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水族館通信  NO.9     96年 故郷の花冷えの日に


知人・友人各位

 武蔵野の麗らかな春の名残りを惜しむ間もなく、例年になく積雪量の多かった越後の山々で、美味しい手打ち蕎麦と地酒と、温泉とスキーを仲間と何度も楽しんだ、そしてキリリと気の引き締まる小気味良い冬に、連休前半の雪深い奥只見丸山の春スキーでいよいよ別れを告げ、夜遅く寝酒に梅酒の焼酎割を飲りながら、久し振りにワープロを叩いています。そして今頃、爛漫と花開く故郷秋田では、その桜の下で昔と同じ様に部落総出の小学校の運動会が賑々しく行われているのでしょうか。

●「嬉しゅうてやがて哀しき故郷の春」

 長い冬がようやく終って、雪融けの白神の山々にはぶなの根元にタムシバがコブシに似た白い花をつけ、野原には桜の花が淡く彩り、昼には小波が黄金色にたゆたうていた漆黒の海に、夕暮れと共に春イカの漁火が点々と天まで続き、どっとやって来る心ときめく秋田の春に、一瞬「郵便局のカクチャン」は心弾ませるのですが、次の瞬間奈落の底に落ち込んでしまいます。嬉しくてやがて哀しき故郷の春。そう「春なのに」、心踊る春なのに、怖い物知らずの「郵便局のカクチャン」の「天敵」がムクムクと頭をもたげてくる春でもあるのです。凍てつく冬さえ気持の引き締まる季節と思い、地面を白く塗り込める雪すら天が用意した自己表現の場と心得、下手なシュプールを描き続ける「ノー天気」なカクチャンなのですが。

 長い冬が終り、雪の下で春の訪れを待っていた草花が一斉に芽吹き始めると、子供達も残雪の間に黄色い花をつける可憐な福寿草を求め、山うどやカタクリ、ゼンマイやワラビ等の山菜を探しに山に入り、山には子供達の元気な叫び声がこだまします。そして子供達は姿がウドに似て、スカンポ(イタドリ)の様に中が空洞で、バナナの様に皮を剥いて食べるとサクサクとして香ばしい香りをたてる、サクをおやつがわりにします。しかしそれは、便所の中に放り込んでおくと虫が湧かないくらいの強力な殺虫力があるのです。色白の「郵便局のカクちゃん」の「柔肌」はその「力」の前にひとたまりもありません。唇の周りは途端にむず痒くなり、痒いからと掻くと大きく腫れて、手痛い復讐を食らうのです。大きく腫れた唇はやがて化膿し、痒いと更に掻きむしるので腫れと膿は数日を経ずして顔全体に広がり、顔中カサブタに覆われ「紅顔可憐な美少年」はほどなく「お岩さん」と化してしまいます。剰さえ、顔をかきむしったその手で小用を足すので、顔面で培養された「毒液」は遂に下腹部をも襲います。悲しいかなそこも又、顔と同じ運命を辿るのです。そして村の診療所の白いシーツを巻いた診察台の上には、可愛い白いお尻を剥き出しにされて、先生にカルシューム注射の大きな針をブスリと突き立てられる「少年K」のいたいけな姿があるのです。

 あれだけ父親に怒られ、家中のひんしゅくをかい、みっともないからと晴れの舞台の部落総出の運動会にすら参加出来ず、村外れの運動場の隅の満開の桜の木の下で、惨めな気持ちでただ見ていることしか出来ず、来年こそはと深く反省した筈なのに、又来る春にも自分一人だけ取り残される寂しさに耐えられず、「少年K」は歓声を上げながら仲間達と山に分け入って行くのです。しかし、歓声が罵声に変わるのに大して時間は要りません。

 「少年K」の柔肌は今年もまた去年と同じ程度に敏感なのです。こうして私の「悲しい春」は小学校の高学年まで続いたでしょうか。物心がつき、ナポレオンや毛沢東の伝記に心踊らせるよりも、山本有三の「女の一生」やサガンの「体の中を風が吹く」等の小説をドキドキしながら読み漁る様になった頃、ようやく自制心が働くようになったからでしょうか。それとも内面の世界に興味が向き始め、必ずしも群れることを潔よしとしなくなったからでしょうか。その頃から自然と春の山には足が遠のき、山に入るにしても一人本を小脇に抱え、木の切株に腰を下ろし、静寂の中で木洩れ陽を頼りに本を読む。そんなことが多くなった様な気がします。

