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水族館通信  NO.5       95年 風 薫る季節に


友人・知人各位

 四半期に一度の割で発行して来た水族館通信もお陰様で一巡し、第五号を数えるに至りました。今年はお陰様で、念願の奥只見丸山でのスキーの滑り納めとバーベキューパーテイーに出掛けることが出来ました。子供達の受験も終わって3月にようやく親子で苗場で初滑り。娘は首尾よく希望の高校に入れたのですが、大学受験の息子は二度目の浪人生活の憂目に。頭の痛いことですが、連休中その酷さにトイレにも行けず、し瓶の用意もないのでカミさんの助けを借りてコーヒーポットで小用を済ませ、「何よだらしない」と指で弾かれるに任せざるを得なかった(?!)去年の腰の痛みに比べるとまだ我慢出来る、いや、我慢しなければいけない痛みなのでしょうか。

●ワープロとカラオケ

 昔、時々妹にからかわれることがありました。兄さんの字を読めるのは私だけよ、とガールフレンドに言われるのよねと。制限時間の二時間、目一杯考えさせられ、書かされ疲労困憊する東大の入試を2回目はクリアしたのだから、ガールフレンドの指摘は当たっていない感じもする?のですが、司法試験の論文試験を突破出来なかったのは、そのせいでしょうか?!、歌もからっきし駄目で、音楽の時間皆で歌う時は口だけパクパクさせていました。それで一人で歌わされる時は冷汗三斗、生きた心地がしません。以来「音楽は阿片だ」(C・モルガン「人間のしるし」岩波叢書)とばかりに、歌を憎んで?いました。それで田舎を出る時に今は亡き母に、人に読めるような字を書け、人前で歌うなと諭されて(?!)上京したのですが、懲りずに毎晩鉄筆を走らせてはアジビラを書きなぐり、時に胸の痛みに耐え兼ねて恋文をしたため、剰え集会で革命歌を歌い、歌声喫茶では恋歌を歌うことさえあったのです。いずれの願いも実ること少なかったのは、母の教えに従わなかったからなのでしょうか。

 時が過ぎ、ワープロというものが出来、“味のある”文字は美しい思い出としてしまっておけるようになりましたが、歌は相変わらず“個性的”なままです。それでも酒が入ると「後の人が歌いやすくなるだろう」と犠牲的精神?を発揮しつい前座を勤めてしまいますが、前から居間にあるレーザーデスクプレーヤーとカラオケソフトは使ったことがありません。音痴でも聴いてくれる人がいないと歌う気にならないようです。

●砂を噛むような話

 冷汗三斗の音楽の授業からは高校で解放されたので、よもやもう一度音楽の「才能」で、死ぬ程の苦しみを味わうとは思いも寄りませんでした。大学に入って第二外国語を選ぶように言われた時、私は迷う事なく中国語を選びました。法学部だからドイツ語というのは余りにも功利主義的過ぎ、19才の若者には許し難い不純な行為に思えましたし、フランス語は田舎者には気後れします。そして何よりも、中国語は選択する人間が少なかったからでしょう。それがせめてもの自己主張だったわけです。

 しかし音痴の私には馬も媽も同じ「ma」で馬と母の四声の区別がつきません。そして改めて「何のために学ぶのか、何のために生きるのか」という若者らしい根源的な疑問への扉が開かれ、カオスの海へと小船を漕ぎ出し、殆ど寮を出ることなく、昼夜を分かたず読書と思索と議論に明け暮れるようになった時、それでも時々学生だから授業に出なくてはいけない、出席しないと必修の語学の単位が取れないともう一人の「私」が息を吹き返します。それで時々何の用意もなく授業に出ると、先生は喜んで「干場よく来たな、そこを読んでみろ」と「当ててくれます」。ところが教科書のどこをやっているのか見当がつきません。「ここだよ」と教えてもらっても、四声の区別が出来ない私には読めません。すると音痴の中国人でも中国語が話せるのに、何故音痴の日本人は中国語が出来ないんだと落ち込み、暫く教室に顔を出すことが出来ません。「50点でいいです」と即座に答えましたが、6年目に助手の石井さんが試験の時に「干場、おまえ何点欲しいんだ」と聞きに来るまで、繰り返し劣等生の悲哀を味わいました。

