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水族館通信  NO.3     94年紅葉の 季節に


友人・知人各位

 記録的な猛暑の夏も遥かに過ぎ、紅葉の便りも聞かれる頃となりましたが、皆様、如何 お過ごしでございましょうか。赤や黄に色付く季節が終われば、冬将軍が駆け足でやって 来て、この冬はなんて寒いんだなどと、夏のことはすっかり忘れて、又、ぼやくことにな るのでしょうか。そんな秋の夜長に「まだ書くことがあるの」なんて妻に笑われながら、 第3号をワープロしました。暇な時に目を通して頂ければと思います。

●娘、2週間で退院、元気に通学

 前号で中3の娘が学佼のプールで頚椎を折り、大いに慌てたことをお知らせしましたが、 幸いにも2週間で退院し、夏休み明けから元気に学校に通っています。父親似で調子のい い娘は、入院中勉強の面倒まで見てくれた慶応出と東大出の若い医師に思うところがあっ たのか、秋田の妹の長女が秋田大の医学部に人学したので発奮したのか、「私、医者にな るから勉強するの」と殊勝なことを言っています。そう言えばー昨年の今頃は看護婦に想 いを寄せ。昨年はデザイナーに憧れ。この間までは、共働きの家庭に育って寂しい思いを したから車業主婦になりたい等と、親の胸に突き刺さるような言葉を発していたのに。よ くもまあ同じ唇(父親はとっても可愛いと思ってしまうのです)をついて色々な職業が飛 び出して来るものですが、裏を返せば沢山の夢と可能性があるということで、「夢見る乙 女」とはよく言ったものです。親も負けずに夢を追わなくてはと考えさせられます。夢を 乙女の専売特許にしてはいけません。「夢も希望も青春も若さと共に消えて行く」等と寂 しく唄いたくはないし、過ぎ去りし時についても「若かったからだとは言わせない」(ポ ール・ニザン)。しかし、「夢は荒れ野を駆け巡る」(芭蕉)と果たして死の床で言える か、そこまではわかりません。

 ところでこの件に関しては多くの方に心配をおかけし、又、励ましのお言葉を頂いたり しました。有り難うございました。東大三鷹寮の同期で日本社会福祉事業大の教授をされ ている佐藤久夫君(36期寮委員長選挙で私がー票差で当選した時のたったー人の対立候補でした)からは専門のりハビリについてのアドバイスの申出を、同じく同期で弁護士の 国生君からも電話でアドバイスを頂きました。

 そして八森中学の同級生で県立女子校の能 代北高校の英語の先生をしている佐藤勇一君からは、水泳部の顧問としての経験と海外視 察の見聞を踏まえて、学校での水泳の授業の現状と問題点を細かに教えて頂きました。

 思えば夏の海で高い岩に上り、キラメク陽光とたゆたふ波が、澄み切った水を通してゆ らゆらと戯れる、遥か下の水底を目掛けて飛び込む。大きく深呼吸をして踏み込む時の思 い切り。頭から逆さに地球の引力に引かれて行く時のスリル。水面にぶつかる恐怖。水し ぶきを上げて頭を突っ込み、水の浮力を受けて水中から勢い良く上半身を突き上がらせた 時の壮快感。一度、二度、いよいよ気持ちは高ぶり、より高い岩場を求めて少年の挑戦は 続きます。海辺で育った者なら誰でも持っている少年時代の思い出を疑似体験させ、冒険 心やチャレンジ精神、リスク判断力を養うために、飛び込みの授業はあるのでしょうか。 泳ぐということと飛び込むという行為は必ずしも結びつかないので、授業に取り入れてい ない学校も多いようですが、ただ危険性のあることはやらないということであれば問題が あります。

 一般的には危険なことでも安全にやる方法があり有用であれば、リスクの少な い方法を選んで生活に取り入れることで、豊かな暮らしを実現して来たのが人間の歴史な のですから(もっとも来るところまで来て、手放しでは喜べないような状態になっていま すが)。とすれば危険性のある飛び込みでも教える価値を認めて授業でさせる以上、水深 のあるところでするとか、直近のところには飛び込まないように指導するとか、リスクを 最小にする方法をとり、万一の場合に備え万全の救急体制を用意する必要があるでしょう。

