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水族館通信 NO.2 1994・08 |
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拝啓 残暑お見舞い申し上げます。連日続いていた記録的な猛暑も峠を越した様ですが、皆様元気にお過ごしのことと思います。過日には突然水族館通信No.1を受け取り驚かれた方も多かったと思いますが、何人かの方からはあらためてお便りを頂きました。ありがとうございました。第二号をお送り致しますので、目を通していただければと思います。 ●娘、頚椎骨折! 7月18日、朝から雷雨予報が出ていたのですが、昼から母校の東大に営業に行って帰り際に大雨。同行の若い担当者二人が傘がないので帰社が遅れるからと会社に連絡をいれたところ、中3の娘がプールで首の骨を折ったと連絡があったので病院に直行するようにと部長の言。傘のないニ人を龍岡門前の本部棟に残して大雨の中を飛び出し、タクシーを捕まえようとしたがままならず、やっと来た御茶ノ水行きの学内バスに乗る。新宿行きの切符を買ってホームに入ったら、電車はストップ。雨の中を地下鉄の駅に引き返し、地下鉄で大回り。焦って右往左往しながらも、部長は命に別状はないと言っていたが気休めだろう、首の骨だからもう駄目なんだろうと、心配だけは募る。 小平の自宅近くの昭和病院への道中、親が依るべき神を持たないのだから葬式は坊さん抜きでやろう。万一脳死状態になったら臓器は必要な人に移植してもらい、別の形で長生きして貰おう。そうした方が娘の日頃の言動からして、その意に沿うことになるだろう。色々と妄想が広がります。そう言えば3年前の正月に妻がスキーで転倒し、頭蓋骨折、硬膜下皿腫で入院した時も、奥只見の長く暗いトンネルを法定速度で走る救急車の後を追いながら、色々考えたものでした。二人で働いて家計をやりくりして来たのに、これからはー人分の収入でやって行けるのだろうか。男手だけで小6の娘と高-の息子を育てて行けるだろうか。日常の思考レベルを反映して、形而下的な下世話な考えだけが頭の中を駆け巡ります。それにしてもあの時、法定速度が何と遅く感じられたことだろう。救急車を追い越して私の車だけが病院に早く着いても意味はないのに。 ズブ濡れで病院に着くと、首にギプスをつけ、頭の両脇を砂袋で固定した娘がベッドの上で目をキョロキョロさせ、二コニコしています。何だ元気じゃないか!全く!不安が一気に吹き飛びます。未来ちゃん!頬っべにチュ!しょう!ダメ!ア-ア、又駄目か!小学4年生の時に「もうお父うさんとはお風呂に入らない!」、こう宣言されてから、ずっとこんな状態が続いているのです。「お母さんとすればいいじゃない」、それはそうだけれど、今更女房とキスしても代わり映えする訳でもないし。ドサクサにまぎれて積年の思いを果たそうという父親の魂胆は娘には明々だったようで、又も作戦は失敗。 それにしてもハラハラドキドキさせてくれる。学校のプールの底に頭をぶっつけた衝撃で第五頚椎(上から5番目の頚椎)が潰れ、半分前に飛び出しているのだと言う。後ろに飛び出していたら呼吸の中枢がやられて、危ないところでした。このまま固定して安静にしていれば3週間ほどで退院できます。ただ痛みもなく本人の自覚も足りないので安静にしているようにお父さんからも本人によく言い聞かせて下さい。医師の言葉でもうー安心。同じ言葉をもうー度娘に繰り返しても娘は上の空。私飛び込みが上手だったから(鋭角に飛び込み過ぎて)怪我したのとか、3週間も入院したら勉強どうしょう。衝撃から覚めて親の顔を見て安心したのか、機関銃のように口からボンボン言葉が飛び出します。オッチョコチョイでオシャベリ、天心爛漫なのは誰かと似ているな、これじゃ怒る訳にもいかないな。せめて学業の方も似てくれよな、父親は苦笑いします。 