●誰か「サク」を知らないか

 そういう訳でサクとは縁遠くなり、以来「彼女」のことはすっかり忘れていた私なのですが、つい先日四十年振りくらいに「彼女」と出会ってしまいました。そして又、「彼女」と接吻してみたくなったのです。母親のお腹の中の羊水に浸って泳ぐかの様に、水煮にされビニールの袋の中にひっそりと横たわる「彼女」を、出張帰りの秋田空港の土産物売り場の棚の上で見つけてしまったのです。隔月位には顔を出し、何か面白い秋田の物産はないか探し、一工夫した土産物があると嬉しくなって、とりわけ故郷八森の鈴木水産や加賀木水産の新商品を見つけると必ず買い込んで試食する私なのです。以前から「彼女」がそこに横たわって「助け」を求めていたのだったら、気付かない筈はありません。

 しかし、「サク」とシールされて「羊水」の中で佇む「彼女」は、私の面影に残る「彼女」と少し様子が違います。私の心の中の「彼女」は、中が空洞のスカンポ(イタドリ))に似てサクっと手折れそうな感じだったのに、白神の山を挟んで八森とは対極に位置する阿仁の山で採れたそれは、中身がシッカリ詰まり少し肉厚の感じです。繊維の塊という感じは、秋田の田舎の正月料理の「けの汁」に欠かせない「インニョ」とそっくりです。私はこの「インニョ」が大好きで、田舎へ帰ると塩漬けした物をよく貰って帰ります。そういう訳で「サク」が「インニョ」であっても、肉厚の「インニョ」も私の「憧れの人」ではあるのだから、それはそれで良いのです。しかしそうすると、阿仁の「サク」は八森の「インニョ」で、八森の「インニョ」は八森の「サク」ではないという「問題」が残ります。思い悩む間にも搭乗時間が迫ります。取り敢えず、「サク」だけの東京までの長旅は可哀相と、山ウドの水煮も道連れにして機内に乗り込みました。

 すると不思議なことが起こったのです。漆にもかぶれる「面の皮の薄い」私は(だからマルクスにもかぶれたのだ?!)野山を歩いていて漆の木があると、それが漆の木だと意識しただけで、直接触らなくても、口や目の周りがむず痒くなるのです。それと同じ現象が起こったのです。「サク」は水煮にされ、アクを抜かれ、袋詰めになって、頭上の革鞄に入っている筈なのに、私の目元も口元も痒くなり出したのです。好物の「インニョ」ならこんな神通力はない筈です。その痒みは翌日会社へ出勤しても残っています。「彼女」は家の冷たい「部屋」でおとなしくしている筈なのに。これはまさしく「サク」に違いありません。それを食べたら私は又、「少年K」と同じ運命を辿るのでしょうか。そして悪夢のカルシューム注射。

 その夜も真っ直ぐには帰れず、遅くなって帰宅した私の目の前には、サツマ揚げと折り重なって「サク」が青々と横たわっています。「そうだ今日はこれがあったんだ、飲んで帰るんじゃなかった」と思ったのも束の間、「繊維だからいいか」と、サツマ揚げのことは頭から消え、そっと口に含みます。柔らかで、それでいてシャキっとした歯触り、サツマ揚げの旨みが移って美味しい、これぞ食べ慣れた「インニョ」の味。煮物にしたら山ウドなど敵ではありません。つい又飲み直します。

●「サク」が売れるなら「インニョ」も売れる

>  何のことはない、阿仁の「サク」は八森の「インニョ」だったのです。山一つ越えると「インニョ」が「サク」に化ける不思議。それに名前だけでなく、山菜は土地々で食べるものが違います。インニョも八森以外で食べたことはありません。いや正確には一度だけ、スキーで行く奥只見のホテルで煮物の中に紛れ込だインニョを口にして、何やら嬉しく懐かしく感じたことがあります。確かに越後の山にもインニョは生えているのに、ホテルのある奥只見の湯の谷村の山菜センターではついに見掛けませんでした。それに八森ではあざみをおひたしや味噌汁にして食べますが、他所では口にしたことがありません。