 今回の場合プールは身長160cmの娘の胸位の深さで、念のためということで病院に行って 初めて骨折していることがわかって大騒ぎになった訳で、腑に落ちないものがあります。 又、教頭先生や担任の先生、体育の先生からはこちらが恐縮する位のお詫びの言葉を頂い たのですが、校長先生とは言葉を交わすこともなく、現在の学校の管理体質を垣間見るよ うでこれも納得行きません。偶々娘の場合は潰れた頚骨が前に飛び出し、後ろの神経を傷 付けなかったので大事に至らなくて済んだのですが、亡くなったり、首から下が麻痺して 寝たきりの状態になる場合も結構あることを知り、他人事でない気がします。

 この夏、田舎で 元々、受験だから今年は田舎へ行かないという子供達と、大学や高校の受験といっても 大したことをする訳ではないし、遊ぶ時に遊んだ方が効率良く勉強出来るから田舎へ行こ うと綱引きをしていたところに娘の事故があったので、自ずとー件落着。中学校の同期会 のために父親一人が秋田へ帰省することに。経済的には引き合いませんが田舎での行動の 自由を考え、東北自動車道を経由して片道750kmをポロ車を飛ばすこと10時間。いつもは 子供達と北の海で泳いで過ごすのに、一人では泳ぐ気にもならず、車で徘徊して飲み暮らすことに。そして、あらためて秋田の酒のうまさを確認。

 昨年職を変えてからは仕事の関係で飲む機会も多く、そんな時は決まってニ、三杯ビー ルを飲んでから、冷酒のグラスを重ねることになります。それも純米で辛口の酒を求める ことが多いのですが、東京で出されるのはさらっとした味の新潟の酒が多く、酒の国秋田 の名酒を味わえる機会は余りありません。それは新潟の地の利に加え、秋田の酒屋さんの 営業努力も不足しているせいではないかと思っていました。今回も秋田へ帰ると必ず寄る 能代の居酒屋「べらぼう」で、色々な郷土の地酒を飲ませて貰いました。いずれも美味し い甘酒のような適度な甘みと酸味のある、味わい深い酒で、喉を心地良く潤すことが出来 ました。多分、かの「どぶろく」にも通じるものがあるのでしょうか。東京で飲む、ワインのような軽い感覚で飲める酒とは違ったものがある感じがしました。そして、その後東 京で口にする酒は何となく水っぽく感じ、以前ほど美味しく飲めません。好みの問題なの でしょうが。いずれにしろ秋田の酒には東京でも頑張って欲しいものです。

 ところで、田舎の中学の同期会に全国から集まったのは200人中90人程、中学校を卒えて、集団就職のため就職列車で旅立つのを見送って以来という人もいます。皆元気で、父 や母の同じ年の頃に比べて男も女も若々しく見える気がします。日本経済の高度成長の結 果のー面でしょうか。その高度成長を支える貴重な労働力として京浜や中京、阪神の工業 地帯に散って行った者が多い中で、田舎に残って頑張っている人もいます。

 豆腐屋を営む 松岡君もそんなー人です。帰省の度に、青豆を使ったかすかな甘みのある美味しいグリー ン豆腐を食べたくて、必ず彼の所に寄ります。今回も東京へ帰りがけに波の工場に車を止 めてみたら、トコロ天をパックしています。当然、地元で採れた天草だよという答えが返 って来るのを期待して、「何処の天草なの?」と聞いてみたら、「伊豆の天草だよ」とい うことでしばし絶句。ひょっとしたら韓国だよとか、中国だよという答えが返ってくるか なという予感はあったのですが、まさか伊豆とは。子供の頃自分も海に潜って探り、他所 に「売る程あった」天草なのに。伊豆から買っているのですから、円高で価格競争力がな くて採っていないという訳ではないのです。あの豊ぎょうの海が、今や天草も生えない不毛の 海と化しているとは。海草も生えない海に、貝や魚が能く住めるのでしょうか。その海に 貝や魚の住めない漁村に、人が能く暮らしていけるのでしょうか。