これもかつて「帝大解体」を叫び、安田講堂に立て篭もった父親が何の総括もなく、今又、文部省の先輩の力を借りて大学に姿を現し、講堂の斜め後ろの理学部-号館の建替に当たって、高橋カーテンウオールのコンクリートカーテンウォールを使った最新の工法に設計変更してくれと、臆面もなく営業に現れたからなのでしょうか。 ●GIVE UP! そして 東西冷戦体制が崩壊し、国内では55年体制の終焉と内外の情勢が目まぐるしく変わる中で、20代の自分に何の総括も加えぬまま30代を隠遁し、40代になって市民社会へのなし崩し復帰を遂げつつある私にとっても、このままでいいのか、少なくとも、社会党がしなければならぬくらいの総括は必要ではないかという思いが、アルコールで混濁した意識の中で忘れようと更に飲めば飲むほどに、脳裏を駆け巡る。もう今更、そう「今更」なのだ。誰も期待していないだろうし、する必要もないのだろうが。せずにいられないとの思いのみ募る。論語に「賢なるかな回や、一箪の食、一瓢の飲、隅巷にあり」という私好きなー節があるが、孔子の高弟の顔回と違ってタラフク食べ、毎晩思いっ切り飲み、裏通りから今再び表通りに迷い出てしまった以上、ただ腕枕をしてグーグー寝ている訳にはいかないだろうという気がして来るのである。 思えばマルクスが「世界革命」を唱えた時の「世界」とは西欧のことであり、「革命」とはヨーロッパ革命であった。この時マルクスの眼中には中国はおろか、ロシア革命さえもなかったのである。ところが「社会主義革命」は先ずロシアで、次に中国で成就した。師マルクスの教科書の続編を、レーニンと毛沢東は書き連ねようとしたのであるが、ロシアと中国の現実はその失敗を明らかにしている。私は学生時代からソヴィエトを社会帝国主義、官僚独裁国家として批判し、毛沢東の中国を社会主義革命の旗手と認め、連帯を叫んで来た。永続革命と新たなる人間像の創出が、搾取も階級も、従って国家も戦争もない世界を可能にする。そこで人々は「能力に応じて働き、必要に応じて取る」。そんな社会がその果てに実現する。だが文化大革命の失敗は毛沢東の中国も又、革命の教科書たりえないことを残念ながら証明した。 今も又世界の何処かで第二、第三のレーニンや毛沢東がしん吟しているのだろうが、そ声も私の耳には届かず、まして私はレーニンや毛沢東にはなり得ない。そして顔回ほどの「人物」でもないのだ。この「世界」が当分大きくは変わりそうもないとすれば、そこに飛び込み、学び、多少の「変革」を試みることは許されぬことであろうか。そして、多少とも人の役に立とうとすることは許されぬことだろうか。あらためて自らの無能を悟り、今更に己の器の小ささを知る。今や大胆に前に進むほどの能力も、じっとしているほどの器量もない。悲しいが、ただ何時もジタバタしているだけだ。結局はそんなことになるかも知れないが。 勿論私は自らの過去を否定しようとは思わない。素晴らしい20代であった。私の人生は19才からの10年だけでも十分であった。一身を顧みず、時に身命さえも厭わず、理想の実現に向かって突き進んだ。崇高な理想であった。高すぎるが故に破れた。が棄てようとは思わない。頂上は雲に隠れて見えない。今は、裾野をゆっくり歩くだけだ。 ●東京大学三鷹国際学生宿舎拡大オープン! この4月からシャワーつき、6畳一閲のワンルームタイブの3階建が3棟で300人、うち留学生100人、女子100人で、三鷹国際学生宿舎として再出発した我らが東大三鷹寮ですが、この10月にもうー棟オープンし、400人規模となります。同時に床面積400平方m(収容人員140名)のホールもオープンします。これまで寮生同志の交流の場が各フロアの中央にある小さなラウンジしかなく、コンパをやるにも吉祥寺に出掛けるなど不便をかこっていたのですが、少しは寮生間の交流も盛り上がるでしょう。完成の暁には1,000人の若人が「新墾(ニイハリ)の丘」に集います。国境を越えた1,000人の男女の、住まいと学びの場を通した交流は新たな、大きな可能性を生み出します。OBが世界各国の各界のトップの座を占めるということも夢ではありません。