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アマダイ通信  NO.27       2001年秋

注)文中に出てくるはアマダイこと不肖干場革治のことです。
(Tile Fish Network Letter)

 知人・友人各位
 「同時多発テロ」に度肝を抜かれ、一時語る言葉を失ったか、間遠になってしまいましたが、一雨ごとに黄ばんでいく木々に季節の移ろいを感じながら、アマダイ通信の27号を送らせていただきます。

◎黄土高原でニューヨークの事件を知る
 一昨年の3月と7月に緑の地球ネットワーク(GEN)のツアーで黄土高原で植樹したので、今度は収穫の季節にと、GENの支援団体、サントリー労働組合のツアーに同行させてもらう。9月7日に関西空港を出発、前回より駅で寝るホームレス、職を求めて地方から上京した“盲流”が多いな、リストラで地方にも仕事がないんだと思いながら、北京西駅で内モンゴルの包頭行きの寝台車に乗り、翌朝山西省の大同に着く。内陸のせいか日本より冷え込みの早い、ひんやりとした早朝の大同駅前には屋根付き3輪バイクや千ccほどの小型自動車のタクシーが沢山たむろし、新聞や食物の売り子もうるさくつきまとう。炭坑の多い、くすんだ灰色の町のイメージが強いが、見上げれば駅前には20階ほどの高層ビルも建築中だ。効率が悪くて潰れる中小の炭坑が多く、失業者も増え、観光産業を振興しようと五つ星のホテルもできたというが、荷をほどいたホテルは二つ星だ。銀行が経営するホテルの部屋にバスタブはなく、シャワーブースのみ。トイレの水も時間で出なくなる。それでも省都で百万人都市だ。ホテルには有料の浴場があり、初めて垢掏りも経験する。渾源や霊丘等の県都になると共産党の招待所に泊まるが、シャワーがあってもお湯が出ないどころか、時に隣室から洗面器で水を貰う等、トイレを流すのにも苦労する。
 今回初めて農家に泊まったが、ここではトイレをどうやって流そうかとか、どうしたらシャワーからお湯が出るかと悩む必要は一切ない。全てがシンプルだ。多分、タリバンの支配するアフガンの農民の生活もこんなものだろう。家の近くの、馬車で往き来できる畑を耕し、庭で鶏や豚、羊を飼い、自分の作ったもので日に3度腹を満たし、今年のようにひどい旱魃でトーモロコシや粟、稗、ジャガイモ等の主食が収穫できなければ、3食を2食に減らす。たまに客があれば、鶏や羊の肉をふるまう。普段は麦混じりの御飯でも、客があると逃げ回る鶏を捕まえキリタンポ鍋で歓待する、幼き日の故郷秋田と重なる。だが黄土高原は4、50年前の秋田と違い水がない。故郷は家の脇を小川が流れ、浅井戸を掘れば水はいくらでも湧き出し、飲み水も、風呂水も、畑の水も困ることはなかった。この村では深井戸からポンプで汲み上げた水をゴムホースで各戸に配る。遠くまで汲みに行かなくていいだけ恵まれているが、風呂に使えるほどはない。一軒に一つの、庭の蛇口からバケツで運んだ水を瓶に貯め、不純物を沈殿させて煮炊きや洗顔、洗濯に使う。庭に汚水を流すと家畜がすする。トイレも地べたに穴を掘って土塀で囲むだけだ。
 そんな村にホームステイしようとホテルを出る時に、夜テレビを見ていたら、アメリカで何機も飛行機がハイジャックされ、ニューヨークのビルに突っ込んでいたという者がいる。人を盛り上げる“薬”を売る会社の人間は本当にノリがいいと、サントリーのお酒をご馳走になって一緒に盛り上がり、そのまま寝込んでしまった飲んべい親父には気になるが、如何ともしがたい。ここは黄土高原だ。ステイ先の農家にも14インチほどのテレビがあったが、赤いビロードのカバーに大事に覆われて、埃を被っている。