 30余年前、200人の若 人を世に送り出した中学校に、今やその十分のーの若者しか入って来ないという現実が、何よりも雄弁にそれを物語っているのではないでしょうか。母校は木造の古い校舎から、 田舎には場違いな感じのモダーンな鉄筋コンクリートの建物に変わりましたが、そこに学 ぶ者がいなくなっては何の意味があるでしょう。新しい学び舎の立派な体育館を訪れた者 達で懐かしい校歌を合唱しながら、込み上げて来るものを感じたのはー人私だけではないでしょう。

●住みたい者が住める町に

 「五千人が四千人になってもいいから、バランスの取れた町、仕事が無いからと言って 若者が他所に出て行かなくてもいい町にしたい」、松岡君は言います。青雲の志を持つ者 は、広い舞台を求めて世界に飛び出せばよい。しかし、豊かな自然の懐で、ゆったりとし た時間の流れに身を委ねて人生を送りたいと思う者が、仕事がないからといって故郷を捨 てなくともよい町にしたい、想いは同じです。それはどうしたら可能なのでしょうか。そのために何よりも大事なのは、天の与えてくれた唯一ともいえる貴重な資源であるその豊 かな自然を、山と海と、川と野原を再び生産の場へと回復していくことではないでしょう か。

 安い労働力を売り物に工場を誘致するにしても、地の利が悪い上に、円高でメーカーが どんどん海外に工場を移している時に、他によほどのメリットがない限り無理です。観光 はどうでしょうか。先日、国分寺ターミナルビルの長谷川社長(Sz9年東大三鷹寮入寮) とJR九州の堀家ビル開発事業部長(S40年三鷹寮入寮)に声を掛けて頂き、盛岡メトロ ポリタンホテルの石川社長に時間を頂いたので、ホテル新館工事の営業に盛岡に出張した際、白神山に登る沢山の登山客と新幹線で乗り合わせましたが、白神山と西津軽国定公園 に連なる美しい海岸線は立派な観光資源です。

 ただせっかくの美しい海岸線に無粋なテトラポットの山を築き、海浜プールと称して海水浴場をコンクリートの突堤で囲んで泥沼と 化し、沢という沢に余り役に立たないコンクリートの堤防を作って白神の柔肌を傷付け、剰え青秋林道を貫通させて白神の山を引き裂こうとする。日本全国どこにでもありそうな、ありふれた話ですが、これでは全くの自殺行為です。せっかくの美しい自然を右の手で壊 しておいて、左の手でおいで、おいでをしても誰か来てくれるでしょうか。農業も駄目、林業も見通しが立たない、漁業も資源の先細り。三重苦(干場委員会の寮委員をして頂い た農水省の小畑農政課長に頑張ってもらわなければ)の中で、勢い土木工事の比重が高まります。いかにして県や国から補助金を買って土木工事を行い、仕事を確保するか。その 先に、土建業者による町政の支記、更に県政の支記。そんな構図が見えて来るような気が します。

 それでは具体的にどうすれば産業振興(東京者には何となく古い響きの言葉ですが)に なるのでしょうか。故郷を離れて30年近く、専門の知識もない私が云々するのは的外ずれ の感無きにしもあらずですが、敢えて述べてみたいと思います。

山と川をきれいに

 えん堤を撤去する。どうしても必要な場合は土砂と水は流れて、流木だけが引っ掛か る格子状のものにする。川に魚が増え、渓流釣りのメッカ真瀬川等の釣り客も増える。

有機栄養分、鉄イオンが流入し、海を豊かにする。植林の徹底で土砂の崩落を防ぐ。

海をきれいに

 波打ち際のテトラポットの撤去と沖合設置、魚礁化。5mや10mの高さのテトラポット では大津波に対応出来ないので、避難体制の整備等ソフトで対応する。海面下の設置 でもー定の効果はある。アルカリ分の抜けたテトラポットには海草も生え、魚礁となる(三鷹寮同期の石山運翰省新潟港工事事務所長の話では新潟港で実験山)。

下水道の整備

 建設省や農水省管轄の大型・中型下水道では金も時間もかかり、海岸 に沿って帯状に長く集落が点在するところでは非効率的。厚生省の補助金を得て、戸別 別の合併浄化槽による下水道の整備とトイレの水洗化を急ぐ。汚水による海の汚染が 止み、水洗トイレで都会の観光客も呼びやすくなる。