 幸い私は砂を噛むような思いもこの程度で済み、学生運動という自己実現の場も持っていました。

 しかし、小学校の3〜4年で九九や分数計算が分からない、或いは中学1年生で正負の数の概念が理解出来ない、英語のbe動詞、一般動詞の疑問文・否定文の作り方が区別出来ない子供が、何年もただ「行かなければ」という義務感から、机に縛り付けられることほど忍耐のいる、つらいことはないのではないでしょうか。そんな子が「いじめ」という形で自分を主張するということはないのでしょうか。

 勿論、分数計算や正負の計算も、英語のbe動詞、一般動詞の疑問文・否定文の作り方も、理解出来るに越したことはないでしょうが、分数の割り算は分母と分子を逆にして掛けなければならない、ーとーを掛けたら+になるということが分からなくても実社会でどれ程困るのでしょうか。又、何故そうなるのかよく理解できる教え方をしているでしょうか。「読み書き算盤(加減乗除の計算)」が出来れば、世の中は十分渡って行けるのですから、分からない子供をそれ以上机に縛り付ける必要があるのでしょうか。

 全ての子供が高等数学を理解し、英語を操れる必要はないのですし、東大に入る必要もないのです。又入ったところでこれから先どうなのでしょうか。勿論割合の問題なのでしょうが、周りを見渡す限り、特に困っている仲間もいないようですが、特にリッチな生活をしている友人も見当たらない感じがします。それに今週の東洋経済(5/13)で日本鉱業(J・エナジー)の人事開発課長だった日向至君(2回目の1年生の時の中国語クラスの同級生)が語っています。

 「大企業に人材が偏り過ぎている。部下も東大、京大、一橋。彼らを使おうにも仕事がない。人材が腐っている」「この会社には山ほど人がいる。自分がいなくても関係ない」「存在の耐えられない軽さ」。かくて「同期入社百人のトップを切って昇進し、60才まで勤め上げれば退職金は一億円を下らない」彼は、三つかかった口から「一度しかない人生。とにかく私は燃焼したい」と一番小規模な、広告のマッキャンエリクソンを選び人事局長にヘッドハントされた。そして大企業に残った「もったいない人材」は今、リストラの対象となり、不安にさらされています。

 受験競争の「勝者」でさえこんなものだとすれば、算数や英語の初歩を理解出来ない子供を、理解させることが出来ないまま中学、高校と「勉強」を強制する大人は「悪魔」であり、そんな社会は壮大な「苛め」の体系ではないでしょうか。学力というたった一つの能力だけで人間を測り、他の才能をスポイルするとすれば、それは「犯罪」であり、国民経済的にも損失ではないでしょうか。学校に蔓延するいじめは大人による「苛め」、「犯罪」に対する「反撃」、ゲリラ戦であり、登校拒否は山猫ストライキ、そして「オウム」は、何故学ぶのかという「心」を置き去りにし、ひたすらただ「学んだ」結果としての「体制内過激派」によるクーデター騒ぎと言えば言い過ぎでしょうか。

 かつて百姓や漁師は子が成長するにつれ田畑や海に連れ出し、下手な学校の勉強をするよりも先ず自分の仕事を覚えさせたものでした。従って「野生児」を自称する「郵便局のカクちゃん」もアワビ採りやアイナメ釣りでは漁師の子には逆立ちしても勝てないのです。そして貧しかった田舎で、アワビ採りやアイナメ釣りは「今日の糧」として、図形の証明や英作文よりずっと価値あることでした。だが今、漁師の子や百姓の子も親の手伝いをすることは少なく、経済の高度成長路線が続く中で、価値の尺度が一つに収斂されて行ったのではないでしょうか。

 しかし高度成長もとうに終りを告げ、経済のボーダーレス化と共に低成長どころか、マイナス成長の時代になって新たな価値体系、価値の多様性の時代になった今、六・三・三・四制を含め学校教育も又見直される必要があるのではないでしょうか。そして職能教育の充実と中学など早期の段階からのコース分けがあってもいいのではないでしょうか。前提として、必要と意欲に応じて、何時でもより高度な教育を受ける機会が保障されていなければならないのは勿論ですが、教育の平等とは教育を受ける機会を平等に保障することで、多様な個性に画一的な教育を強制することではないし、分からぬまま椅子に縛り付けて苦痛を強いることでもないでしょう。