寮生同志のカップルも生れ、国際結婚も実現するでしょう。今、三鷹寮のネットワークは全世界に広がります。 ただそのためには寮生同志が気楽に集まれるようになっていないといけませんが、ワンルームタイブという構造上それが難しくなっています。そのためのホールなのですが、我々OBも時々押し掛けていって利用し、交流のきっかけ作りでもできればと思っています。7月には自治会作りをゼロからやっている曳野君(仙台一高)達寮委員を励まそうということで寮生14人(女子2名、留学生2名)、OB11人が赤坂の泉クラブに集まり、二次会は銀座のシェノザミ(投資顧問会社TACを経営しているOBの三谷氏がオーナー)に繰出し、大いに盛り上がりました。新入生歓迎コンパを現役とOBでー緒にやるとか、昨秋三鷹クラブが赤羽隆夫、竹内宏、中前忠のミ氏の景気討論会を主催したように、OBの各界の著名人を呼んで定期的に講演会や討論会をやって、終了後懇親パーティをやるとかは如何でしょうか。さしあたり私は建築の世界に足を突っ込んでいるので、磯崎新氏のお話など聞くことが出来ればと思います。そうなれば多少の資金稼ぎも必要になるでしょうが、昨年の駒場祭の駒場寮廃止反対コンサートに無料出演した加藤登紀子さんや小椋桂さんに協力を仰ぎ、コンサートを開くようなことも考えられるのではないでしょうか。 ところで新ホールのオープンを記念して10月15日(土)PM1:30より「出会いと自己発見のトポス(案)」と題して、現地でパネルデイスカッションと懇親バーテイが開かれます。パネラーとして三鷹クラブからは管さん(東日本鉄道文化財団専務理事)が参加し、三鷹市長、吉川東大総長も出席予定です。OBの方は奮ってご参加下さい(詳しくは03-5202-0700:高橋力ーテンウォール工業 千場迄)。又、現在OBの新しい名簿の作成に入っていますが、名簿に載っていない方の消息をご存知の方、その後変更のあった方は各年次の幹事か秋山順一さん(03-3552-8260 FAX03-3553-4753:ライフインターコーデイエ)迄ご連絡願います。 ●受難の団塊の世代!テレビに登場! 駒場の1年先輩で駒場新聞で活躍していた同文社の前田氏より、6チャンネルで全共闘の取材をしているのだが会社の名前を出してもいいというのがいないのでお前どうだ、という話が来る。高橋力-テンウオールの名前を出していいのなら宣伝になるからいいよ、ということで8月2日は1日中テレビの取材を受ける。朝の出勤風景からオフィスでの仕事振り、高橋社長とのインタビュー、45年入寮のニチレイの長谷川君の協力を得ての商談風景、新宿の高層ビルの建築現場、最後は夜の有楽町で第36期「三鷹寮委員会(千場委員会)」。 学生時代は全共闘運動で世間を席巻し、社会に出てはエコノミックアニマルとして世界に冠たる日本株式会社の実働部隊となり、消費の世界ではニューファミリー層を形成して新しい文化と消費の主役となって来た団塊の世代。ところがプラスイメージはここまで。今や会社ではリストラのターゲットとされ、家に帰ればまだ就職がみつからない子供をどうにかしてとカミさんに泣き付かれる。そしていずれ高齢化社会の主役として社会のお荷物視される・・・。こんな団塊の世代をどうしてくれる!と他人事のように叫んでみても多分誰も何もしてくれないだろうから、ではどうする?という訳で、それぞれ事情の違う6人の団塊の世代の生き様が1時間番組の中で紹介されるという訳です。 興味のある方は8月20日(土)PM2:00-大阪毎日放送、東京放送(TBS)系全国22局にチャンネルを合わせて下さい。 ●応援だ!ん?宣言第2弾。ハタハタ館と八森海鮮紀行 ギラギラと照り付ける太陽の下で蝉がミンミン鳴き、サザエやあわびや、アイナメのー杯入った網袋を手に、破れかけた麦藁帽子をチョコンと頭に乗せ、何度か皮がムケて真っ黒になった体にパンツをー枚つけた恰好で漁師の家をスリ抜け、坂を上って僕は家に帰る。家では白く粉を吹いた蒸した馬鈴薯と氷水に浮かべられたワカメと、ザックリと切られたキュウリが僕を待っている。