 林業を盛んに 植林と下草刈、間伐など山の手人れの強化。治山治水予算からの補助。協業化と磯杭 化の推進。木材のプレカット化と消費地のユーザー、建築業者との提携による直販。茸・山菜・薬草の採取、栽培、加工の推進。炭焼きの復活。木工芸の強化と販路の開拓(近くのニツ井町の「道の択」には沢山の木工芸品を販売 している)。

漁業を盛んに

 魚付き林の設置。丸裸の海岸線に植林し、漁獲の増大を計る。栽培漁業の推進。魚や貝を養殖する。稚魚・稚貝の放流強化、海草の生える海作り。大きな集落を流れる三つの川の整備と鮭鱒のふ化・放流。水産加工業の推進。冷蔵倉庫を構え、通年操業を可能にする。

農業を盛んに

 農地の集約、協業化・効率化、茸・山菜・薬草・花きの栽培、加工等多角化を計る (新潟にスキーに行くと石打の先の高速道路脇に「雪国まいたけ」の大きな工場ビル デイングが見えます。

●「全共闘白書」出版記念会開かる

 全共闘白書(全共闘白書嶺集委員会縞、新潮社刊、¥2,000)の出版を記念して去る9月3日オール全共闘300の「精鋭」が九段の私学会館に集いました。「野村博とブルーメッツ(社青同解放派)」の野村君等の懐かしい顔もあり、自民党員から現役「革命家」まで、多彩な顔触れでした。大学毎のニ次会もあり、小生も呼び掛け人となった東大の二次会は30人ほど集まり、東大全共闘としての集まりをあらためて持つことを確認しました。

 取り敢えず学生の求めに答え、駒場祭のー環として

11月20日(日)

15:00-17:00 駒場祭企画「現在と過去との対話……団塊の世代と語る」主催:東大総研学園問題研究班(11号館)

16:00-18:30 駒場寮祭企画「駒場寮廃寮をめぐって……田中秀征代議士(元駒場寮委員長、さきがけ)を囲んで」(仮題)

19:00-21:00 学生を交えた懇親パーテイ(以上駒場寮食堂)に参加します。奮ってお集まり下さい。

 白書は編集委員会(プロジェクト猪)の送った5,000のアンケートに対する500余の回答の中から265通を選んで載せたものです(全文掲載の資料縞は¥5,000で「猪」事務局で販売中。回答者には無料送付済み。欲しい方は小生まで)。私も三鷹寮やら、駒場の(中国語)クラスやらのかつての仲間のりストを大部提供しましたので、突然長文のアンケートが送られて来て戸惑った方も多かったかも知れません。

 又、何でかつてあんなに全共闘を叩いた新潮社からなのだという声もありますが、全共闘も今や多くはビジネスマンなのです。幸い、二十才前後の若者とオールド全共闘を中心に良く売れていて、すでに四刷りしてニ万部以上出ています。我が家の居間にも10,000円の会費と引き替えに買ったものが転がっているのですが、時々あちこち移動しているところをみると子供達が読んでいるようです。その上がりででしょうか事務局は飯田橋の古いマンションのー室を借り、今更「革命」等と言うおどろおどろしい謀りごとではないでしょうが、毎週一度集まっては「謀議」をこらしています。

 かつてあれだけのエネルギーを生み出し、全共闘として時代に対して鋭い刃を突き付けた団塊の世代が、社会の基幹を担うようになった今、きびすを翻すようにリストラの対象となり無用の長物視され、揚げ句の果てには「高齢化社会」の「問題爺」となる。このような流れに対して為す術もなく従うことは如何なものでしょうか。今一度流れに棹差し「時代に物申す」必要があるのではないでしょうか。折しも冷戦体制、国内的には55年体制の崩壊と、時代がガラガラと音を立てて崩れて行く時、流れを変えるとまで力む必要もありませんが、より現実的なスタンスでかつての全共闘の力をー部でも結集し世の中を多少とも面白く出来るなら、「現代」を考え、発言して行くシンクタンク、ネットワーク作りも結構なことではないかと思っています。幅が広すぎて纏めて行くのは大変でしょうが。