 山菜とは違いますが沢庵にした大根の残りの葉を軒先に吊して乾燥させ、野菜の無い雪国の冬場の貴重な食料として、湯がいて戻してから味噌汁の中に入れて食した時代がありました。大根葉が訛ってデゴパ、又はホシバ(干葉)。何となく「共食い」の様で身につまされるのですが、大好きでした。可哀相に寒風に晒され繊維だけになってしまってカロリーが無く、貧しい時代の食生活の代表視され、食卓からいつの間にか追放されてしまったのは残念です。低カロリーでミネラルやビタミンが豊富なので「飽食の時代」の食材として最高ではないでしょうか。「八森名産ホシバ」を秋田空港の売店でみつけたら嬉しくなって一山買って帰り、霞ヶ関の課長連の机の上に配って歩きでもするのではないでしょうか。最近あちこちの観光地の土産物店で良く見かける、「低カロリーで美味しいのよ」と故郷の同級生も好物にする中国産の「山クラゲ」の比ではありません。八森でもインニョやデゴパを売り出したらどうでしょうか。

 日本海と白神山系の間に集落が細く伸びる八森は、海の幸だけでなく山の幸も豊富です。八森では漁協が鮮魚の産直「八森海鮮紀行」を行っています。年会費30,000円で隔月に東京ではまず「庶民」の口には乗らない旬の鮮魚が送られて来ます。町が行う特産品の産直もあります。八月に募集して年会費18,000円で四半期に一回八森の味自慢の品々を届けてくれます。両方とも事情を知る(?!)私が採算が取れているのかと心配するほどサービス精神旺盛です。

 私が生れ育った岩館の集落は町の北端、青森との国境に位置し、白神の山々が海岸間近に迫ります。潮風が段丘を舐める様に走り、白神の鮮冷な雪解け水が田畑を駆け降ります。当然穫れる米は美味しくありません。潮騒と白神を吹き下ろす山背を子守歌に育った私はずっとそう思い込んで来ました。ところが昨秋町から送って貰ったアキタコマチの新米は随分美味しかったのです。妻の故郷、新潟の小千谷から送られて来る日本一美味しいと言われる南魚沼のコシヒカリに遜色がありません。五能線を岩館から乗って滝の間、八森、東八森と南下すると、段々平地が広がり、海岸は砂浜に変わって、黒松の砂防林が続きます。そんな所に美味しい秘密があるのでしょうか。これなら「八森のアキタコマチ」と銘打って売り出すのに十分です。

●新「三鷹国際寮」にカラオケシステム入る

 前号で「カラオケ導入宣言」をブチ上げたのですが、よもやカラオケが百万円単位の値段とはつゆ知らず(我が家のレーザーデイスクとプレーヤー、大画面テレビと同じにしか考えていなかったのです)、東大三鷹クラブ世話人の日本ビクターの高橋先輩(S34入寮) には大変ご迷惑をお掛けしてしまいました。「若い連中にどんなのがいいか聞いて来い」と言われて、寮委員長の横田君とビクターレジャーシステムの営業責任者のNさんのところへ出掛けて「新曲がすぐ入る通信カラオケがいいです」と答えて来たら、旬日を置かずして「通信は360 万円もする、若いのを説得してくれ」との先輩の声。「え、希望を聞いてくれと言ったのは先輩じゃないの?」と思いつつも360 万円では仕方がない、説得も何もありません。レーザーデイスクシステムでも120 万円。高橋さんの骨折りで3月初旬の「追い出しコンパ」までに入ることになり、ソフトはビクターエンターテイメントの中村勝取締役人事部長(S38年入寮) に30枚用意して戴く。

 「追いコン」はマイク片手の国際交流で夜遅くまで賑わうも、多分「三鷹寮のネットワークは政・官・学・業の要所に張り巡らされ、寮に7年もいて干場は顔が広い。カラオケを寄付するとビクターの営業も頑張ってくれる」と、社内で根回しに努めたであろう高橋先輩の立場を考えると、ビクターの営業支援という宿題は残ります。最も私が営業する高層ビルのコンクリート製の外壁パネル(カーテンウオール)を使うオフイスや商業施設、ホテル等には監視カメラや館内放送施設、テレビ会議システム、映像システム、カラオケシステム等が入ることも多く、営業的には重なるのですが。