●「リストラ--現在をどう生き抜くか」

 いよいよ5月31日(水)に情報人材バンク「プロジェクト猪」の結成総会を開催しますが、同日その記念に標題のシンポジュームを行います。いわばリストラする側とリストラされる側、共に団塊の世代。この深刻な問題の当事者である団塊の世代の、団塊の世代による、団塊の世代のためのシンポジュームという訳です。冷戦体制の崩壊と経済のボーダレス化による産業構造のドラスチックな変換の過程で、ただ首を切った、切られたという次元を越えて、リストラ的社会状況を個人にとっては新しい自己実現の契機、社会にとっては自らをリニューアルする好機として積極的に把え、この時代をどう生き抜いて行くのか、議論の輪を広げて行きたいと思います。

 因みにパネリストは松原隆一郎東大助教授(社会経済学・団塊世代論)、吉沢潔UPU社長(全共闘世代の人材開発会社社長として「社長公選」などユニークな人材活性化策で知られる)、設楽清嗣管理職ユニオン書記長(リストラの嵐にさらされる管理職によって結成され話題を呼んでいる労働組合の束ね役)他。会場は中野区公会堂「ゼロホール」(JR中野駅より徒歩4分。рO3ー5340ー5000)、18:00〜20:30がシンポジューム,20:30〜22:00が結成総会・懇親会。

●全共闘安田講堂に帰る!

 昨秋東大教養学部の駒場際で、学生達が企画した「過去と現在との対話ーー団塊の世代は語る」と銘打った集会に元東大全共闘が私も含め30人ほど参加しました。模擬店ばかりが目立つ中、硬派の企画にしては200人が詰め掛け、立ち見も出るほどの盛況で、2時間の討論で交流を深めました。この時受皿になってくれた学生達から「新旧世代交流を今後も続けたい」と要望があり、5月27日(土)東大本郷キャンパスの五月際で全共闘時代を体験した教官・学者による直接民主主義型シンポジュームを行います。

 第一部は学問と知の統制者・東京大学を自己否定しようとした全共闘運動に何等かの形で関わり、今優れた知的営みを行っている教官・学者達に分野を越えて集まって貰い、オウム事件でも問われている「学問・研究と社会」についてパネルデイスカッションを行います。場所は全共闘ゆかりの安田講堂。時間は12:00〜14:00。パネラーは最首悟(元東大助手・助手共闘)、松井孝典(理学部助教授・地球惑星間物理学・S41年三鷹寮入寮)、塩川伸明(法学部教授・社会主義論・駒場共闘)他です。

 第二部は14:00より文学部3番教室に場所を移し、日大全共闘をはじめOBと学生にも参加してもらい「学問と社会」につき、直接民主主義型の大討論集会を行います。「安田講堂攻防」がそうであったように、本会は東大OBに限りません。かつての仲間と誘い合わせ、連れ合い・子供同伴でご参集ください。勿論引き続き16:00より第三部の懇親会も予定しています。場所は当日までに本郷界隈で探しておきますので、乞うご期待。

●三鷹クラブ定例懇談会開催

 日経新聞に渡辺論説委員(S40年入寮)を訪ねた際、修猷館高校の同窓会の月例講演会が30年ほど続いているので、人材豊富な三鷹寮ならより充実したものになるのではないかとの提案がありました。世話人会でさっそく提案したところ、会員相互の親睦と研鑽を兼ねて会員による、会員のための懇談会を定例(当面隔月)で開催することになりました。会員が交互に講師になるということで、原則無報酬で講師をお願いすることになりますが、希望のテーマ、講師があれば連絡して頂ければと思います。

 第一回は5月29日(月)PM6時30分より、会費4,000円(食事代含む)で神田・学士会館で行います。阪神大震災、サリン事件等社会を揺るがす事象が立て続けに起き、日本社会の在り様と危機管理が鋭く問われている現況に鑑み、「震災・サリンと危機管理」のテーマで、前北海道警察本部長の黒瀬義孝氏(S35年入寮・サッポロビール(株)顧問)に講師をして頂きます。氏は第?次東京女子大侵入事件(ストームと称し、コンパの後、酒の勢いで押し掛ける)で荻窪警察署の厄介になったエピソードを持ち、昨年7月に北海道警本部長の要職を引かれるまで主に警備公安畑を歩いて来た経歴の持ち主で、公安警察のお尋ね者だった私が勧進元というのも三鷹寮らしい取合わせです。日本社会は変質してしまったのか、危機管理は、法制はどうあるべきか、マスコミとは一味違った、本質を突いた面白い話が聞けるのではないかと思います。