●「俺の人生、どうしてくれる」

 先日新宿の余り綺麗とは言えない居酒屋で、三鷹寮の先輩の日本ビクターの高橋 さんと飲んでいたところ、これ又、余り綺麗とは言えない恰好の小柄なオジさんが入 って来ました。高橋さん日く、「あの人が西部さんだよ。三鷹寮の先輩だよ」ということ。 腐敗した大学になどおれないと東大教授の職を投げ捨て、評論活動に勤しむ高名な 方で、60年安保闘争の指導者。私が「親分」と仰ぐ今井参議院議員や豊浦秘書の 更に「親分」。となれば私は「孫分」。畏れ多い方だが三鷹寮の先輩でもあり、「爺分」 ともあれば挨拶しない訳に行かない。  ということで、高橋さんに紹介の労をとって頂 く。

 西部さんがおっしゃるには「酒飲むと『俺の人生台無しになった。どうし てくれる」と言われるんだよな。大蔵省の高官や大会社の幹部になって、それはない よな。50過ぎて、どうしてくれるって、おいおい泣くんだよな」。そして最後に私にー言、 「全共闘白書なんか出しやがって」と酒の席の話なのですが、少々お気に召さない様 子。こちらもすっかり出来上がっていたので、それ以上深い話にはならず退散。ひょ っとすると、私が顔を出すと嫌な顔もせず色々顔を利かせてくれるかっての仲間の中 にも、「俺の人生台無しになった。どうしてくれる」と考えている人がいるのかも知れな いなどと、一瞬走馬燈の様にかつての顔が浮かびます。

 しかし駒場の自 治委員長として六千人の上に立った西部さんと、三百人の三鷹寮委員長の私では 格が違う。学業に秀で、確かハーバードあたりに留学して鮮やかに左から右に百八 十度方向転換して、東大教授になった彼。私はというと、もう本郷の専門課程に行っ ても許されるだろうと思った駒場六年目の中国語の試験で、助手の石井さんが「何 点欲しいか」と聞くから「50点でいいです」と答え、これで大丈夫と思ったら英語の単 位を落としてぐずぐず駒場に七年いる羽目に。四年いた法学部で優はーつもなく、可 と不可ばかり。成績表は読んだこともないのに何故か「カフカ全集」。少し良が紛れ 込んでの「寮歌集」。鮮やかに方向転換ともいかず、他にやることもないから取り敢 えず弁護士にでもなって運動の後からでもついて行くかと、卒業してから始めた司法 試験の勉強も「カフカ全集」では十年やっても受かる筈なし。

 不惑の年か ら始めたサラリーマンもうだつが上がらず、引っ張られて転職した今の会社でも自分 一人しかいない「部」の、しかも次長。全共闘白書で実名で年収まで答えたら、ソニーI TPでバイスプレジデントを務める41年人学Eクラスの同級生の李君など口の悪い連 中には「お前スカウトされてー千万にも行かないのかよ」と揶揄される始末。才能もな い上に欲もない。これでは同情こそされても「恨み」の対象にはなりそうもありません。

 少し漫画的になりましたが、「俺の人生台無しになった。どうしてくれる」と西部さんに迫ったエリートサラリーマン達は、俗世間的な意味でうだつが上がらず『人生台無しになった」と訴えているのではなく、60年安保闘争のーつの象徴だった彼の百八十度の方向転換によって、サラリーマンの上着の下にかろうじて保って来た「心」の支えが無くなったということを訴えたかったのではないでしょうか。

 先日10月28日の42・43年入寮の合同同期会の締めに寮歌をニ曲歌って、最後にインターナショナルを歌った時に、官僚も含め今をときめくエリートサラリーマン達が、一瞬のためらいの後で照れながら、それでもやはりかつて歌ったインターを、25年の歳月を越えて、肩を組み万感の思いを込めて歌った、その「心」を言いたかったのではないでしょうか。

●最後に

 そんなに書いて、次に書く事あるの?等と誰かに笑われながら六枚も書いてしまいました。読了ご苦労さんです。まだまだ話したいことは沢山あるのですが、今回の「革治のお喋りな時間」はこれで終りにしたいと思います。

 94年紅葉の季節に          干場革治

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