 4月20日にも寮で新入生歓迎パーテイがあり、OB会を代表して金一封を持参し出席。自分の子供と同じ年頃の寮生を相手に談論風発、大いに楽しませて貰いましたが、旧寮と違い世界中からの留学生がいて、女子もいるというのは別の大きな可能性を秘めていて素晴らしいと思います。4月初めに朝日新聞の家庭欄の「傷つくのがこわい」シリーズ初弾で、「寮生600 人、友人なし」と寮のことが取り上げられ、横田君達現役の諸君は事実と違うと憤慨していましたが、600 人もいれば孤独を楽しむ人間の数人もいるのは当たり前のことです。ましてプライバシー0の大部屋からプライバシー尊重の個室制になれば、ともすれば孤立化するのは当然で、それを踏まえた上でどうやってコミュニケーションを図るか、国際交流を進めるか、手助け出来ることがあればOBとしても出来るだけのことはしたい。ここが廃寮の瀬戸際になっても何等OBのアクションが起きない駒場寮と三鷹寮の違いでしょうか。

 今は何かあると私が寮に顔を出しますが、東大闘争前夜「三鷹寮バー事件」(寮祭の特設バーが常設化、他大学の女子学生が出入りしてマスコミに取り上げられる。酔っ払って近くの東京女子大に押し掛ける「東女侵入事件」と同じで時々あったらしい)で騒ぎになった時も、国際エコノミストの中前忠さん(S33年入寮) 等が寮に来て、寮生と一緒に新聞社にいるOBと連絡を取りながらマスコミ対策に当たっていたのが思い出されます。

 昔は親がサラリーマンでまともに税金を収めていると学内にある競争の激しい駒場寮に入れず、キャンパスが遠いので授業には余り出ず寮で読書と議論に明け暮れ、サークル制を取らず半年に一回強制的に部屋替えを行い、2年いると30人近くの人間と同じ部屋で寝起きせざるを得なかった、人間関係の濃密だった三鷹寮の特性でしょうか。

 新歓コンパの時は250 人収容のホールが一杯で、フットワークの軽い私も身動き出来ない位でした。600 名弱の寮生でこれですから、増築で予定通り千名の寮になった時には倍以上の大きさの、しかも舞台付きのホールが必要だとの感を強くしました。

 昨秋の復活寮祭の加藤登紀子ショーの際もテーブルをつなぎあわせて舞台を急造したり、立食パーテイでの挨拶も一段高い所でないと様になりません。大ホールが出来た暁には400 インチとは行かないまでも、200 インチくらいの大画面の映像システムなぞを、OB会から寄贈出来る様に頑張って営業出来れば面白いと思います。そういう訳で高橋さんと二人であちこち出没し、奇異に思われた方もあるかも知れませんが、今後とも宜しくお願いします。

●梁瀬レン子個展開かる

 三鷹寮廃寮までおよそ40年間我々寮生の面倒を見てくれた梁瀬さんの奥さんの布画の個展が、栃木県矢板市の大久保写真館で行われます。日時は5月17~19日(11:00~17:00)。テーマは「おかめ・ひょっとこ」、それに静物。下野新聞に紹介記事が大きく出た5月4日の夜、酔った勢いで梁瀬さんが平賀代表(S26入寮) に電話。翌朝さっそく私のところに「通信」への掲載と、読売新聞の社会部の金丸デスク(S43入寮) に連絡を取る様に平賀さんから依頼が入りました。因みに梁瀬さんの連絡先はрO287-44-0848。

●「医者から見た医者のかかり方」

 昨年から隔月のペースで始まった三鷹クラブ会員懇談会ですが、第6回の赤羽隆夫慶応大学総合政策学部教授(S25入寮の一期生、元経済企画庁事務次官 )の「日本経済の進路」も盛況の内に終え、次回は帝京大学医学部教授小林武夫さん(S26入寮) が講師です。医学部を卒業後大学に残り耳鼻咽喉科学と音声言語医学を専攻、66年から医学部助教授、82年中央鉄道病院耳鼻咽喉科部長、93年からは帝京大学医学部教授として後進の指導に当たられ、又長年にわたって東京芸大音楽科の学生のために音声学の講義もしておられます