◎国家百年の計は教育にあり
 黄土高原の広大な浸食台地をマイクロバスで走る。今年は酷い旱魃で育ち切れない小さなトーモロコシが収穫されないまま放置され、畑の向日葵は矮化された観賞用みたいだ。植樹したものの夏の暑さで枯れてしまった所にモンゴル松や杏の苗を補植し、大同で合流した東京農大の学生のギターで子供や村人と「北国の春」等を歌う。綱引きなどもして交流し、大きく伸びた杏や松等これまでの成果も見学して、夕方それぞれの民泊先に向かう。王さんの2部屋ある寝室の1室でサントリーの3人とザコ寝する。自転車をしまい、粗末なテーブルのある土間をはさむもう1室に王夫婦が寝る。土壁の部屋には電球が1個ずつ赤く輝く。変圧器がないから蛍光灯は駄目らしい。
 カマドと連結し、夜はその上に布団を敷く、一段と高くチャブ台のあるオンドルに靴を脱いで上がる。自分達のために犠牲になった目の前の羊や豚、鶏のために先ず温い地ビール、燕京ビールで乾杯する。ビールを冷やす冷蔵庫などはない。次いでコーリャンで作った50度くらいの白酒(バイチュー)を水代わりのビールと交互に飲む。無色透明の白酒はトロッとした口当たりで、ウオッカのようだ。脂っこい中国料理に合う。上海に工場があるサントリーのメンバーの片言の中国語と、漢字の筆談で話が弾む。王さんは58歳、奥さんは51歳で私より3歳若いが老けて見える。子供はいないという。メモ帳に漢字を書いて渡すと、私は字が読めないと奥さんがはにかみ、王さんが代わりに答える。杯を重ねて外へ出る。腰高の土塀で区画された路端のトイレで、満天の星空を仰ぎながら用を足す。東京よりも夜の闇の藍は濃く、瞬く星が綺麗だ。
 夜明けと共に目が覚めると旅先でいつもする様に、辺りを徘徊する。朝仕事に鋤を持って畑を耕す農夫。これから何か種蒔きできる物があるのか、来春のために肥料でも鋤込んでいるのか。去年は豊作でまだ主食の蓄えはあるというが、今年のような旱魃はこたえるだろう。目を転じれば7時前だというのに足早に歩く子供達、「国家百年の計は教育にあり」と大書した塀に囲まれた中学校に吸い込まれて行く。始業のベルが鳴ってそろいのジャージーを着た生徒がゾロゾロ出て来て、学校の前の空地を3周ほどランニングだ。これがグラウンドらしい。数えれば3学年で340人ほどいる。昨日は夕方6時頃分宿先に散る時に学校が終わっていたのに、随分長く勉強するのだと感心していると、8時頃に今度は反対方向に歩いて来る。1時間勉強して朝食に家に戻り、9時から又始まるのだという。百年後の黄土高原は、そして日本はどうなっているのだろうか。

◎志を抱いて死ねるのは快感
