 のか、「自然条件に合わせて社会条件を変化させる」のか、いずれにしても、21世紀 の前半には、中国は、環境の変化により深刻な影響を受けざるを得ない状況にある。
★このような状況のもと、西部大開発における「生態回復」は、単なるスローガンではなく、中国政府の緊急の課題であることが理解できる。今回同行したNGOの調査によっても、黄土高原は人や家畜が入らなければ緑は回復する力を持っていることがわかっている。「生態回復」のためには、長い間をかけて行われた「耕して天に至り、地の底に至る」生活を大きく変化させることが必要であるが、農民の生活を確保しながら、これを実行していくには、余程の科学的調査と練り上げられた政策が必要である。杓子定規な官僚的物差しによる政策の実行は、農民に悲劇をもたらす。
★NGOによる草の根の協力と一言で言うが、土で作った家に住み、農民と同じものを食べ、同じトイレを使用し、生活をすることによって農民の信頼を勝ち得ていくことは、尋常なことではない。中国の農村を回るだけであったが、正直いって、その2日間は、相当の緊張を感じた。NGOによる草の根の協力は、政府による国際協力とは次元の違うものであり、政府協力によって草の根の協力を代替できるものではないし、また、草の根の協力によって政府協力を代替できるものではないことを実感した。NGOによる草の根の協力とあいまって、日本政府としての中国との協力を進めていかなければならないことを、感じいった次第である。

◎分権法に基づく、地方財政確立について   団塊ネット第23回政策研究会は神奈川県地方税制等研究会座長の神野東大経済学部教授に、地方自治体における独自財源の確保、財政改革について講演して頂きます。
 景気低迷が続き、中央政府のみならず地方交付税に依存する地方自治体も、深刻な財政危機に見舞われています。景気対策の頼みの綱である公共事業も、財政難の地方自治体執行分は思うにまかせぬありさまです。こうした中で、東京都による金融機関への独自課税を大阪府が追い、地方自治体の間で、独自の自主財源を求める動きが活発になっています。神奈川県もそのーつで、地方自治体は、どこも同じ状況だと思います。ただ、自主財源の確保も重要ですが、中央、地方が増税競争に入ることによる国民、住民の疲弊も懸念されます。税の増収を計るだけでなく、財政支出の改革にも配慮が欲しいところです。
 神野先生は、税・財政の専門家であり、地方の独自財源の考え方や事例とともに、地方自治体の財政改革についてもお話を伺いたいと思います。
 日 時 11月1日(水) PM6時 開場  6時半 開演
 場 所 学士会館 (tel03-3292-5931 干代田区錦町3-28 地下鉄 神保町下車)
 参加費 3千円(コーヒー・サンドイッチ付き)
               
◎臨海副都心開発のこれから
 7月に北川三重県知事をメインゲストに、団塊の世代政策研究ネットワーク(Dネット)の5回目の総会が行われました。それに合わせ「東京港ぐるっと一巡り」という題で研修会も開催。都の視察船で臨海副都心を視察し、併せて渡辺日佐夫港湾局開発部長(現同局総務部長,S42年入寮)にも講演していただきました。「地方自治体の行政改革」と題した北川知事の講演は大好評でしたが、詳細はDネット通信に譲り、以下に渡辺部長の講演を要約します。
◆臨海の歴史と機能
 東京港は江戸時代は国内の輸送拠点として、明治以降、加工輸出立国の拠点として機能して来ました。家康が江戸に来た頃は日比谷まで渚だったのが、埋め立てが続き1930年代には竹芝まで地続きになります。関東大震災で港がうまく機能せず、神戸や横浜に負けない港をということで、竹芝等の埠頭が作られましたが、その影響もあり東京市の財政は大赤字となり、以来港の会計は独立となっています。
 戦後も続く埋め立ても、廃棄物処理場を除き昭和40年代に終了しますが、豊洲は傾斜生産方式に基づき石炭埠頭として整備され、公害が問題化すると公害を出す工場が移転して来ます。更に埋め立ては自然破壊だという声が起きると、埋め立て地の1/4〜1/3を自然公園にするようになります。処分方針が決まらない内に野鳥が住みつき市民の声に押されて30fほどが野鳥公園になったり、水溜まりにトンボが住みついてできた公園もあります。全て都市機能ということではなく、自然にも配慮している訳ですが、臨海の機能は@公害工場等の再開発の受け皿、A物流拠点、B公園、Cゴミ最終処分場でした。
◆臨海副都心開発と現況
 オフィスビルが丸ノ内に集中して困るということで昭和60年代末から平成元年頃にかけてテレポート構想が推進されます。時代遅れになりましたが、人工衛星を打ち上げ、パラボラアンテナを立てて、ヨーロッパ・東京・アメリカを結ぶテレコミュニケーションポートを作り、通信と情報産業を組み合わせ、過密からの解放も計ろうという訳です。業務ビルを中心に金融センターもということで、マンハッタンとまで行かなくともセンハッタン位の勢いがあったのです。だがバブルが崩壊し、@ビルが余り、A経済も駄目、B丸ノ内の三菱村から汐留や新宿、品川の大型用地の駅近くの大型ビルに移りつつある時に、臨海に過密の受け皿機能はあるのかという疑問が出されます。
 現在、計画のうち@就業人口は2万7千人/7万人、A居住人口はお台場に3千8百人/5千人(最終的には有明含め4万2千人)、B来場人口はゆりカモメ等で3千150万人(昨年)です。居住人口は有明地区が中心でこれからですが、土地処分状況からは4割方、施設の面からは7〜8割方進んでいます。人が来る点、観光スポットとしては十分評価できます。異次元空間へ来る感じで若者に人気があり、ゆりかもめも開業4年で黒字と、公共交通にとっては“異常な事態”です。我々世代にはわからない魅力があるようです。◆職・住・遊・学で行こう!
 間もなく国際大学村もできます。留学生がアパートに入れないということで文部省が千人の国際学生寮を作り、科学技術庁と通産省が共同研究施設や科学博物館を作ります。副都心の位置付けからどうかという意見もありましたが、これからの日本を考えると重要な施設であり、国際化にも沿い、土地の有効利用にもなります。
 都市基盤は都が整備するということで、地主的な立場の港湾局が2兆4千億円の半分を負担し、清掃工場等も土地の処分収益で賄っています。震災や都市景観に配慮した共同溝や道路も9割方完成しています。耐震の面から情報産業、特にアメリカの方からは評価されています。情報通信のインフラとしてのデータセンター等に最適です。実際テレコムセンターにはドコモの交換機が入り、KDDのデータセンターも入居しています。IDC、現在のケーブルアンドワイヤレスも臨海に進出しています。どうしても都心の近くにという企業や、丸ノ内でなくてもいいというドライな外資系は臨海に進出しています。
 そういう訳で職と住とエンターテイメント(遊)と大学でやってみようと思っています。土地の有効利用ということで温泉のテーマパークに10年間暫定利用しますので、遊・学ではなく湯・楽ではないかと言われたりしますが、ホームランは難しくとも、ヒットを続けて行きたいと思います。石原知事がカジノはどうかと言うと色々批判されますが、ラスベガスのあるネバダにも大学があるので、問題ないと思います。ただ、カジノには特別の法律も必要なので、知事の政治力如何だと思います。
◆臨海を突破口として日本の危機を打開しよう!
 日本の危機的状況を打開するのに、東京の活力を最大限発揮できるように既存のシステム、制度を壊して行くことで展望が開けると思います。その東京を臨海が引っ張って行く、日本を変えて行くということで、臨海を突破口として、実験場として考えたらどうでしょうか。それがカジノであり、23区の行政区画がこのままでいいのかという問題提起です。道路一つ隔てると警察も消防も違うというのはどう考えても具合が悪い訳です。
(文責