 まさに当代一流の名医による「医者のかかり方」の直伝です。学齢前に患った肺結核も自然治癒し(BCGの経験なし) 、冬酔っ払って帰って長椅子に寝たままでも、落とし込みのマンションの風呂で明け方まで寝込んでも風邪を引くことなく、秋田杉の本場で育ち杉花粉には免疫が出来ている筈の私でも、体力の衰えでしょうか、ここ数年花粉症に悩まされていました。それが寮で同期の、昭島で開業する山川君に教えてもらい、東京逓信病院の麻酔科で神経節のブロック療法をして頂いて、今年はどうにか一息ついています。そろそろ自分の健康が気になる年齢に達した会員諸兄は奮ってご出席下さい。夫人同伴も歓迎します。5月20日神田学士会館で18時開場、18時30分より会食、19時開演、会費5千円です。 尚、第8回は7月19日(金)に前駐米大使の栗山尚一さん(S26入寮) を講師に「明日の日米関係」のテーマで、同じ要領で行います。

●団塊世代政治家の地域横断型ネットワークの結成を!

 2月に憲政記念館で行った団塊世代の人材情報バンク「プロジェクト猪」による「団塊の世代議員白書」(講談社)の出版記念会には、全国から原稿を寄せた70名の地方政治家が集まり、岡崎宏美、石井紘基、菅直人、海江田万里、五十嵐ふみひこ、今井澄、国井正幸等の超党派の国会議員も駆け付け、菅厚相等は2回も登壇して大いに盛り上がりました。「白書」の出版を機に団塊世代の政治家の地域横断型ネットワークを結成することを提案、横路前北海道知事、北栄一郎小松市長、本多晃柏市長等出席された首長・議員のほぼ全員の賛同を得ました。そこで広く団塊世代の国会議員・首長・地方議員に参加を呼び掛け、6月中に「プロジェクト猪・団塊世代政治ネットワーク(略称:DーNET)」を立ち上げます。学者や専門家の方々には政策アドバイザーとしてご協力をお願います。

 折から鳩山由紀夫代議士が世代交替を唱え、新しい感覚の政治と団塊世代の政治参加を訴えているのは興味深いことです。アメリカではベビーブーマーの申し子クリントンが大統領の任にあり、先日の韓国の総選挙でも団塊世代の政治家が躍進しました。かつて、よりラジカルに闘ったからでしょうか、日本での団塊世代の政治参加は遅れています。しかし、世を拗ねても現実は変わりません。その数の多さの故にいつも社会現象の中心を担って来た団塊世代の「プロジェクト猪」は、政治に携わり、政治に関心がある戦後ベビーブーム世代が中心となり、地域と政治党派を越えた横断型ネットワークをつくり、地域から政治を変えるための提言を行うと共に、政治人材の活性化を目指す活動から始めます。

●西田局長大いに語る

 2月の能代山本フオーラム21の第四回町興し講演会には大蔵省東北財務局の西田局長(S41年入学LI2E) に仙台から足を運んで頂きました。局長は「最近10年の日本経済はバブル発生と崩壊の10年で、実態の伴わない土地と株価に代表される資産インフレだった。昭和60年9月のプラザ合意後の円高不況克服のための低金利・金余り政策と大企業の銀行離れという構造変化に土地と株価の『右肩上がり』の錯覚も絡み、更に土地・有担保神話に助長されて銀行融資の多くが土地投資に費やされ、バブルの崩壊と共にそれが不良債権化した制度“疲労”」が現在の金融低迷で、「これからの金融行政には早期是正措置が求められ、金融機関が厳しい状況に陥った際、将来的に預金者も痛みを分かつことになるだろう」と焦眉の課題の財政・金融問題について語りました。

 更に「東北はインフラ整備が進み、秋田県も新幹線に加え、平成10年には大館能代空港が開港するが、能代山本の活性化には地元の創意工夫を待つしかなく、そのためには教育が切り札になる。感受性の強い時に外国生活を体験させ、日本だけを視野におかない人材を育成することが大切だ。第一次産業に依存して来た地域では製造業をはじめ起業家が出て来ない。企業が自らの足で成長路線を歩むには、能代山本地方なら林産資源を活かすと共に、蓄積したノウハウを活用した独創性が必要だ」と地域の経済の活性化策にも言及してくれました。