 村から大同に帰りホテルのテレビでようやく世界貿易センターにハイジャック機が突っ込む様子を見る。日本では全チャンネルがぶっ通しこのニュースを流しているだろうと思うが、ニュースの時間に少し触れるだけでトップではない。言葉もわからずまどっろっかしい。夜行列車で北京に戻り、上海への機内で人民日報と英字紙を拾い読みする。ここでもトップは国内ニュースだ。1面の下半分で扱っているだけだ。国民性か、現在の中米関係の反映か、新彊ウイグルやチベット等分離独立運動を抱え、テロ事件もあるので余り大きく扱いたくないのかなどと憶測する。上海では将介石が結婚式を上げたという、老舗の和平飯店のゆったりした部屋に陣取る。ようやくCNNも日本のBS2も大画面で見ることが出来る。寛いだ気分でお茶でもと、水道の水をポットで沸かすが、とても臭くて飲めない。ここは中国、上海は揚子江の最下流、下水を飲むも同じだ。
 しかし、それにしても随分大胆なことをするものだ。命を懸けてというよりも、命を捧げての行為だ。仲々できるものではない。命に代えててでも実現したい目的を持てるというのは、ある意味ではとても幸せなことだが。同時代の仲間の多くがそうだった様に、私も革命の大義のためには命を捧げてもいいと思った。たかだかヘルメットを被ってゲバ棒を持ってデモをするくらいのことでもそう思っていた。デモ隊の先頭で竹竿を握り、腰を落とし、ヘルメットを被った頭を前のめりに突き出して機動隊の壁に突っ込む。だが、盾や警棒で叩かれ、殴られ押し返されると、後ろからも押されているので足が宙に浮いて、力負けして隊列が後退すると、仰向けに倒れた体の上を機動隊が駆け抜けて行く。圧迫されて息が詰まる。瞬間これで終りかと思うが、不思議と怖くはない。何となく安らかな気持ちだ。幸か不幸か死にはしなかったが、逃げ足が遅くその度に捕まり、7回も臭い飯を食い、最後は足掛け3年刑務所に入っていたが、飽くまで意気軒高だった。神は人間が造ったものだと嘯き、死後の世界を信じない者さえ時に死を厭わないのだから、神の存在を信じ、神のためにすることで天国に行けると確信した者にとって死は快楽であろう。
 その後我々はゲバ棒に加えて火炎瓶を投げるようになり、極端に走る者は更に爆弾を投げ、銃を打つようになった。しかし目的は手段を正当化するものではない。目先の権力の壁は突破できても、大衆の支持を失えば運動はそこで終りだ。今回の同時多発テロという手段もイスラムの名において正当化されるものではない。他方、テロを戦争と言い換えて報復戦争に勝利したとしても解決できる問題はわずかだ。欧米列強の植民地支配に根差すパレスチナの問題、アラブの腐敗した独裁政権、「聖戦」に参加することでようやく「職と食」が確保されるという貧困。これらの問題を解決しない限り、世界の平和はない。グラスの向こうに、黄浦江を挟んで対岸の5、60階建の超高層ビル群が浮かぶ。