◎金融再生と21世紀の日本の政治・・・34回三鷹クラブ定例講演会
 今回の講師は元国務大臣金融再生委員長の柳澤伯夫衆議院議員(昭和32年入寮)です。昭和10年静岡県生れ、掛川西高卒、32年三鷹寮入寮、36年法学部卒、大蔵省入省、内閣官房長官秘書官を経て、昭和55年以来衆議院議員として当選6回、1昨年8月国務大臣国土庁長官に就任、11月に国務大臣金融再生担当、金融再生委員会設置とともに初代委員長に就任して日本の金融再生・構造改革に辣腕を振るい、文芸春秋99年10月号の「日本の顔」や、アジアで日本人の中で一番注目された人物に選ばれる。
 入寮時同室だった山田勉・井上義廣両氏によると寮の寝室は蚕棚方式で8人が起居を共にし、賑やかに暮らしたとのこと。柳沢氏は多数を占める1浪組や現役組と比較すると、社会経験もあり大人びて見え、駒場へ余り行かず、帰寮しても不在、深夜帰ってくるという日が多かった。たまに在室している時は多岐にわたりよく議論をしたとのこと。ある時、窓のすぐ外に伸びてきた若い柿の木を切るべきか否かで、時事通信で活躍し今はフリーの西岡公氏と深夜まで激論を交わし、同室の者は睡眠を妨げたられ、皆、よくも馬鹿馬鹿しいことで長時間議論できるものと、呆れかつ感心したほどとのこと。三鷹クラブの国土庁長宮就任祝いの会で本人も話したように、駒場の英語の単位をとるのにも苦労していたのに大蔵省に入省するほどの成績をとったのは不思議であるが、多分本番での集中力があったのだろう。金融再生委員長として、難問を自分の考えで捌いていった功績は、今後の日本の歴史に残るだろうが、片鱗は三鷹寮時代にすでに窺われていたのである。
 今回の講演では、長銀や日債銀、そごうなど、まだ難しいかも知れないが、金融再生委員長のときに覗いた、日本経済に生じた亀裂の深さと、それを乗りこえるためのヒントを語ってくれるのではないかと期待できます。また、日本の政治の展望、座談風にきく政治家の人間模様、なども興味深々です。(文責
 神田の学士会館で11月27日(月)6時開場、6時半開会、7時開演。会費は5千円(夕食・ビールつき)です。

◎君も外交官・・勝手に応援だ!ん?宣言E 通信21号で三鷹寮OBの方々に留学生支援を呼び掛け、百名以上の方々から百万円以上の寄付がありました。厚くお礼を申し上げます。今回は悪乗りして、OBのみならず甘鯛通信読者の皆様に広く寄金を呼び掛けます。紙面の関係で趣旨は同封の「入会のしおり」に譲りますが、5千円以上ご寄付いただいた方には、より「華の東海道53次路上観察」(文春ビジュアル文庫)を贈ります。現在、赤瀬川原平、南伸坊等の路上観察学会の面々が、営業部長も同行して芭蕉の奥の細道を「徘徊」し、文芸春秋のグラビアや共同通信の配信で秋田魁や信濃毎日等20紙ほどに連載中ですが、その東海道版です。
 皆さんの支援で留学生が少しでも日本に対して良い感情を持って母国に帰り、活躍するようになれば、何よりの国際貢献、草の根からの外交になります。外交官でなくても外交はできるのです。いや、給料を貰って職業としてやる外交に負けない価値あるものだと思います。いっそ、この様な価値ある寄付金は損金扱いで税金から控除し、外務省の予算をその分少なくするというと、日本の外交はもっと進歩するかも知れません。再見!
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