●「地球人として、今、中国をもっと知りたい」

 上記テーマで2月23日(土)に能代市教育委員会等主催で「のしろ国際交流のつどい」が開かれ、緑の地球ネットワーク事務局長の高見邦雄君(S41入寮) 、外務省国際情報局の下荒地修二参事官(S41年入学LI2E) と共に私も招かれました。砂漠化の進む中国の黄土高原に長年木を植える運動を行っている高見君の「環境に国境はない。日本は酸素の大赤字国。黄土高原の人達は極貧の生活の中で沢山木を植えてくれるのだから、本当に感謝すべきは私たちかも知れない。それでも中国の人たちは私たちに感謝してくれる。互いに感謝し合う関係は素晴らしい」という、「地球人としての国際協力のあり方」を示唆する講演が先ずありました。私が司会役のパネルデイスカッションでは下荒地参事官(前中国公使)から高官からみた中国についての興味深い話、高見君からは中国の人達と接して、「本当の豊かさって何だろう」と考えさせられた話し等が出され、参加者から「自分に出来ることは?」との質問が自然に出てくる有意義な「つどい」でした。

 前号で、高見君の運動を支援するために、かけた国際電話料金の数%が運動に還元されるシステムをKDDの営業統括部長の勝部君(S43入寮) につくって頂いたことを報告しましたが、チラシが出来ましたので同封します。懐も痛めず、中国に行かずとも黄土高原に木を植えることが出来ます。自宅で国際電話を使われる方は是非ご協力願います。又、運動の紹介に応じて、郵便局を営む兄等、故郷で植林に励む仲間を中心に20人ほどの方が12,000円の年会費を払って会員になってくれました。有り難うございました。遅れをとった私も、慌てて12,000円を振り込んで会員にして頂きました。

●オトキ、能代に唱う

  三鷹寮の寮祭に無料出演して頂いて付き合いの始まったトキコ・クラブ(加藤登紀子の事務所、社長は姉さんの幸子さん)から、4月のオーチャードホールの公演をKDDに協賛して貰えないかとの依頼があり、直ぐKDDの勝部君に繋ぐ。綺麗な4ページのプログラムの1ページとなって、協賛は実現。「漁夫の利」で寮生には招待券が沢山渡される。そんなオトキが11月12日(火)に能代で公演を行います。事務所と連絡を取っていますが、前日は宇都宮で公演を行い、翌日の予定はなく、能代から真っ直ぐ帰京する様です。彼女にはこの機会に何とか八森まで足を伸ばして頂けないものでしょうか。全山炎と化す白神の紅葉には少し遅いかも知れませんが、そろそろ名物のハタハタも解禁され、魚の美味しい季節です。全国品評会金賞に輝く地酒もあります。好きな地酒を片手に、田舎の人達のために弾き語りの数曲でも聞かせてくれると最高なのですが。

●犠牲・サックリファイス

 大学受験で2年間もがき苦しんだ息子もこの春、どうにか近くの私立大学の経済学部に入学。息子は高校卒業、娘は高校入学と一区切りついたと思ったのも束の間、自らと格闘するわが子に、まだ子育ては続くということを痛感させられたこの2年間でした。そんな時に二人の友人から柳田邦男の「犠牲・サックリファイス」(文芸春秋)を勧められ、同じ年頃の感受性の強い子供を持つ親として興味深く読む。肉体が病む様に心も又傷つくものであり、健康と病気、そして多分生と死も、病的な要素の量的差に過ぎないとは言え、同時に、寝たり起きたりの妻と、ついには自死するに至る子と、二人の心を病む家族と同じ屋根の下で、対外的には何ごともないかの様に物書きの仕事に明け暮れる、著名な著者の心中や如何ばかりだったかと、何度か涙が頬を伝わる。

●最後に……わくわくクラブ

 昔、「東大学力増進会」でアルバイトを一緒にしていたライターの勝見君から久し振りに連絡がある。当通信の読者でもある彼は「誰もが思っても実行出来ない個人通信を発行し続け、今又故郷への思いを募らせる」私に興味があるらしく、朝日新聞の日曜版で4月から始まった人物紹介のコラム「わくわくクラブ」に書きたいとのこと。さっそく三鷹寮の新入生歓迎コンパ等に同行して貰い取材を受ける。因みに掲載予定は5月19日。

 長すぎると言われ、「反省」しながら今回も長くなってしまいました。悪しからず。

 干場革治          故郷の花冷えの日に

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