◎黄土高原写真展・・・大阪は10月26日から
 4月の京都駅ビルに続き、8月の名古屋駅ビルでの写真展も大盛況でした。上海のAPEC首脳会議で得意満面の笑顔でホスト役を務める江沢民主席も頭を悩ましているに違いない、もう一つの中国、3億人の沿海部中国とは違う、9億の内陸中国の黄土高原の現実を、写真家の橋本紘二さんが衝撃的に把えているからでしょう。又、山田JR東海常務取締役企画本部長初めJR東海の皆さんには大変お世話になりました。GENの東海地区の会員は手薄なので、当日の受付や案内を今までGENの活動とは関係のなかった沢山の方々に手伝っていただきました。農水省OBで外郭団体の理事をしている小畑勝裕君(S42年東大三鷹寮入寮)が、名古屋出身ということで大活躍してくれました。
 この10月26日(金)から11月1日(木)までは、JR大阪駅中央コンコースのセルヴィスギャラリー(06−6346−3564)で開催されます。砂漠化する大地の緑化を訴えることで、地球環境問題を考え、環境負荷の少ない交通手段としての鉄道もアピールする趣旨で、JR西日本、読売新聞大阪本社、読売テレビの主催で行われます。

◎京美人へ応援をありがとう
 京都のマンションを売り払い、大阪の幼稚園の先生をやめた藤井由美さんが活躍するタイの恵まれない子供の就学支援施設、ムーバンデック(子供の村学園)の応援を前号で呼び掛けたところ団塊政策研究ネットワーク(Dネット)会員の伊藤豊仁さん、表宏樹さん、能代高校同期の河田泰さん、横田真理子さん、三鷹クラブの前田耕作さん(H5年入寮)、市原郁雄さん(S48年入寮)、同期の剣持知明さん、牛嶋俊一郎さん(S41年入寮)、渡水隆史さん(S34年入寮)、駒場の中国語クラス同級生の高山一さん、愚息のカミさんの父上の飯川守一さん、7月のイオン環境財団の万里の長城植樹ツアーで一緒だった秋田の高橋元さん、秋田県に出向中にお世話になった建設省の内田純夫さん、取引先の東芝ライテックの森岡克至さん、フドウ建研の佐藤卓夫さん、RIAの桜井大吾さん、JR東海の渡邊高峯副社長、北野博義建設工事部長等、これまで20人ほどの読者の方から、カンパをいただきました。ありがとうございました。お礼に代えさせていただきます。
 緑の地球ネットワークもムーバンデックも、乏しいお金をやりくりし、スタッフの生活を犠牲にして社会的に有意義な活動をしています。それにつけても、アメリカはトマホークミサイルを1発打つのを止めてムーバンデックに寄付し、中国は原爆を作るのを止めて黄土高原緑化に金を割けと言いたくなります。それならお前も毎晩酒を飲むのを止めたらどうかと、自分に返ってきそうですが、アメリカが戦争を止め、中国が原爆を廃棄するのと同じくらい難しい感じもします。国際政治を晩酌のレベルで論じるのかと、佐々木東大総長や法学部の五十嵐教授等、故郷秋田の誇る大政治学者に怒られそうです?!
 ところで、ムーバンデックは貧困やそれに伴う家庭崩壊・虐待などにより、家での生活や学習が困難なタイの子供達を受入れ、教育と生活を与える全寮制の学校です。現在は3歳〜24歳の140人が、幼稚園から大学までの教育を受けつつ、スタッフと共に共同生活を送っています。イギリスの教育学者ニイルのサマーヒルという考えを取り入れ、自然環境と民主的雰囲気の中で子供の心を癒し、本物の自立を促すNGO(非政府組織)です。今年で創立22年目、政府からの援助は全く受けず、一般からの支援金で運営されています。活動の一端を藤井さんの発行する「子供の村学園便り」No.5からの抜粋で紹介します。
 部屋に保管していた支援金を盗まれました。ショックだったのは、同じ家に暮らす成長した子供達数人による犯行だったことです。南京錠を壊して、計画的に以前から度々出入りを繰り返していたということを知り、ずいぶん落ち込みました。事後の対応も文化の違いもあり納得できるものではなく、学園に対する不信感も募りました。
 鬱々としている中で気付いたのは、ここの子供達が問題を抱えている子供達だということを私が忘れていたということです。余りにも明るく人懐っこい子供達に、むしろ私の方が頼っていたのかもしれません。成長した子供も、ほとんどが5・6歳の幼い頃から学園で暮らしてきた子供達です。しかし、ここに来るまでの生活の中での環境の影響、心の傷は相当深いと言えます。校長やスタッフ達は、子供の問題は改善できないと言い切ります。それでも、そのような子供でも行き場のない子供をここから追い出すわけにはいきません。 明るい笑顔が横を向いた途端かげったり、投げやりな物言いをしたり、子供の小さなサインはそこかしこに見られます。子供の明るさに付き合うのが外部の人であれば、影の部分に付き合うのは毎日生活を共にするスタッフ達です。それは忍耐のいる辛い仕事でもあるのですが、子供達が真に救われることを信じてとにかく関わり続けて行くしかありません。理想だけでは解決できない難しい大切な部分です。

 子供の村学園のホームページはwww.ffc.or.th/mbd
子供財団はwww.ffc.or.th(英語)
藤井さんはEmail:yosimi@ffc.or.th(日本語可)fax:6634-516766(平日昼のみ)です。