馬鈴薯にはマーガリンをつけて、ワカメは味噌を水に溶いたお椀に浸して、キュウリには味噌をつけてそのまま食べる。時にはキュウリのかわりに裏の畑で取れ立ての真っ赤なトマトが並んでいる。これが「郵便局の力クちゃん」(我が家は祖父の代から田舎の郵便局長をやっていた。因みに現在は3番目の兄が3代目の岩館郵便局長をしている)の夏のお昼のご馳走であった。食べ終わると直ぐにでも又海に飛込みたい僕の気持ちを見透かしたように、タイミングよくオフクロの言葉が飛んで来る。「力クちゃん!お昼寝してから浜へ行きなさいよ!」。万事休す!ここは寝るしかないのだ。そして午後も又、夕日が日本海に沈むまで近所の子供達と海に潜ってー日が終わる。後は疲れて寝るだけだ。勉強は朝涼しい内のー時だけ。自慢ではないが、親に勉強しなさいと言われたことはー度もない。自分にかける親の期待が小さかったのか、自分が子にかける期待が大き過ぎるのか。今は親になった自分とは大違いだ。 そんな美しく魚貝が豊富、人情が素朴なだけで、何もなかった田舎にも温泉が出たりして。すると立派な建物が出来て、お風呂に入ったり宴会も出来るようになったりして。町があんな立派な建物を作って採算が採れるのかなんて話もあるようで。ここまでは何処にでもある話ですが、とにかく秋田・青森の国境は飛びっきりの美しさです。妻が新潟は小千谷の出の関係で時々日本海沿いに秋田・新潟間を車で走ります。確かに秋田・山形間には鳥海山があり、山形・新潟には朝日連峰が海際まで迫り、それぞれ変化に富んだとても美しい海岸線を作っているのですが、白神山地が海に流れ込む秋田・青森境の雄大さ、美しさは格別です。今はJR東日本の営業部長に出向しているJALの松元君(41年L12E)は昨秋、業務としてこの険しく美しい海岸線を縫って走るJR東日本の五能線の旅をしました。彼は仕事柄あちこち歩いていますが、あそこほど綺麗なところはないというくらいですから折り紙つきです。しかも何処へ行っても人がいない。しかし、多少は人が来て絶景を愛でてくれて、少いま山海の幸を味わって頂かないことには町を出たくない人も町を出ざるを得ず、過疎は益々進みます。 そういう訳で今回の「応援だ!ん?宣言」は我が忘れ得ぬ故郷、八森の温泉と山海の幸が楽しめる「ハタハタ館」、四季折々の海の幸が楽しめる「八森海鮮紀行」を紹介したいと思います。ハタハタ館は宿泊施設はありませんが、近隣には古くからの旅館や民宿もあります。又近くの真瀬川は川釣りで有名です。白神山地の山歩き、田沢湖から男鹿半島、五能線を通って西津軽国定公園から浅虫温泉、奥入瀬を上って十和田湖へ、雄大な「その先の日本」への旅は如何でしょうか。夏は勿論、ブナの芽生えた早春にはこぶしに似た花をつけるタムシバ(モクレン科、5月の連休にスキーに行く奥只見でも良く見かける)の白さが目に染みます。白無垢に身を包んだ花嫁のようです。イ力漁のシーズンの夜景も圧巻です。海と空が溶け合った漆黒の空間に、無数の漁り火が妖しく輝き、天空へと続きます。五月にはブナの黄緑の中に点々と散る山桜の淡いピンクが艶やかです。秋の紅葉は勿論ですが、その前の萩の花もなかなかのものです。海岸段丘上の野原一面に咲いた紫の花が風に揺れる様は壮観です。冬、鉛色に低く垂れこめた空から白いものが落ちて来て、吠える海には波の花が飛びます。全てが白と灰に塗り込められたモノクロの世界で防寒着を身に纏い、風に向かって進む。冬の美しさはその厳しさにあります。そしてキリタンポ鍋を囲み、地酒の白濠(シラタキ)を酌み交わす。四季それぞれに趣のある、我が故郷へ是非お出掛け下さい。 根がおしゃべりなせいか何時も長くなってしまいます。この暑いのにと思われた方がおられましたら、ご容赦のほどを。仕事の方は皆様のお力恭えを頂き、試行錯誤しながらもお陰様でどうにか前向きに進んでおります。今後とも宜しくお願い致します。 敬具 |
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