 尚、案内は会員にしか致しませんので、未入会の方はこの機会に如何でしょうか。

●「水族館通信」第5号発行記念ー「港・テトラ・町興し」

 先日、昨年まで東京都港湾局の担当部長に出向していた運輸省の石山君(三鷹寮41年入寮同期・土木学科卒)と二人で、東京都港湾局の企画担当課長で湾岸開発の後処理で奮闘して来た渡辺日佐夫君(42年入寮で私の委員会の食事委員)がニューヨーク事務所長に栄転するということで送別会を持ちました。その際、「通信」で故郷への想いを綴って間もなく5号を数えるので、記念に田舎で町興しの講演会でもやれたらという話をしたら、石山君が休暇を取って行ってやろうかと、講師を買って出てくれました。彼は現在運輸省第一港湾建設局新潟港工事事務所長を務めていますが、なかなかのアイデアマンで新潟出身ということもあり、港による町作りを始め各種の町興しの委員会等にも引っ張り出されているようです。又、テトラポット(消波ブロック)の有効利用にも関心があり、新潟港で海草の生え方など色々実験しているようです。そこで連休後半にさっそく田舎へ飛び、高校の同級生で能代で学習塾を経営している飯坂君に相談し、会場として能代の都プラザを確保しました。

 木材産業が廃れるにつれすっかり能代の町も活気を失い、4万トンクラスの船が入れる港には出入りする船も少なく、その有効利用と港による町の活性化が切実な課題になっているということで、宮腰市長それに能代高校同期の能登県議、梅田、松谷両市議、中田潤中田建設社長も大変関心を寄せてくれ、皆さんからご協力を頂けることになりました。盛会が期待出来そうです。能代の再生なくして八森始め能代・山本の活性化はありません。又、波打ち際の一線で高波を遮ることで町を守りながら、高く聳え立つことで景観を壊し、人と海の交わりをも妨げているテトラポット、それを沖合の海面下に移しても効果は変わらず、海草が生え、貝や魚が寄って来るとしたら一石二鳥にも、三鳥にもなります。

 講演会は6月3日(土)3時から都プラザ(柳町商店会の真ん中)で行います。終了後、石山君を囲んで同じ会場で懇親会を行います。会費は懇親会を含め七千円の予定です。特に秋田在住の読者の皆さん、興味のある方も誘って参加して頂ければと思います。参加申し込みは私か事務方を務めてくれる飯坂誠悦君(能代市南元町4ー44 рO185ー54ー8953)まで、早目にお願いします。

●ウインドファームによる町興し

 昨年寮で一年上の住友金属鉱山(旧発盛鉱山の親会社)の原子力・エネルギー事業部の中平部長から、風の強い八森で風力発電はどうだろうかと話がありました。年が明けて八森にも出掛け、菊地町長にも提案したようですが、7月の町長選の夢のある公約の一つとして、ウインドファームによる町興しは如何でしょう。ハタハタ館の周りやチゴキ岬からお殿水の道の駅にかけて、黒松の樹間に大きな風車が沢山並んで電気を起こす様は壮観ですし、立派な観光資源になるのではないでしょうか。電力事業の規制緩和と発電設備のコストダウンが進めば、風力発電の採算が取れるようになるでしょうし、町民や元町民、メーカーや建設業者にも出資を仰いで、資金を調達するというのも如何でしょうか。

●終りに

 第五号は後半何やら講演会やシンポジュームのオンパレードとなり、イベントプロデューサーに職替えしたほうがいいみたいです。東大三鷹国際学生宿舎(三鷹寮)の3月の「追い出しコンパ」には平賀会長と二人で、4月の「新歓コンパ」には一人で、OB会を代表して金一封持参で出席しましたが、寮生諸君ももっと交流の場を求めているようです。そこで、今日(5/14)は日曜日というのに、夕方わざわざ歌舞伎町に出掛け、息子と同世代の寮委員達と飲んで、国際色豊かな新しい寮祭をOBも交え、出来れば三鷹市も巻き込んでやれないか相談する手筈です。そして、三鷹クラブのネットワークは世界に拡がります。かくて、心ははほとんどプロデューサー(?!)。

 ’95年 風薫る季節に  干場革治

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