◎「セーフガード」今後の展開について
 6月28日のDネット28回政策研究会での松林正一郎三井物産食糧企画室長(S42年入寮)の講演を抜粋します。松林君にはかってNTTコミュニケーションズソリューション事業部宮脇良秋企画部長と共に干場寮委員会の副委員長をしていただいて散々迷惑をかけた上に、今回又、無理をお願いし、忙しい日程を調整して講演していただきました。
 私の勤める総合商社は自由貿易の原則の下で、生産性の高い所から低い所に物を動かすことによって富の配分、経済成長が起きるという貿易理論を実行する立場にあります。とりわけ食糧というのは基本的に日本は輸入国ですので、経済産業省に対しては輸入促進をやる立場にあり、農水省に対しては小麦、大豆等のグレーン穀物をいかに安定的かつ安全に輸入するか、いざとなった時にどんな風に日本の国益を守り、食糧安保を担うかという立場にあります。
 先ず日本の林業を除外した農畜産物の出荷額は10兆円、国内水産物が2兆円、輸入食料が5兆円で、日本人が摂取している食料の最初の入り口は17兆円です。日本のGNP(国内総生産)は5百兆円ですが、76兆円が食料品で、その内40兆円が小売業の売上で、これは家庭で料理されます。次が外食で32兆円あります。17兆円で仕入れた原材料の食料品を72、3兆円で、人口1億2千万として1人60万円、月5万円消費者は買う訳です。流通コストや廃棄ロス等もあるのでしょうが、4〜5倍の値段で買う訳です。食品流通の生産性をいかにして上げるかは商社の課題です。76兆円の内、食品製造業の出荷額が31兆円ありますが、欧米に比べて生産性が低く、仕入れに対して倍くらい高い。ここをしっかり強く、効率化するのは経産省のマターです。次に問題の野菜ですが、日本人が食べている野菜は冷凍も入れて千5百万トン。その内生鮮野菜の輸入が90万トンで千2百億円。玉葱がトップで22万トン、輸入比率が2割で金額が7〜80億円。2位の南瓜が15万トンで輸入比率4割、金額が100億円。ブロッコリーの輸入が9万トンで輸入比率6割、金額で150億円。松茸が3千トン入って150億円。椎茸が3万2千トン入って100億円、国産は6万7千トンです。アスパラは2万4千トン入って200億円強。問題の葱は輸入が3万8千トンで国内生産が41万トンで金額的にも大したことがないが、伸び率が激しいので慌てて葱を指名してしまったということになります。基本的に生鮮野菜の輸入は北半球と南半球をうまく使い分けた端境物の輸入です。それとアスパラやブロッコリー、色つきピーマン等の洋野菜は日本で作っていませんでしたので、ブロッコリーが6割輸入されても余り問題になりません。生鮮野菜の輸入先と品目ですが、中国からは356億円でトップの椎茸が100、松茸68、葱38億円です。ですから今回のセーフガードの2アイテムで140億円が高率の暫定関税をかけられたことになります。アメリカが2位で218億円でトップがブロッコリーで115億円です。3位が韓国でトップが松茸35億、唐芥子26億、トマト23億。4位はニュージーランドで99億の内、南瓜が53億円で、日本人が食べる南瓜の半分です。生鮮野菜というのは食糧輸入5兆円の中の1千億円であって、色々な理由と経緯で、非常に限定された商品が限定された産地から入って来るので、日本の生鮮野菜の生産と生産者をどうするかということと、国家経営とはすごいギャップがあります。
ところで2兆5千億円の規模で農産物の25%を占める国産野菜の出荷量は千2百50万トン、自給率9割です。輸入の1割は端境物だったり、洋野菜だったりして貿易戦争を仕掛けるようなアイテムではないんです。他方、国産野菜の生産量は千5百82万トンで、約3百万トン近くが死んでいる、出荷調整している訳です。又、卸売市場法というのがあって、生産者→出荷団体(経済連・JA)→卸売市場→中卸→小売(外食)を原則としています。卸売市場は競りをやって需給のバランスを取っている筈なんですが、コストの問題とかあってうまく機能していない。例えば99年7月の夏キャベツ。1ケース10s、中玉で8個入っています。1個大体1sで生産者は1個売って27円しか取れていません。消費者はそれを126円で買っています。キュウリ1s当たり125円、1本12円、小売りで1s376円、1本58円です。卸売市場があるために、逆にお互いめくらになってただ値段の差し合いだけやっている可能性が強い。流通コストと廃棄ロス、需要と供給、本当に消費者と生産者がマッチングできていない。
 中国の側から見ると山東省は緯度も日本と同じで気候も似ている。卸売市場を通して2日かかるところを、フェリーで24時間で小売店に着いてしまう。生産コストも安いし、中国の農家にとってもトーモロコシや小麦を作るよりも換金作物で儲かるので、熱心に生産に取り組んでいる。日本からは業者、商社、種メーカーがやって来て熱心に技術指導する。放っておくと中国の所得が他の国に追いつくまで、全アジア地域の野菜工場になってしまう可能性があります。超デフレを促進するのは問題ですので、特定の品目については日本だけというのではなく、WTO加盟の条件として多国間の方法で中国産品に対する正府側条項を付けるべきとの議論があります。特に農産物については中国を別扱いにしておかないと同じルールで戦えません。ただ、日本の側からは関税をかけて価格をいじったり、補助金を出したりしてもうまくいかないので、価格政策から所得政策へというのが、欧米の流れです。ディカップリングと言って価格政策と所得政策を分けましょう、作物を転換したり、農地を休ませるために決まった金額を渡す、所得保障するというものです。葱についてはそれがいいのではないかと思います。又、築地でも競りは2割で8割が相対なのですから、スーパーの食品売り場や朝市などで生産者と消費者が繋がり、無農薬、有機栽培、非遺伝子組み替えとか、消費者が欲しい物を計画的に、契約的に早く作ることだと思います。

◎日当百円(7元)は酷い?
 9月のサントリー労組の植樹ツアーに同行し、しつこい中華料理に辟易して和食をと、上海のホテルオークラ(花園飯店)でコースを頼んだら一人5百元(1元15円で7千5百円)から。日本と変わらない。黄土高原と何たる落差。GENの大同の植物園や苗木センターで作業員を雇うと日当7元、技術者で月給3百元。事務局長の高見君が「もう少し出してやったら」と言うと、現地の責任者から「これが市場価格なんです。中国は市場経済なんです」と言う答えが返って来て、二の句が継げないという。これでは日本が社会主義、中国は資本主義になって、社会科の教科書を書き換えなければいけない。
 因みに埼玉医大で研修し日本語が達者で、ボランティアで通訳をやってくれる市立病院の婦長の王さんは冗談半分に、私は高給取りよと言うので、幾らと聞けば月給千元。党職員の年上の旦那は850元だという。中国人と結婚し西安に住み、里帰りしていて名古屋の写真展を手伝ってくれたGEN世話人の宮崎女史は日本語講師をしていて2千元(ボーナスなし、有給休暇なし)、中国人講師だと3百元とのことであった。
 7月のイオン環境財団の万里の長城植樹ツアーで、重慶から山峡下りのクルージングをして又々腹をこわし、女医さんに診てもらったら、薬込みで80元。美人女医に手を取ってもらったから高かったのか、閉鎖空間の独占企業だったからなのか。9月に歯茎が腫れて大同の口腔外科で切開してもらった時は、薬は別で歯医者は10元だった。案内してくれた婦長の王さんが、私の病院はもっと綺麗よとわざわざ言うくらいで、診察台の蛇口からは水が出ず、うがいした後の水は脇のバケツに落とす始末。肝炎にでも感染しないか、それにもっとひどい感染症もあると心配になるが、王さんは大丈夫よと涼しい顔だ。身から出た膿とは言え、異国で食べ物も口に入らないくらい腫れては、先ずは肝臓よりも口だ。
◎サマンバヤ・アシュラムの挑戦とその成果
 創設以来47年、サマンバヤ・アシュラムで子供達を養育し始めてから25年が経過しました。この間、インドはビハール州各地のアシュラムから多くの貧しい子供達が育っていきました。大いなる成功です。しかし、よい面ばかりではありません。アシュラムの教育水準の問題、子供達を養育して村に返す原則だったアシュラムが卒業証書を発行していない問題もあります。この結果、多くの子供達が社会的な差別に合い、苦労します。
 果たしてサマンバヤ・アシュラムの実験は成功したのでしょうか。私も会員で、最近まで居候していたソフト会社ラティオ・インターナショナルに事務局を置くサマンバヤの会の副代表の大橋正明恵泉女学園大学教授が、初めてアシュラムを訪れた時の子供達は今や成人し、立派な大人になっています。大橋さんは幾度となくインドに足を運び、この卒業生達にインタビューしてまわりました。インタビューは現在の管理責任者ドワルコ・スンドラニ氏まで丹念に根気よく行われました。その果てしない調査の成果が「サマンバヤ・アシュラムの挑戦とその成果」として本になりました。これを機に、アシュラムの卒業生同士のバレシュワール・ジョーティ夫妻を招き、出版記念のシンポジュームとパーティーを開催します。かっての子供達の当時の様子と現在までの苦労、そして彼等が現在何をやろうとしているのか語っていただけるでしょう。
 インドの隣のアフガンでは夜毎「花火」が派手に上がっています。「花火」で彼の地を焼き尽くせば、怒りは癒され、一時の解決がもたらされるかも知れません。しかし、それは優れて教育の問題でもあるのですが、貧困の問題が解決されない限り、新たな怒りが、死をも快楽と感じる無数のオサマ・ビン・ラーディンを輩出するでしょう。中国での見聞も衝撃的でしたが、昨年夏初めてインドを旅した時はとてもつらい気分になりました。人間が人として扱われていないのを、見て見ぬふりをするのはつらいことです。中国では水飲み百姓以下の、水も飲めない農民を黄土に縛りつけて、何が社会主義だと思いました。それでも中共指導部はそれをどうにかしないとと「西部大開発」や国土緑化の大号令を発しています。インドからはそんな意気込みは少なくとも私の所までは伝わりません。インドに関心のある方、貧困問題を研究している方など、是非如何でしょうか。
日時  11月23日(祝日)第一部シンポジュームPM2時〜4時
              第二部パーティー  PM5時〜7時半
場所  早稲田奉仕園小ホール(新宿区西早稲田2-3-1 03-3205-5411)
交通  JR高田馬場駅より早大正門前行きバスで西早稲田下車徒歩2分
    営団地下鉄東西線早稲田駅下車徒歩2分
会費  第一部は無料、第二部は1万円(本、パーティー費用含む)、学生3千円
連絡先 本部045-481-2717 FAX045-481-0158
       E-mail kimura@ratio.co.jp
     東京事務所03-3815-3035 FAX03-3818-1219

◎日本経済の構造改革・・・第40回三鷹クラブ定例会員懇談会
 節目の第40回は水口弘先輩(野村総研顧問・経済同友会副代表幹事)を講師に迎えて、12月4日(火)に開催します。「日本経済の構造改革」がテーマです。 
 先輩は静岡県三島南高卒、S26年入寮で、平賀代表と同室だった宮井鉄郎氏によると「私は日興証券、水口氏は野村と同じ証券界に身を投じ、折に触れて接触がありました。若い頃は彼の強引な営業活動にいつの間にか乗せられ、腕利きの営業マンとの印象を強く受けました。昭和40年代の証券不況期に凍結株式の市場放出についてそれぞれの社の担当でしたが、水口氏の頭の回転の早さ、説得力、決断力に舌を巻きました。その後同氏は野村証券副社長から野村総研社長を勤められ、証券界屈指の論客として名を馳せました。今や経済同友会にあって財界の理論的支柱として八面六臂の活躍をしておられます。」とのこと。
 日本経済の進路について水口先輩の歯に衣着せぬお話と、出席者との白熱した論議が期待されます。
 いつものように神田の学士会館で6時開場、6時半開会、会費5千円(食事、ビール付)終了後、鈴蘭通りの中国料理「三幸園」で、延長戦を行います。連絡はまで。

◎名簿作成着々進む
 5年振りに三鷹クラブの新名簿を作成しています。平賀代表を司令塔に各年次の世話人を中心に2千2百人くらいのOBの住所を把握し、案内した結果、あらためて2百人の方に終身会費1万円を頂いて会員になってもらいました。新会員には新名簿を無料贈呈しますが、8百50名の従来の会員には3千円ほどで、名簿を買っていただくことになります。年度別、就職先別、Eメールアドレスと盛り沢山の内容です。留学生を含めた最近のメンバーも大学の協力を得て載せています。世界に散らばった後輩諸君には将来大きな力になるでしょう。昭和25年の開寮から、LTの法学部からSVの医学部まで、総合大学の寮ゆえに、ビジネスから、法律相談や医療相談まで、全ゆる場面で頼りになる仲間がいます。沢山の会員から名簿の申込をいただいていますが、まだの方は宜しくお願い致します。手元に案内の書類のない方は事務所まで連絡下さい。

◎終りに
 お陰様で事務所もどうにか半年近く持ちました。次の目標は1年?!新名簿の残部は事務所に保管することになっており、会議や名簿のパソコンの入力にも多少役立っています。の机の上のノートはまだ使われておりませんが、アシスタントのデスクトップは活躍しています。それで本格的なEメールアドレスを作りました。法人なのにタダメールなのと言われそうですが、 アドレスは  hoshiba01@livedoor.com です。
 前科があるので、皆から何時まで続くのと冷やかされますが、三鷹クラブの封筒の宛先も事務所にしようという方向ですので、潰す訳には行きません。しっかり働かなくてはと思っておりますので、宜しくお願い致します。
 9月は本郷に進学した後輩連中が2回ほど事務所に寄ってくれて、つまみを取って遅くまで話が弾みました。秋の夜長、こういう機会が増えるのが楽しみです。お互いに飲み過ぎには注意して、楽しくコミュニケーションしたいものです。

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